ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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挙母神社〔1〕
豊田市挙母町の挙母神社。写真が多いので,数記事に別けて書く。
(地元の人以外には,挙母って難読かな。コロモです)

撮影してきた写真が100枚を越えた上に,盛りだくさんな神社さんなので,なかなか書けずにいた。いざ書き始めてみたが,かなり不安。どうなることやら。

とりあえず,入り口の辺りから始めてみる。

どーん。節分の日だったせいか大人気。
挙母神社1(070203豊田市)

厄年の境目が節分(立春)だからかな。厄除けの方と,赤ちゃんを抱いたご夫婦と,もう普段のお参りの方と,引っ切り無しに人やクルマが出入りしていた。

地元では,“子守さん”と呼んでるとのこと(by 奥さんの実家が近所にあるという,自分と同じ会社の係長さん)。本にも“お子守さん”という呼称が書かれてあった(何の本か忘れた)。

「挙母神社」と改称されたのが明治に入ってから。それまでは「子守大明神」だったということなので,その名残だと思う。

社号標には「擧母神社」。いつの建立か見てくるの忘れた。
挙母神社2(070203豊田市)

隣に由緒書きがあるけど,中身については後日。

「二月の祭儀」「平成19年厄祓御祈祷案内」
挙母神社3(070203豊田市)

そういや,厄払いってやってもらったことないなあ。ご祈祷の記憶があるのは七五三くらいか。

愛知縣のベカラズ集。明治二拾九年七月とある。
挙母神社4(070203豊田市)


神馬さん。逆光だなあ。
挙母神社5(070203豊田市)


もういっちょ。背中に布らしきものを載せている……。
挙母神社6(070203豊田市)

ハッ!衣!?(挙母表記は近代になってから)
……とか今ヒラメイタのだが,真相は不明。

【20070802】あのヒラヒラは,紋の入ったハラマキの結び目。そういう神馬は挙母神社以外でも見てるのに,何をボケていたのか。

鳥居。デカイ。手前に狛犬さん。
挙母神社7(070203豊田市)


脇にあった「大鳥居改修の碑」
挙母神社8(070203豊田市)

昭和二年大鳥居を建立す
昭和三十四年九月二十六日伊勢湾台風の直撃を受け境内樹木百五十本余倒れる
山門を大破此の大鳥居も倒木により地上に落ち、笠木が折れる。その後応急措置として金具にて継ぎ補修した。以来四十年余の歳月を経過老朽化が進み、改修が必要となった。
平成十年十一月吉日 笠木の取かえをする


鳥居の手前,阿の狛さん。
挙母神社9(070203豊田市)


同じく,吽の狛さん。
挙母神社10(070203豊田市)

両方ともオスだった。このタイプの狛犬さんには付ける決まりなんだろうか。桝塚西町の津島神社のとか。

やっと大鳥居を潜ります。
挙母神社11(070203豊田市)


広い境内。
挙母神社12(070203豊田市)


手水舎。
挙母神社13(070203豊田市)


彫りが綺麗。
挙母神社14(070203豊田市)

「めぐりや」の千社札シールが笑えた。トヨタ自動車生協の地域発展版であるところのメグリアさんのだと思うが。

竜はちょっと受け口。
挙母神社15(070203豊田市)


社務所。
挙母神社16(070203豊田市)


ご祈祷の依頼が次々と。
挙母神社17(070203豊田市)

自分がお守りをいただいたときは,女性の神職さんが窓口にいらした。「写真撮ってもいいですか?」と尋ねたら,一瞬身構える気配。慌てて「境内の」と付け加えた。女性神職狙いのカメコも居るみたいじゃからのう。

社務所の屋根でひなたぼっこのハト。
挙母神社18(070203豊田市)


手水舎の手前にあった巨大なクス。
挙母神社19(070203豊田市)


めっさ見上げてる子ども。
挙母神社20(070203豊田市)

