ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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八柱神社〔1〕
豊田市畝部東町の八柱神社。愛知,特に西三河,更に言うと豊田市には八柱神社がヤタラ多い。面白いから全部巡ってみようと思っているのだが,回り切れるのはいつのことやら。

とりあえず,この記事では鳥居から社殿まで。天然記念物やら境内社やら盛りだくさんなので,複数記事に分けて書くことにした。

矢作川の堤防のすぐ外側に鎮座。洪水とか怖そう。
八柱神社1(070328豊田市)


「(塗りつぶし)八柱神社」の社号標とベカラズ集。
八柱神社2(070328豊田市)

ベカラズ集が木製だー。社号標の年代は,見てくるの忘れた。

鳥居。額には「八柱神社」
八柱神社3(070328豊田市)


水盤。
八柱神社4(070328豊田市)


境内は結構広くて,大きな樹がたくさん。
八柱神社5(070328豊田市)


こう,だんだん寄って行くと,
八柱神社6(070328豊田市)


バーチャル参拝風?狛犬さんと拝殿。
八柱神社7(070328豊田市)

背後に鉄塔が見えたりしてな。嫌いじゃないけど,こういうの。

阿の狛さん。
八柱神社8(070328豊田市)


吽の狛さん。
八柱神社9(070328豊田市)

昭和十一年三月奉納。やっぱり大正~戦前の狛犬はいいなあ。

拝殿の額に「八柱神社」。
八柱神社10(070328豊田市)


拝殿を横から。
八柱神社11(070328豊田市)


ええとね。屋根が二つ……,八幡造でいいのかな。両方本殿で。
八柱神社12(070328豊田市)


寄ってみればシロウトにでも判るかというと,うーむ。
八柱神社13(070328豊田市)

建築の話はナカナカねえ。植物の形態分類みたいに,系統立った説明があればいいんだけどねえ。

由緒その他は以降の記事にて。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
【地図】いつもガイド
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八柱神社〔2〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

由緒,ご祭神について。

由緒碑の後ろのクスもかなり立派。
八柱神社14(070328豊田市)

八柱神社の大樟は天然記念物で有名だが,これではない。ここの境内の樹木は,全般的に凄いのだ。

由緒碑。
八柱神社15(070328豊田市)


内容は以下。適宜改行した。
八柱神社由緒記

御祭神 天照大神の御子五男三女神を祀る。

 天忍穂耳命
 天之菩卑能命
 天津日子根命
 生津日子根命
 熊野久須毘命
 多岐理毘賣命
 市寸嶋比賣命
 多岐津比賣命

 古書によれば有史以前に伊勢海岸から磯部族がこの地に移りきて住すという

 三十五代孝徳天皇白雉三年(六五二)釆女朝臣勅によりこの地の郷長となり釆女郷と名づく 始祖を祀って氏神となし宇祢部大明神と称す これ当社の起因なりと伝う

 寛正四年(一四六三)川端福林寺の住持誓誉上人が水害を憂い寺の持仏を社に安置して寺の鎮守となす 以来永禄年間まで寺の社として寺祭を行う

 天正十年(一五八二)領主島田三河守寄進により本殿を改築 一時川端明神とよぶ

寛永年間の頃社名を八王子神社に改む

徳川時代に大水害あり 悲惨困窮甚だし

 宝暦七年(一七五七)中島堤防決潰
 明和四年(一七六七)川端堤防決潰
 安永八年(一七七九)川端堤防決潰
 嘉永三年(一八五〇)川端宗定堤防決潰
 嘉永六年極度に傾いた社殿を修復

 明治維新の際社名を八柱神社と改む
 明治五年村社に指定
 明治三十九年(一九〇六)傾廃甚だしくなった本殿を改築
 明治四十一年供進神社に指定

昭和十年社殿を改築 石垣を巡らし地上げをして造営された宏壮なる社殿と大広前に建立された大鳥居など相俟って社の面目を一新

 翌十一年三月二十八日上棟の盛儀を挙ぐ

 昭和十四年十月二十五日御神木の大樟天然記念物に指定

 昭和二十二年宗教法人に指定 九級社

 昭和三十四年九月二十六日未曾有の伊勢湾台風によって本殿倒潰

 昭和六十二年本殿新築に着工 六十三年完工 待望久しき本殿の復旧なって社の面目が整い同年十月二十三日氏子を挙げて竣工祭を行う

“天照大神の御子五男三女神”……この場合スサノオノミコトの立場はどうなっているのだ?まあ,だいたい八柱神社というと,この八柱がご祭神であることが多いみたい。ただ,豊田市長興寺の八柱神社みたいに,同じ八柱でありながら,加茂明神の子であるなどとしている場合はある。

