ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
2017年01月<<12345678910111213141516171819202122232425262728>>2017年03月
トップページサイトマップ全記事一覧表神社リスト入手地域の話題☆西風隆介先生
豊田市の神社安城市の神社刈谷市の神社岡崎市の神社蒲郡市の神社愛知県外の神社
おしらせ

■ 学校の宿題ごときでも,パクリはダメですヨ。
■ 引用・言及するときは,出典を明記 and/or リンクを張りましょう。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
勝手神社〔1〕
豊田市下林町の勝手神社。根川小学校の北西。
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

いい加減な手描き地図しか見ていなかったため,少し迷った。小学校を一回りしてしまった。

鳥居発見。
勝手神社1(070203豊田市)


振り向いてみると,参道の名残のような並木。
勝手神社2(070203豊田市)

突き当りに見えるのが小学校。

改めて鳥居から社殿方向を眺める。
勝手神社3(070203豊田市)


ピンボケの標柱。「勝手神社」
勝手神社4(070203豊田市)

上の消されている部分は,多分“村社”。裏に「大正三年一月吉日」。

鳥居。
勝手神社5(070203豊田市)


境内。結構広い。
勝手神社6(070203豊田市)


燈篭,神楽殿?,向こうに狛犬と社殿。
勝手神社7(070203豊田市)


燈篭。昭和三年一月奉納。
勝手神社8(070203豊田市)


横に「御大典記念」。
勝手神社9(070203豊田市)


神楽殿か舞殿か,それとも?いつも困る。
勝手神社10(070203豊田市)


その屋根。左三つ巴がズラリ。
勝手神社11(070203豊田市)


同じく。垂木と木鼻が綺麗だったので。
勝手神社12(070203豊田市)


社殿。境内社などと並んでいて,横に広い。
勝手神社13(070203豊田市)


狛犬さんと門。門の向こうは拝殿だと思う。
勝手神社14(070203豊田市)

シャッターが……。

阿の狛さん。
勝手神社15(070203豊田市)


吽の狛さん。
勝手神社16(070203豊田市)

昭和五十二年七月奉納。自分より若い狛犬はすぐ判る。古社だと聞いて期待していたので,ちょっと拍子抜け。

さっきの燈篭もだが,寄付人の名前に鈴木さんと鈴村さんが異様に多い。

門の前面。
勝手神社17(070203豊田市)


この注連縄,樹脂フィルムだよ。
勝手神社18(070203豊田市)

最近,たまに見る。

格子の奥を覗いてみた。
勝手神社19(070203豊田市)

何やら奥行きが。このまま本殿まで続いているのだろうな。

あとは次の記事にて。勝手神社は,ご祭神も含めてわかんないことが多すぎて,頭混乱中。ただ,境内に社記はあったし,市史とかに記述もあるし,それなりに記すことはあるのだ。

しかし知識と考察が足りない。もどかしすぎる。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ
スポンサーサイト

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

勝手神社〔2〕
豊田市下林町の勝手神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

狛犬ズ。
勝手神社20(070203豊田市)

若い狛犬でも,尻と後頭部(耳!)は可愛いのだ。日が昇ってきた。

社殿に向かって右の垣の中を覗いた。
勝手神社21(070203豊田市)

本殿とは別の建築物。境内社か。注連縄の様子からして,少なくとも中に2社ありそうな。

同じく,社殿に向かって左の垣の中。
勝手神社22(070203豊田市)

これも境内社(の覆い屋)だろうなあ。右のより年季の入っていそうな感じ。

垣の横から。
勝手神社23(070203豊田市)

電柱のすぐ右が,社殿向かって左の多分境内社(の覆い屋),その右に小さく見えるのが,多分本殿。

本殿はよく見えないので,覆い屋?の屋根。
勝手神社24(070203豊田市)

やっぱり古そうだ。

手水舎。
勝手神社25(070203豊田市)