可愛い。看板によると,

豊田市指定第五号天然記念物 挙母神社のクス

根廻り 九・五メートル
目通り 六・五メートル
樹 高 約二十五メートル
樹 令 推定六五〇年

 元亀三年(一五七二年)の昔 瑞光院が火災のときに薬師如来がこのクスの木の下に難をさけられたという伝説があります

          豊田市教育委員会


しかし瑞光院は平成の火災でご本尊もろとも焼け落ち,この大クスも半分くらい燃えているのだ。薬師さん(瑞光院)は未だに仮の建屋。その話は別の記事にて。

ああっ,拝殿までも届かなかった(写真は1記事に20枚程度と決めているので)。ううん。とにかく,挙母神社の記事はまだまだ続く予定。あと3~4記事かかるかなー。

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
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挙母神社〔2〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

手水舎まで来たので,次は拝殿のあたり。

燈篭と狛犬さんと拝殿。多分拝殿。
挙母神社21(070203豊田市)

挙母神社さんの公式サイトに,神殿の南に神輿殿と拝殿があって,拝殿では神楽や巫女舞をしますよ……という趣旨のことが書かれてある。舞えそうなのがこの建物なので,拝殿と判断。

狛犬さん。うーん。ペアではうまく写せなかった。
挙母神社22(070203豊田市)


阿の狛さん。前足の間に子どもちゃん。
挙母神社23(070203豊田市)


吽の狛さん。こちらも子どもが居る。
挙母神社24(070203豊田市)

燈篭の脇に説明板があった。

子守(子だき)狛犬のいわれ

当挙母神社は明治の始めまで子守大明神と稱えられ子供を守って下さる神様として信仰があつくごりやくの深い神社であります。
この度挙母神社の崇敬者代表倉知桂太郎氏により子守りにちなみ子守(子だき)狛犬の奉納を受け昭和六十三年十二月ここに建立したものである。

 平成元年一月 挙母神社


子守大明神さんだからということで,狙って造られたのね。でも両方子抱きって珍しくないかな?倉知さんのお名前は,出すかどうか迷ったんだけど,豊田市の名誉市民の方なので,有名人ってことでいいかなと。

拝殿の天井辺りには,奉納された額がたくさん。
挙母神社25(070203豊田市)


五円玉で描かれた「奉納」
挙母神社26(070203豊田市)


樹に巻きついた蛇さん。
挙母神社27(070203豊田市)

右に見える「生開・5生……」というのは,恐らくトヨタさんの一部署だね。交通安全の額(これも五円玉っぽかった)。職場でこういうの奉納するのっていいなあ。

神輿殿。多分。
挙母神社28(070203豊田市)

左に見える屋根の一部は拝殿の,右奥の額のついたのが,神殿前の,えーと,神門でいいのかな。神門?の奥に見える三角の破風が,本殿じゃなくて,その手前の……,何だろ。困ったね,全然わかんなくて。

神輿殿?の屋根の下側。鳥避けか何かの網。
挙母神社29(070203豊田市)


この木鼻(網の下のくるくる)好きなんだけどピンボケた。
挙母神社30(070203豊田市)


神輿殿?の瓦。一文字見えるけど読めん。
挙母神社31(070203豊田市)


神輿殿?越しに神門?(ハテナばっかでわけわからんね)
挙母神社32(070203豊田市)

このように,神輿殿?越しだと柵に遮られてろくに見えない。

かといって,神輿殿の向こうへ回ると全体が写らない。
挙母神社33(070203豊田市)

額には「子守大明神」とある。

神門?の全体を写すには,こうだ!
挙母神社34(070203豊田市)

うーん。ナナメな上に,手前に自動車祓所があるので,うーん。

阿の狛さん。目玉ぎょろん。舌べろん。
挙母神社35(070203豊田市)


吽の狛さんもギョロン。可愛過ぎる。
挙母神社36(070203豊田市)