“多岐理毘賣命/市寸嶋比賣命/多岐津比賣命”……さてコノ,毘賣と比賣の違いはなんじゃろうか?前者をビメ,後者をヒメと読むらしいが。素朴な疑問。

“磯部族”……「上郷風土記」に,以下のようにある。
(前略)往時この地は磯部族とて有史以前、古民族の住したることが記されている(遊魚の注:文章の流れからすると,福林寺の古書に記されているということか)。伊勢海岸にあった海人族、即ち伊勢部(磯部)族が三河の海岸に移り更に矢作川を遡りてその沿岸に居を占むるに至り、その祖神を祀ったのがこの地方神社奉斎の起源なりと(後略)

磯部族が具体的にどういった一族であるかは判らない。お伊勢さんの資料に出てくるだろうか。

“三十五代孝徳天皇白雉三年(六五二)釆女朝臣勅によりこの地の郷長となり釆女郷と名づく”……釆女朝臣て,日本書紀に出てくるんだよね。同じ人なのかなー(まだそこまで読めてない)。とにかくこの方の名前より,釆女→畝部(今の地名)なのだそうだ。

“福林寺”……今の阿弥陀院(畝部東町寺裏)のことだそうである。かなりの古刹であると上郷コミュニティーセンターのサイトにあった。

[参照] 兼高長者の宝筺印塔のある古刹を訪ねる

“始祖を祀って氏神となし”……磯部族の始祖ってことだろうな。一気に八柱祀っちゃうあたりの考え方が判らないけど。

やっぱり水害は凄いみたいだねえ。あと,三河の神社は大抵,伊勢湾台風で多かれ少なかれ被害受けてるね。高校のときの社会の先生が豊橋出身で,流れ着いたご遺体の搬送をした経験談をしてくれた。あと,矢作橋(岡崎市)の辺り,橋から水面が触れたっていうもの(普段は数メートル下。ちなみにこの増水がまだ引かぬ中,矢作川バラバラ事件があった)。伊勢神トンネルの心霊話も,この台風絡みだし。

もうちょい古くなると,場所によっては戦災と,三河地震か。古いものは,色んな出来事を潜り抜けて来てるからね。

さて,境内に由緒碑はあったけれども,一応本のほうもあたっておくことにする。

「豊田市史10」
地区:畝部東町宮裏1/社名:八柱神社/祭神:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命他一〇柱/創建:白雉三年/祭日:10月21日/由緒:旧村社・畝部郷(釆女郷)の総氏神旧宗祢部八王子社

住所が違っている。変遷があったっけな?由緒のところの“宗祢部”は,“宇祢部”の間違いだと思われる。代表神他一〇柱とあるので,全十一柱?八神以外はどなただろうか。

「上郷町誌」
八柱神社/鎮座地:上郷町大字川端字宮裏1番地/祭神:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天之菩卑能命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,多岐理毘賣命,市寸嶋比賣命,多岐津比賣命, ほかに“三神(御名不詳)釆女部民の始祖を合祀す”との伝えがある。

これもこの後の記述に“宗祢部”とある。豊田市史の元ネタがこの本であるっぽいので,片方間違えばもう一方も間違う,のだと思うが。釆女の始祖=磯部の始祖だとすると,これは八神ではなくて,お名前のわからなくなってしまった,しかも合祀の三神ということなのだろうか?やっぱり磯部族のことを調べないとダメみたいだね。