手水舎の屋根の下にあった彫りぬき。ピンボケ。
勝手神社26(070203豊田市)

五三の桐ですかネ。

神門の飾り瓦。向かって左。ヒト?
勝手神社27(070203豊田市)


同じく向かって右。こちらもヒト?
勝手神社28(070203豊田市)


吽の狛さんの後ろの灯篭。「勝手明神夜燈」かな。
勝手神社29(070203豊田市)

年代は判らず。

社殿から西へ少し離れたところの(まだ境内)建造物。
勝手神社30(070203豊田市)

境内社?と思ったが,注連縄が無い。

その屋根。
勝手神社31(070203豊田市)


更に西の先の鳥居。
勝手神社32(070203豊田市)


「伊勢湾台風倒木植樹記念」
勝手神社33(070203豊田市)

「昭和三十六年九月吉日建之」。伊勢湾台風は,昭和34年9月襲来。台風で樹木が倒れたので植えなおしましたということか。倒れた樹そのものを植えなおし?別の新しい樹?

境内にあった忠魂碑。
勝手神社34(070203豊田市)


垣に貼ってあった社記。
勝手神社35(070203豊田市)

内容に謎が多すぎるが,とりあえず写しておく。句読点が殆んど無いので,適宜改行した。一部勝手に新字体になっているかも。
名神大社己 社記

所在地 豊田市下林町七丁目三十七番地

本社祭神 天受鬘命
相殿祭神 猿田彦命

由緒沿革


本社創建は社伝に依れば鎌倉時代後醍醐天皇の御世天徳三年三月十四日現在の奈良県吉野郡吉野町吉野山鎮座の延喜式内名神大社勝手神社の御分霊を勧請し三州加茂郡高橋の荘古宮(現在の豊田市元宮町)に社殿を造営祭祀の厳修等至らざるは無かりしと言ふ

寛文年間当地代官鳥山牛之助氏厚く崇敬せられ寛文五年己五月十一日諸願成就満福祈願の為本殿の寄進あり

又其当時矢作川屢氾濫し其都度河水社殿に浸水するを畏み寛文五年己十二月十五日供善寺ヶ原を社地として献上せられたるを以て社殿奉遷せり(現在の社地)

爾来下林の氏神として住民の崇敬を重ね年々歳々怠ることなく祭礼に勤み今日に及べり

愛知県は大正三年一月神饌幣帛料供進神社に指定せり

其後昭和二十七年十二月二十五日宗教法人として設立登記をした。

大祭日

例 祭 十月十日
祈年祭 三月二十三日
新嘗祭 十一月二十三日

月次祭

毎月十日

境内末社

大神宮社 祭神 天照大神
八幡社  祭神 応神天皇
白山社  祭神 菊理媛命
津島社  祭神 建速須佐之男命
八坂社  祭神 素盞鳴命
山神社  祭神 大山祗命
秋葉社  祭神 火結神
稲荷社  祭神 倉稲魂神

突っ込みどころ。

 1) 名神大社
  ・(本家)勝手神社が名神大社?いつから?
 2) 後醍醐天皇の御世に天徳という年号は無い。
  ・後醍醐天皇が本当なら,年号は元徳か。
  ・天徳が本当なら,村上天皇の御世である。
 3) 己って何(名神大社己,寛文五年己)
  ・これは自分が馬鹿だから判らんのかも。
  ・寛文五年なら乙巳だがそういうことではなく?