写真を縦に引き伸ばしたように見えるかもしれないけど,加工はしてないよ?大正十一年十二月奉納。「石力刻」とあった。石匠さんのお名前(号)かな。

このギョロ目さんは,樹木神社(樹木町)若宮八幡社(若宮町)貴船神社(東保見町)の狛さんたちと同じ系統かな。

神門?の奥に左三つ巴の紋入りの幕。
挙母神社37(070203豊田市)

挙母神社のご神紋は左三つ巴(であるはず)。門の向こうへも回れるんだけど,それは後で。

神門?の手前の「子守宮御託宣」
挙母神社38(070203豊田市)

子守宮御託宣

不知三災七難
不犯咒咀毒氣
一度帰依値遇
必得子孫福智


“三災七難”とか“帰依”とか,仏教っぽい。下の細かい字は,本殿と拝殿の再建について書かれてあるらしいんだけど,写真からでは読みきれなかった。また読みに行ってくる。

その隣。「自動車祓所」
挙母神社39(070203豊田市)

ここでお祓いをお願いすると,このように白木の台と大麻(オオヌサ)が用意されて(撮影の直前に巫女さんが持ってきた),

クルマを中まで入れさせてもらえる。
挙母神社40(070203豊田市)

写真は,左が神輿殿,右が拝殿(神輿殿,拝殿は先の記述の通り推測)。この後のお祓いの様子は見てこなかった。

よーし,神殿の手前まで届いたぞ。あとは本殿のほうと,境内社と,薬師さんと,境内の歌碑とか色々(先は長いぜ)。

挙母神社さんの記事,まだまだ続きます。

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
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挙母神社〔3〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,3つめ。
(前の記事はこちら→

神門?の前=神殿の手前まで来たので,いよいよ奥へ。あと境内社について書く。

神門?に向かって左手に,鳥居と門と狛犬さん。
挙母神社41(070203豊田市)

ここから,神門?の裏まで回れるのだ。

阿の狛さん。
挙母神社42(070203豊田市)


吽の狛さん。
挙母神社43(070203豊田市)

狛犬さんはこれで4対め。たくさんあるなー。「昭和四十七壬子歳」と彫ってあった。

これが門。「子守大明神」とある。奥に見えるのは境内社。
挙母神社44(070203豊田市)


境内社は置いといて,これが神門?の中央の真裏にある建物。
挙母神社45(070203豊田市)

この奥(向こう側)に本殿がある。じゃあこれは幣殿とかいうやつか?

幣殿?の屋根。
挙母神社46(070203豊田市)


奥の一帯は白壁で囲まれている。外から眺めると,こんな感じ。
挙母神社47(070203豊田市)

樹で見えにくいけれども,右端が本殿。その左が幣殿?とか言ってるやつ。

ナナメ後ろから見上げた本殿。
挙母神社48(070203豊田市)

千木は外削ぎ,鰹木は5本。

さて,境内社。複数あるので順番に。

上で書いた門を入ってすぐのところにある秋葉社。
挙母神社49(070203豊田市)

横の小さな看板に「秋葉社/祭神 火産霊命/祭日 十二月十五日」とあった。色んなものに説明がついててありがたい。

上の写真で幟が見えている天満宮。
挙母神社50(070203豊田市)

「天満宮/祭神 菅原道眞之神/祭日 五月二十五日」とあった。幟には「学問守護 子守天満宮」

木鼻。このニヤケた目は獏じゃなくて象さんと思う。
挙母神社51(070203豊田市)


向かいに居た牛さん。撫で牛なのかな?
挙母神社52(070203豊田市)


幣殿?を挟んで反対側にある2社。
挙母神社53(070203豊田市)

向かって左の小さめのが金比羅社。右が御鍬社。それぞれ「金比羅社/祭神 大物主命/祭日 四月二十二日」 「御鍬社/祭神 豊受比賣大神/祭日 四月二十六日」

境内入口の大鳥居をくぐってすぐ左の津島社。
挙母神社54(070203豊田市)

どういうわけで,こんな真正面を塞ぐような常夜燈の置き方になったんでござんしょう?