「碧海郡誌」には八神のみ
「碧海郡神社写真帖」には七神。熊野久須毘命が無い。

「上郷風土記」(上にも引用したのでそれ以外)
〔要約〕寛永4,5(1627~1628)年ごろ,狩野益信の描いた“五条橋で闘う弁慶と牛若丸”の絵馬を奉納した者があった。すると毎夜毎夜,社殿の中から剣戟の音がするようになった。福林寺の僧信海が,怪しんで,ある夜覗きに行ってみると,絵馬の二人が秘術を尽くして闘っているではありませんか!
 信海は絵馬を持ち帰り,絵の部分を塗りつぶしてしまったが,1,2年して塗りが剥げるとまた剣戟の音が!……というわけで,毎年の暮れごとに,寺で塗り供養をすることにいたしましたとサ。この供養は,天保年間まで行われていたそうな。
(by 川端村の庄屋・利左衛門の日記)

左甚五郎のネズミがとか,屏風に描いたスズメがとか(こりゃ落語か)の話はあるけど,やっぱ狩野派の絵師の描いた絵は動きますかね。ううむ素晴らしい。地元に,こんな有名なモチーフの伝説があったとは。

何やら調べ切れていない部分が多々あるが,由緒とご祭神については以上。あとは,天然記念物のクスとか,境内社のことを書く予定。

・八柱神社
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八柱神社〔3〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,3つめ。
(前の記事はこちら→〔1〕〔2〕

境内社は後回し。天然記念物の大樟,その他について。

境内の東(社殿の向かって右)にも鳥居。
八柱神社16(070328豊田市)

かなり年季の入った鳥居である気が……。年代を確認してくるのを忘れてしまった。「豊田市の石像文化財」に,宝永八年の鳥居があると書かれているのだが,多分正面の鳥居じゃなくて,こちらのことだと思う。宝永八年というと1711年。約300年ものの鳥居ということになる。

美形の神馬さん。横っ腹の紋は“丸に剣片喰”だと思う。
八柱神社17(070328豊田市)


その神馬さんの鼻先と尻尾のほうに看板がある。
八柱神社18(070328豊田市)


鼻先の看板,社殿寄りの大樟が愛知県指定の天然記念物。
八柱神社19(070328豊田市)

凄いよね,この根回り。

看板。
八柱神社20(070328豊田市)

幹周17メートル,樹高20メートル,樹齢は約千年とある。幹の周囲を正確に記録する場合,地面から1.2メートルのところを測らねばならんはずだが(胸高直径という),この幹周ってどこの数値を言ってるんだろう?凄いことに変わりは無いけど。弘法大師お手植えみたいだし。

「天然紀念物八柱神社ノ大樟」
八柱神社21(070328豊田市)

「昭和十四年十二月建之」。チョットマテ。上の看板に,指定は昭和三十一年とあったじゃないか。

もう一回「上郷風土記」(戦後数年あたりの記述)を引っ張り出してみたら,“十三年神域の巨樟、史蹟天然記念物の指定となり”とある。指定元が違うんだろうか。戦前のことはよく判らない。

神馬さんの尻尾の先にあるのが,豊田市指定の天然記念物。
八柱神社22(070328豊田市)


看板。
八柱神社23(070328豊田市)

樹高20.0メートル。目通り5.0メートル。根回り7.4メートル。目通りって目の高さのことかなあ。

「敬宮愛子内親王殿下誕生記念」
八柱神社24(070328豊田市)

ガンバレ!大樟に負けずに大きくなるのだ!

この樹も立派だった。向こうはすぐ矢作川の堤防。
八柱神社25(070328豊田市)

三月末に行ったのだが,ツクシを摘んでる人が居たなあ。

残りは境内社。次あたりの記事で書く予定。

・八柱神社
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八柱神社〔4〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,4つめ。
(前の記事はこちら→〔1〕〔2〕〔3〕

境内社などについて。

境内社は,八柱神社社殿の東側奥に3つある。
八柱神社26(070328豊田市)

上の写真だと,「八幡社」と大きくあるすぐ左に人物像,境内社1つめ,2つめ,樹の向こう側にもう1社というふう。

これがその3社。よく見ると右隅に小さな水盤が。
八柱神社27(070328豊田市)


向かって右,一番大きな「八幡社」。
八柱神社28(070328豊田市)


右から2番目。次に大きな「秋葉社」。
八柱神社29(070328豊田市)