判らん過ぎる。そこでアヤシイ「豊田市史文化資料 社寺編(1)」を引っ張り出してみた。

また社蔵棟札写しに「奉献大明神御本社天徳3年(959)3月14日衣(挙母)下之宮二社大明神神宣□□鈴村甚三良」とある。

引用部分の数字を西洋文字にした挙句,括弧書きで無神経に注釈入れてんじゃねー!と思わずツッコミ。その直前に「文治建久の頃(1189)、源義経の家臣、鈴村義宗が鈴木重善(善阿弥)、篠田源之進勝善とともに、義経の没落後、当地に来て大和吉野から勝手名神を勧請し」と書いてあるんだから,年代のギャップに気付けよとか(一言も無いのだ)。頃って言いながらビシッと(1189)年代つけてるのも意味判らん。

本家,吉野の勝手神社は下手すると紀元前の創建(あんまり信じてないけど)だそうなので,そことの齟齬では確認できない。鈴村甚三良さんがいつ頃の人か,とかで追うしかないか。

創健者の苗字が鈴村と鈴木と篠原かー。寄付人の鈴村さんと鈴木さんは末裔かなー(鈴木重善の名は,挙母神社の由緒書きにも出てくる)。

不明点が多すぎるので,無駄に考えるのはここまでにして,境内社。境内の社記には「大神宮,八幡,白山,津島,八坂,山神,秋葉,稲荷」と挙げているが,前述の怪しい本には,もう一つ多賀社の名がある。どこへ行ったのか。

もう一つ,同じ本に,境内に本地仏薬師堂ありとの記述。西のはずれの建物は,それだろうか?

それにしてもイライラする(笑)。やっぱり全部,(引用物でなく)実物に当たらなきゃダメなのか。

うーむ。調査中に付き,ここまで。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

勝手神社〔3〕
豊田市下林町の勝手神社の記事,3つめ。
(これまでの記事はこちら→
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

資料のまとめをしておこうかと思う。
勝手神社36(070203豊田市)

[ ] 内は引用元。
○から始まるのが引用文。
※から始まるのは自分の覚書である。

【創建について】

[境内社記]
○鎌倉時代後醍醐天皇の御世天徳三年三月十四日現在の奈良県吉野郡吉野町吉野山鎮座の延喜式内名神大社勝手神社の御分霊を勧請し

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○文治建久の頃(1189)、源義経の家臣、鈴村義宗が鈴木重善(善阿弥)、篠田源之進勝善とともに、義経の没落後、当地に来て大和吉野から勝手名神を勧請し
○また社蔵棟札写しに「奉献大明神御本社天徳3年(959)3月14日衣(挙母)下之宮二社大明神神宣□□鈴村甚三良」とある。

【鎮座地・社殿】

[境内社記]
○三州加茂郡高橋の荘古宮(現在の豊田市元宮町)に社殿を造営
○寛文年間当地代官鳥山牛之助氏厚く崇敬せられ寛文五年己五月十一日諸願成就満福祈願の為本殿の寄進あり
○矢作川屢氾濫し其都度河水社殿に浸水するを畏み寛文五年己十二月十五日供善寺ヶ原を社地として献上せられたるを以て社殿奉遷せり(現在の社地)

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○衣下之郷(旧大字挙母字下ノ郷=元宮町付近)の総鎮守とした
○たびたびの水害などで古記録等全く失われている
○14世神宣鈴村彦七のとき寛永17年(1640)11月12日に本社建立の棟札
○低地のため年々の被害に、15世社主彦左衛門が父彦七とともに寛文4年(1664)年に向山供膳寺原の下渡しを三河代官鳥山牛之助精明に願い出て、同年12月に許された。
○棟札に「鳥山牛之助様ノ諸願成就満福祈事、元社地日々洗米燈明献納之為私ヘ下渡事、供膳寺原私ヘ御下渡相成以為、寛文5年己12月15日神主父鈴村彦七鈴村彦左衛門」とある。
○同6年(1666)1月28日長興寺村塩谷喜右衛門が明神境内に松檜500本を寄進/昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風に全く荒廃した。
○昭和37年(1962)10月社殿の大改繕

【境内社】

[境内社記]
○境内末社/大神宮社 祭神 天照大神/八幡社  祭神 応神天皇/白山社  祭神 菊理媛命/津島社  祭神 建速須佐之男命/八坂社  祭神 素盞鳴命/山神社  祭神 大山祗命/秋葉社  祭神 火結神/稲荷社  祭神 倉稲魂神