「津島社/祭神 建速須佐之男命・櫛稲田比賣命/祭日 六月十五日」とあった。常夜燈には「明治三十五年十一月建之」

社務所に向かって右のお隣。子守稲荷社。
挙母神社55(070203豊田市)


稲荷さんといえば,やはり連なった赤い鳥居ですかネ。
挙母神社56(070203豊田市)


阿の狐さん。
挙母神社57(070203豊田市)


吽の狐さん。
挙母神社58(070203豊田市)

なかなかによいお顔ではないですか?「平和日本復興記念」 「昭和二十三年三月建之」 戦後すぐですな。

稲荷さんのお社。
挙母神社59(070203豊田市)

千木は外削ぎ,鰹木は3本。身を低めるようにして赤い鳥居のトンネルを抜ると,別世界へ来てしまったような感じ。この色彩。

鳥居の手前に看板があった。

子守稲荷の御祭神及び由来
     のぼりの御奉賛について

一、御祭神
宇迦之御魂大神〔稲霊神即ち米の神様〕
佐田彦大神〔猿田彦大神の別名〕
大宮能売大神〔天鈿女命の別名・芸能の祖神〕

一、御神徳
主祭神であります宇迦之御魂はもともと米の神様として信仰されていましたが世の中が進み特に商業が盛んになると農業の神様から商売繁盛の神或は家運隆昌の屋敷神としても広く武家屋敷・町屋の随所にお祀りされるようになりました。

一、由来
この稲荷が何時、どのような経緯で此処にお祀りされたのかは明らかではありませんが、今回出て参りました棟札によりますと昭和十五年五月に覆殿が造られたとありますので古くから小洞が祀られていたものと思われます。
御祭神は京都の伏見稲荷と同じであります。従って例祭日も、伏見稲荷の祭神を初めて御祀りした日にちなんで旧二月の初午の日であります。

一、のぼりの御奉賛の受付は一旗二、〇〇〇円にて承っております
御奉賛の方は社務所までお申し付け下さい。


社殿のすぐ横にあった看板には,「稲荷社/祭神 宇迦之御魂大神・猿田彦大神・大宮能賣大神/祭日 旧二月初午」とあった。同一神社内で表記が揃ってないのにも,もう慣れてきたな(よくあるの)。

しかしオオミヤノメとアメノウズメが同一神とな?巫女系だってこと以外に共通点があったかいな?うーん。

境内社,とりあえず以上です。残った写真は,子守薬師さんと石碑とその他。あと2記事くらいで終わるかな。挙母神社さん本体の由緒の話を全然書いてないしね(公式サイトにも載ってるんだけど一応ね)。

・挙母神社
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挙母神社〔4〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,4つめ。
(前の記事はこちら→

子守薬師さんの話でもしましょうかね(もったいぶっているが,特別な知見を持っているとかそういうことは無い)。

挙母神社の鳥居をくぐって,ちょっと入って右手。元・手水舎?
挙母神社60(070203豊田市)


結構,お参りの方も居る。
挙母神社61(070203豊田市)


幟には「子守薬師如来」とある。
挙母神社62(070203豊田市)


「輝雲山瑞光院」
挙母神社63(070203豊田市)

何故本堂がこんな小屋かというと,平成12年12月11日の火事で焼けてしまったから。火事の顛末については,以下のサイトを参照されたし。火事で焼けた本堂とクスの写真が載っている。

[参照] 愛知県 有形民俗文化財 挙母祭り (ころもまつり) 豊田市
 左フレーム“▼ 2000年の模様”の下“15日”をクリック
 ※ここ数年の挙母祭りの写真・動画も満載なので,是非ご覧を。

また,豊田市郷土資料館発行の冊子によれば,
・出火は床下から
・本尊仏,(伝)行基作の阿弥陀如来座像が焼失

ご本尊が焼けたのは痛いな。行基って奈良時代の人だよ。ご住職は現在,どうしておられるのだろうかねえ。

ところで,挙母神社の住所は“挙母町5-1”,瑞光院の住所は“挙母町5-12”なので,正確には境内にあるというよりは隣接なのだと思う。仕切りは何も無いけど。瑞光院のほうも宗教法人として登録されているので,付属物というよりは別物である。