ズームの倍率のせいで,秋葉社のが大きく見えちゃうね。

右から3番目。一番社殿寄りの「津島社」。
八柱神社30(070328豊田市)


この向きで銅葺きで,千木あり&鰹木なしは初めて見たかも。
八柱神社31(070328豊田市)


この津島社の社殿がまた美しくて。小さいのに。
八柱神社32(070328豊田市)

木鼻がいいでしょう。獅子鼻と獏鼻。よく見たら,新しげな蜘蛛の巣が。春だから、しょうがないね。

八幡社については,由緒碑があった。
八柱神社33(070328豊田市)

内容は以下。適宜改行。
川端八幡社由緒

御祭神 應神天皇 又の御名 譽田別尊

 巨樟天を覆ひ神韻縹渺たる八柱神社神域の奥 いかしく在す八幡社 是かけまくも畏き川端の氏神にましまし 古往今来 日々限り無き恩頼を蒙りてあること 斉しく謝し奉らん

 抑々川端八幡社の由来は 遠き平安千年の昔 源氏東征を終へての帰路故ありて 宇佐八幡宮より奉じ来し大神をこの地に鎮め祀れりと傳ふ

 大川の堤塘高くして治水全き豊饒の今 社頭に額づきて往時を偲べば 幾世幾そ度すべてを押し流さん洪水氾濫に ひたすら大前に祈り禱りて身命を賭し 村を守りし父祖の心 惻々と胸に迫る

 神助灼かにして 天明水難の危機 神域の大樹倒れて濁流を遮り 村流失を救ひ給へりと謂ふ

 和風佳日 御社堤上に高く清流に白帆映じ 河畔水村人々相睦び 桃源の如き在りし日々を懐慕して止まず 神明昭々として普く大神たち御照覧の下 行く先永遠に栄へんこの古里を共に讃へ 敬神崇祖の美風更ならんことを希ひ 同志相諮りて此の碑を捧ぐ

 平成七年九月吉日

これは素晴らしい美文。と思った。素人心に。どうですかね,詳しい方。そうそう,“神韻縹渺”が一括変換できるMS-IMEは天晴れであった。ほめてつかわす(エラソー)。

源氏の絡み。宇佐八幡の神様を,東方平定時にお連れ申し上げていたのだな。それを故あってこの地にお祀りしたと。“灼か”は変換できなんだが,よい話が書いてある。

碑の裏面に参考文献が書いてあった。リファレンスつきの由緒碑とは,何と素晴らしきこの姿勢。美文と相俟って感涙もの。ちなみに,文献とは以下。

一、宇佐八幡宮古文書
一、上郷神社明細帳 三帖
一、上郷神社雑書  七帖
一、神谷四郎宮司口伝書置帳
一、源氏東征の前九年の役一〇六二年九月終わる


上郷~と神谷宮司の口伝書,拝みたいなあ。ここで,表側の碑文に“東征を終へての帰路”とあった東征=前九年の役,らしきことが判る。それから,参考文献に続いて,矢作川の堤上より八柱神社境内に昭和三十七年移されるとある。

その後,ご神職と氏子さんのお名前が続くのだが,ご神職のお名前が神谷さん。上郷地区の神社を巡ると,あちこちで拝見するお名前である。神谷四郎宮司が,ご先祖に当たられる方なのだろうか。

人物像。
八柱神社34(070328豊田市)

そっくりなお顔の像を長興寺の八柱神社でも見た。側面の説明書きによると、乃木大将だそうである。伊勢湾台風で損壊したので修復したよ,とのこと。

裏に「昭和十一年三月二十八日 上棟式記念」とあった。

津島社の前辺りの樹。中央上寄りをよく見ると……
八柱神社35(070328豊田市)


巨大サルノコシカケ。両手をいっぱいに広げたくらいの大きさ。
八柱神社36(070328豊田市)


まっくろくろすけとか居そうなウロもあるし。
八柱神社37(070328豊田市)


もっと上のほうにもサルノコシカケがあった。
八柱神社38(070328豊田市)

時を経ているっていうのは偉いことだなあと思う今日この頃。

畝部東町の八柱神社については,とりあえず以上。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
【地図】いつもガイド
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