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○大正3年(1914)に旧字元屋敷(同町5丁目)にあった八坂神社・秋葉社・津島社を合祀
○境内神社に秋葉社(むかしの下林の鎮守であったと伝へる)・稲荷社・津島社・八幡社・大神宮社・白山社・山神社・八坂神社・多賀社があり、境内に本地仏薬師堂がある。

【人物と年代】

[Wikipedia]
後醍醐天皇:在位期間 文保2年(1318年)~延元4年/暦応2年(1339年)8月15日
源義経:討死 文治5年閏4月30日(1189年6月15日)

[豊田市史(1)]
○鈴木重善(善阿弥):猿投神社には、一三四六年から一三六四年にわたる三〇年間の史料が残っている。(中略)いずれにしても、実在の善阿弥は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人であるが、伝説上の善阿弥は、実際より一五〇年位、古くされているのである。

[愛知エースネット]
鳥山牛之助:1617年(元和 3) 三州東条(横須賀町)で出生/1666年(寛文 6) 三河代官となる/1666年(寛文 6) 勝手神社を水害から守るため移転させる/1669年(寛文 9) 毘森神社を水害から守るため移転させる/1673年(延宝 1) 矢作川の洪水を防ぐため堤防を曲尺手の形にして,出水時の遊水池をつくる/1707年(宝永 4) 91歳で没
※ [豊田市史文化資料 社寺編(1)] には精明とあるが,精元のようである。

(資料なし)
鈴村義宗/篠田源之進勝善/鈴村甚三良/鈴村彦七/鈴村彦左衛門/塩谷喜右衛門

【その他】

※鈴木重善(善阿弥)・鈴村義宗・篠田源之進勝善の3名は,揃って毘森神社,挙母神社(子守社),勝手神社(下林町)の創建の場面に出てくる。

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○鈴木氏が衣上之郷に子守社・篠田氏が衣山之郷に毘森社(熊野社)・鈴村氏が衣下之郷に勝手社をまつり、それぞれ奉仕したので、毘森・子守・勝手は衣三社といわれるようになったと伝えている。

※三社は揃って吉野からの勧請である。

[神奈備]
吉野の神社・聖地:吉野八社明神とは幣掛(四手掛)神社,威徳天神,井光明神(佐抛とされる),勝手明神(吉野山口神社),夢違観音堂(竜王社:御幸の芝明神) 、子守明神(式内吉野水分神社)、牛頭天王社、金精明神(式内金峯神社)である。

※勝手明神(吉野山口神社)→勝手神社
※子守明神(式内吉野水分神社)→挙母神社
※?→毘森神社
 ・吉野から毘森明神を勧請とあるが,毘森明神って?
 ・祭神ミズハノメで探すと,吉野郡に丹生川上神社があるが?
 ・[豊田市史文化資料 社寺編(1)] の毘森社(熊野社)って?

[Wikipedia]
熊野本宮大社:第十一殿(飛行夜叉): 弥都波能売命 : 不動明王
○本地仏薬師堂:薬師堂(やくしどう)とは、薬師如来を主仏とする仏堂または仏教寺院の一般的な名称。

[本地垂迹資料便覧]
吉野(金峯山):鎮守勝手子守等ノ神体習ノ事/伝テ云。勝手大明神ハ此多聞天王ノ垂跡、此レ仏法護持ノ大将、国家鎮守ノ首領也。

つまり創建は義経に無理にくっつけたっぽい善阿弥伝説と入り混じってよく判らず,衣三社のうち毘森明神がどこから勧請されたのかイマイチつかめず,吉野八社の佐抛まで猿投だったら面白い(かなり私情が入っている)……ということである。

薬師堂の中には毘沙門天がいらっしゃるのかなー。どうかなー,とか。

今朝の記事があまりにもアレだったので,少しだけまとめてみたというモノである。すこーしイライラ解消。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。