由緒の話など。例によって本から。

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」
1 瑞光院/挙母町5丁目12番地(旧大字挙母字東浦)
本尊薬師仏 浄土宗輝雲山瑞光院薬師寺といい、小坂町洞泉寺末である。むかしから「ころも三社三薬師」の一つで子守薬師という。

縁起に「淳和天皇のとき天長年中(824~33)に行基作の薬師仏を奉安して創始された。その後、康安2年(1362)鈴木氏(善阿弥の後裔)によって再興されたが、元亀3年(1572)に火災にかかる云々」とある。

寛文2年(1662)に堂守慈詮が洞泉寺11世重行の助縁を得て中興した。また挙母藩主本多兵庫頭の中殿医吉田柳軒季恒〔寛延3年(1750)6月10日60才歿〕によって再建された。延宝9年(1681)9月12日に「小森薬師如来縁起」成る。この年月日に開帳法要が修行されたのであろう。延宝旧図に「大明神社内に薬師堂あり云々」とあり、また『挙母社寺』に「薬師堂東町云々」とある。

明治4年(1871)に額田県から廃寺を命ぜられたが、同12年(1879)7月に洞泉寺末となり瑞光院と公称復古した。大正3年(1914)に厳浄が本堂を再建して中興となり、昭和36年(1961)に禎寿尼が庫裡を改築した。

昭和17年(1942)3月31日宗教団体法の認可をえ、同20年(1945)12月28日宗教法人令による設立登記し、同28年(1953)12月19日宗教法人法による「宗教法人瑞光院」の設立認証をえ、同29年9月4日に設立登記した。


「豊田の史跡と文化財」(上とかぶらない部分を抜粋・要約)
・元亀三年(一五七二)火災にかかり、薬師堂は焼け、本尊薬師如来像も一部損傷。
・天正五年(一五七七)洞泉寺四世祖貞の助けで本尊および本堂を再興
・毎月の八日薬師には神社境内に市が立つ。

洞泉寺に度々助けられている様子。洞泉寺,名前しか知らないけど,京都の知恩院の直末だって。総本山と直接繋がってるのってスゴイのかなと思って(神社だとあまり驚かない。例えば,ちーさな稲荷社が伏見の稲荷を勧請しましたと名乗っていても)。

「ころも三社三薬師」ってさ。ころも三社=子守・毘森・勝手=挙母神社・毘森神社勝手神社(下林町)でOK?それぞれに薬師堂があったってことだろうか。確かに,下林の勝手神社には薬師堂の話があった。毘森神社にもあったっけか……。

今調べたら,「挙母記」というものに,“子守,勝手には薬師仏があるのに毘森には無い。おかしいじゃねーか,もしかしたら西町出口んとこにある長薬師って地名が名残?やっぱり三社とも薬師仏があってってことでいいのかな?”とかいう内容のことが書かれてあるようだ。毘森の薬師仏は今は無い(見つからない)ということで。

挙母神社の大クスの説明看板にあった,本尊がクスの下へ逃げて難を逃れたという火事の話が出てくるね(元亀三年のやつ)。でも結局(平成の火事で)焼けちゃったんだよなあ。(伝)行基作だもん,拝みたかった。

もう片付けに入ってたけど,今年の2月の八日薬師の様子。
挙母神社1(070208豊田市)


切花,服,干物など様々に売られるようだ。
挙母神社2(070208豊田市)


鉢植えもあったよ。自分は入口の屋台でタイヤキ買った。
挙母神社3(070208豊田市)

今度は夕方じゃなく,もっと早くに行こうと思う。

・輝雲山瑞光院薬師寺
【住所】愛知県豊田市挙母町5-12
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・挙母神社
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挙母神社〔5〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,5つめ。
(前の記事はこちら→

境内の石碑などについて。

「陶器市創設 三百年記念碑」
挙母神社64(070203豊田市)

記念じゃなくて紀念かも。んん?

芭蕉の句碑。別にここへ来たというわけではないみたい。
挙母神社65(070203豊田市)

句は“木のもとに 汁も鱠も 櫻かな”。句はこれだけど,表記はこれじゃない。一部漢字のところがある(に を 仁 とか)が,読みとれないのだ。

こういう立派なのは大抵戦争関係。
挙母神社66(070203豊田市)

「殉國戦士之碑」とあった。

「有隣軒守拙翁碑」? 自信無い。
挙母神社67(070203豊田市)


一番有名(?)な匂い桜の歌碑。
挙母神社68(070203豊田市)

「立帰り猶見てゆかむ佐久良花 衣の里ににほう盛りを」
これはこの表記であってると思う。境内に,香り高い桜があったそうな,という話。三河守左近中将将具が一二六五年に白河殿歌合せで詠んだとのこと。「豊田の史跡と文化財」より。

ハチの巣だよね,これ。
挙母神社69(070203豊田市)


「針塚」。しまった,ここにも神様が居た。
挙母神社70(070203豊田市)

「針塚/祭神 少彦名命・大己貴命・息長足姫命・神功皇后/針供養 二月八日」

針供養に何故この神々かというのも判らないんだけど(他の神様なら納得するかというと,そうでもない。そもそも針供養に神様が絡むなんて知らなかった),息長足姫命と神功皇后が並列に書かれてるように見えるのは何故だ?カッコが消えちゃっただけなのかな。

神名を書いた看板の後ろの石に「針納所……」と見えた。

「社務所改築……」 昭和五十年代らしい。
挙母神社71(070203豊田市)

江戸~明治の教育者,鵜沼教(うぬま おしえ)の碑もあったらしいのだが写真が無い。何故見落としたんだろう。

社殿の西側にも鳥居があった。
挙母神社72(070203豊田市)

国道248号からヒョイと入れるので,こっちから来る人も多い。クルマはダメだけどね。

社号標。「郷社 舉母神社」。(元)郷社だよ!
挙母神社73(070203豊田市)

たまに旧社格の高いところへ来ると興奮してしまう。え?無格社も村社も愛していますとも。

その鳥居をくぐったところにあるハゼノキ。
挙母神社74(070203豊田市)

名木指定193号。

鳥居の内外に居たにゃんこ。
挙母神社75(070203豊田市)

あと白いのが居た。もう大きくなってるだろうな。

多分親猫。
挙母神社76(070203豊田市)

耳だけこっち向いてるのは,カメラとかごそごそやって怪しかったからと思う。挙母神社さん,公式サイトの写真にも猫が写ってる。寛容だー。

……由緒の話だけ残っちゃった。大変だから後回しにした結果だけど。もう1記事で終わるかな。

・挙母神社
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挙母神社〔6〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,6つめ。
(前の記事はこちら→

やっとこさ由緒の話を。挙母神社さんの公式サイトも是非。

神社にある火は,清浄な感じがするので好きだ。
挙母神社77(070203豊田市)


まずは,神社入口の案内板にあった説明を書き写しておく。
  祭神
一、高皇産霊命
一、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々藝命
一、天萬栲幡千幡比賣命
一、天之水分神
一、國之水分神

  由緒
 文治、建久の頃(一一八九)源義経の家臣、三河鈴木重善(のちの善阿弥)は源義経の没落を聞き当地に隠れ住み、そののち大和吉野から子守社を勧請して衣上之郷にまつり奉仕した。鎌倉実記、義経勲功記に「其の頃熊野の鈴木次郎重行と言うものあり、矢作川の上、衣の里と言う処あり、彼の里に庵室をしつらい住みける殊勝なる法師に里人も尊みしたしみけり、熊野の神を勧請云々」とあり延宝旧図に「大明神の本殿は四間に三間あり拝殿は長さ三間横二間とす。社内に薬師堂あり」とある。衣記に「子守大明神は往古より挙母の鎮護たり、草創は何れの年ともいまだつまびらかならず鈴木某熊野より云々」。旧幕時代は、子守大明神といっていたが明治四年(一八七一)三月十四日挙母藩庁から挙母神社と改められ藩社となり、その後郷社となった。
昭和二十一年(一九四六)宗教法人令により届出認証登記、旧社格を廃止神社等級八等級。昭和二十八年(一九五三)宗教法人による「宗教法人挙母神社」設立認証登記。昭和五十四年九月二十八日神社等級六等級に昇格。

  祭儀(大祭)
一、祈年祭 二月十七日
一、例祭 十月第三日曜日
一、新嘗祭 十一月二十三日

ご祭神は,タカミムスビ,ニニギ,タクハタチハタ,アメノミクマリ,クニノミクマリということである。ニニギ(天孫),その母(タクハタチハタ),母の父=ニニギの祖父(タカミムスビ)+両ミクマリ神。(ニニギが国でミクマリが國なのには意味が有るのかな)。

なんでこの組み合わせかなあと思って,勧請元であるという,吉野水分神社(吉野の子守社って,ここでいいよね?)について調べてみた。

[参照] Wikipedia 吉野水分神社の項

(引用)~水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、高皇産霊神・少名彦神・御子神・天津彦火瓊瓊杵命・玉依姫命・天萬栲幡千幡比命を配祀する。~

ミクマリ神はまとめて(?)1神(同じ項に『神社要録』には「天水分神・国水分神」と書かれてあるという記述もある)だが,組み合わせはほぼ同じで,挙母神社では見えない神名として,「少名彦神・御子神・玉依姫命」が出てくる(スクナヒコナは境内の針塚のところに居らしたけど)。

ここで「御子神」って誰やねん!という疑問が湧いた。どうなの。“いずれかの神の,子であるところの神”という意味しかないんじゃないのか,御子神という言葉には。

でも,ほとんどのサイトには上のように書かれているのだ。境内に案内板があったりして,みんなそれを見て書いてるから同じなんだろうか。一箇所,少名彦名命御子神(すくなひこなのみことのみこがみ)と書いてるサイトをみつけた。

[参照] 吉野水分神社夢結び.com 様

これなら理解できる気もするが,スクナヒコナの子って……という新たな疑問が。でも,挙母神社の問題じゃないから,ここまでにする。

〔案内板の要点〕
・創建は(一般的に)不詳
・源義経家臣の鈴木重善(姓は同じだが,名が違う/伝わっていない例もある)が吉野より子守社を勧請したと伝わる。
・明治四年以前は,子守大明神といった。

鈴木重善の話は,下林町の勝手神社の記事で,ぐだぐだ書いた覚えがある。ほんとに源平時代~の人か?という話など。その後,源平時代で矛盾しないと主張する資料も出てきて(どの本だったかいな)混乱中。ちょっとまだ保留にしときます。

先ほど,挙母神社と吉野水分神社の祭神を比較したが,これどう思う?

神名の順番。
挙母神社4(070208豊田市)

普通さ,エライヒト(神)から順に書かん?学会のレジュメみたいに教授が末ってのもアリかもしれないけど。

確かにタカミムスビは造化三神で別天神(コトアマツカミ)で特別だ。ニニギは皇祖の孫(天孫)でタクハタチハタはその母。でも,勧請元の順を覆してまで先頭に持ってくるだろうか?

悩んでいたら見つけた。例の「衣の里」の記述。以下に要約してみる。

■「衣の里」名倉宗義 著/昭和四十九年(流通コードなし)
「挙母神社 稚児ノ口神社 開基由来」
・垂仁天皇は第十二皇子の落別王を三川衣の郷の統治に任じた。
・皇子は宮居を衣の里に造営,高御座に神殿をつくった。
・その祭神は伊勢国一宮に祭祀される神々で,(以下簡略表記)タカミムスビ,ニニギ,タクハタヒメである。
・上の神殿が挙母神社の開基である。

がーん。異説。落別王の話は久保町の児口神社の記事に少し。

■「衣の里」続き
・後醍醐天皇が吉野へ移ったとき,援護の楠木軍は戦況が悪く,衣の里へも援軍を求めた。
・援軍を求める使者として,三河の住人「鈴木重総」が立った。
・この時,重総は吉野水分神社の宮司に頼んで山伏姿に変装,背に負う葛篭に水分神社のご分身である木像と祭事の備品一式を納めていた。
・大任を果たした重総は,木像と備品を高御座の神殿に合祀した。

ごーん。ミクマリ神が後付け!これなら上の順番で納得はいくけど!ところで,鈴木重総さんて,鈴木ホクニ商店さんのご先祖とも書いてあったよ。挙母町にお住まいの方は,このお店のことをご存知?

前半に出てきた伊勢国一宮だけど,まさかお伊勢さん(神宮)じゃないので調べてみた。椿大神社と(または?)都波岐神社・奈加等神社(合殿)らしい。あの,両方ともサルタヒコさんで有名なんですけど。

椿大神社の公式サイトによると,主神は猿田彦大神,相殿に瓊々杵尊と栲幡千々姫命とあるが,タカミムスビが見当たらない(八百萬神が合祀されてるから,その中にいらっしゃるということか?)。

玄松子の記憶様のとこの椿大神社のページには,合祀の筆頭に高御産巣日神とあった。

そうかー。どちらにしろ,主祭神からお呼びしたわけじゃないってことになるんだな。何故だろう。

都波岐神社・奈加等神社(合殿)のほうは,三神とも見当たらない。だから,「衣の里」でいう伊勢国一宮は椿大神社のことなんだろう。そうかー。何があったのかを客観的に確かめる方法って無いのかなー。

神社本体が名乗っている由緒があるのなら,それを正とするのがあるべき姿勢だとは思うのだが,異伝やなんかも知りたくなってしまうんだよね。不敬だと言われつつも,天皇陵をどうしても発掘したい気持ちみたいなね(ちょっと違うかな)。

絵馬もたくさんあった。
挙母神社78(070203豊田市)

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」に境内社のことが出ていたので,これも抜粋しておく。

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」
1 挙母神社
……境内神社に秋葉社〔祭神火産霊命、宝暦11年(1761)5月勧請〕・御鍬社〔祭神豊受比賣命・享保2年(1717)4月勧請〕・稲荷社(祭神宇迦之御魂神)・津島社(祭神健速須佐之男命)・金刀比羅社(祭神大物主命・金山毘古命・金山毘賣命)・天満社(祭神菅原道真)がある。


当方の記事(境内の看板準拠)と比べると,ご祭神が増えてたり減ってたりする。

(続き)
天満社はむかし喜多町(旧字天神)にあって天神社といっていたが、寛文9年(1669)8月18日に童子山(小坂本町8丁目)に移された。(中略)その後、明治4年(1871)3月15日現在地に移され末社となった。正徳2年(1712)2月25日朝倉孫兵衛孝政がご神体として菅原道真公の肖像画を奉納した。(中略)隣地に神宮寺と考えられる子守薬師(浄土宗瑞光院)がある。

おお,子守薬師=神宮寺説。もしそうならだけど,神宮寺よりも神社本体のほうが古くないとおかしい気がする。子守薬師の創始は平安時代初期って言われてるぞ。やっぱり,挙母神社も文治・建久(1192つくろうの前後)と言わず,もっと古いのではないか。

遊具もあった。
挙母神社79(070203豊田市)

うーん。奥深いなあ。文章なら,ぴゃっと平安時代とか書けちゃうけど,実際には(大雑把に)千年も昔のことだもんね。年月の壁は分厚い,のかなあ。

今年の秋は挙母祭りに行けるだろうか。せめて沿道からでも拝めるといいな。体調が落ち着いていますように。

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
【地図】いつもガイド
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テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

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