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実際に地元の方が何と呼んでらっしゃるかは未確認(正式名通りに呼ばれて無い例もあるでしょ?)。
行き当たりばったりにJR三河三谷駅下車,三谷町内の天白神社(記事はこちら→1,2),若宮八幡&田尻神社(未紹介),秋葉神社と回って,かなり疲れて歩いていたら,駅前通から千木と鰹木が見えた。
レストランの看板に黒ずんだ塀に煙突に神社の屋根って凄い構図

そしてブルーシート。雨漏りでもひどいのかと訝りつつ,近づいてみた。
おっと工事中。これは東側の脇の小さな鳥居。

社殿正面の鳥居まで回ってみた。実はこれが三の鳥居。

社殿(神殿)の建て替え工事のようだ。

真ん中の「東立面図」,右端が本殿にあたると思うのだが,こののっぺり&窓つきには見覚えが。天白神社の本殿か。
ご迷惑かと思って鳥居の外から写真を撮っていたら,休日だというのに一人で仕事してらした作業員の方に「入ってもいいよ」と声を掛けていただいた。ありがたく中に入った。とはいえ,勿論,立ち入り禁止区内へは入らず。
わー拝殿バキバキ。

なかなか見られる光景じゃないよね。
こんな状況でカラス。写ってないがスズメもたくさん。

工事現場は楽しいかい?何かいいものが落ちてるのかな。

もう一回,反対側から,うひゃー。

こんな時,神様はどちらへ?と思っていたら,ちゃんと避難(?)しておられるようだ。
下社務所が仮拝殿に。

ちゃんと灯の入ってる神社っていいなあ。

一枚二千円で,新神殿の瓦を奉納できると書いてあったのだが,ヨソモノのすることでもないかと思って辞めてきた。あとから漏れ聞いたところによると,神殿修復の資金集めは難航しているっぽい。数千円なりとも,納めてくるべきだったか。
仮神殿の逆立ち唐獅子。後ろ足ぴーん。

反対側でもぴーん。

さっきから参道を逆に歩いている。途中に立派な由緒書き。

内容はあとで。
これが二の鳥居。額には「八劔宮」

これが一の鳥居。かなり大きい。額には「八剣宮」?

号標には「郷社 八劔神社」

「寶飯郡三谷町鎮座」になっとるね。三谷町が蒲郡町,塩津村と合併して蒲郡市が出来たのが1954年4月1日なので,この号標はそれ以前のもの(見てくるの忘れた)。
関係行事を書いた紙がガラス張りの掲示板に貼ってある。

大通り沿いなので,これくらいしないとボロボロになるな,きっと。車バンバンだし。海も近いしさ。
境内社や石碑も面白かったのだが,後の記事で紹介することにして,由緒書きを写しておく(適宜改行した)。
御由緒
一 祭神
日本武尊
一 由緒
當八劔神社ハ國内神名帳に從五位上八劔神社坐寶飯郡トアル古社ニシテ尾張國愛智郡熱田ノ宮ニ鎮リマセル神靈ヲ勧請移座セル深キ由緒ヲ有ス
抑々當社は古來三谷郷産土ノ神トシテ郷黨尊崇ノ中心タルノミナラス又武神トシテ世々ノ武將ヲ始メ一般衆庶(※旧字体)ノ崇敬を蒐ム
建久元年安達藤九郎盛長ハ源朝ノ命ヲ受ケ奉行トナリテ社殿ノ造営ニ任シ徳川家康ハ天文十六年駿河ヘノ途次及ヒ天正十年濱松ヘノ歸途特ニ當社ニ參拜シテ武運長久ノ祈願ヲ籠メタリト傳フ
慶長五年領主ヨリ社領ノ寄進アリ
爾後各領主亦之ニ倣ヒ以テ明治維新ニ及ヘリ
三河二葉松ニ三谷村八劔大明神社領六石六斗四升六合トアルハ是ナリ
明治十七年八月十二日社格ヲ附セラレテ郷社ニ列セラル
往昔ハ廣表四町四面ノ神域ヲ有セシカ戦國ノ亂世ニ及ヒ縮狹セラレテ今ハ森ト称(※旧字体)スル地名ニ纔ニ其ノ名殘ヲ留ムルニ過キス然共尚千八百有餘坪ノ境内ニハ老松鬱蒼トシテ社殿ヲ圍繞シ古ヲ偲フニ足ルモノアリ
境内神社トシテ源太夫神社諏訪神社稲荷神社御鍬神社秋葉神社尺地神社水神社金比羅神社ノ八社ヲ存ス
一 例祭
陰暦九月九日俗ニ三谷祭ト称(※旧字体)ス
建久元年は1190年,天文十六年は1547年,天正十年は1582年,慶長五年は1600年。「三河二葉松」って,三河史の資料になりそうだな。引用しか見つからんけど。
ほー。日本武尊。ほー。家康も頼朝も絡むか。ほー。
次の記事で,境内社その他について記す予定。
・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139
境内社について。
社殿に向かって右の源太夫神社。

蒲郡市博物館の説明によれば,ご祭神は乎止世命。こちらでの記述は「源太夫社」。境内の由緒書きや鳥居の額には「源太夫神社」。
乎止世命って知らなんだので調べてみた。ヤマトタケルの妻,ミヤズヒメの父親らしい。尾張国造だったって。読みは“オトヨノミコト”。
古事記をひっくり返してみた。ヤマトタケルが父天皇に「東国を平定してこい」と命ぜられ,もうそういうのが何回も重なって哀しくなってたタケルが叔母のヤマトヒメに泣きつくシーン(ここでクサナギノツルギと火打石入りの袋をもらう)の直後に「到尾張國、入坐尾張國造之祖、美夜受比賣之家」とあるが,父親の名は無いようだ。
同じく日本書紀では,ヤマトタケルが,動こうとしない兄オオウス(猿投神社の主祭神である)のかわりに「俺が行くぜ」と言って東国へ。で,色々あって信濃→尾張でミヤズヒメが出てくるが,「即娶尾張氏之女宮簀媛」で,やっぱり父親の名はない。
そういや尾張氏のことが先代旧事本紀に出てくるわってんで探してみると“天孫本紀”に「乎止與命が尾張大印崎の娘,真敷刀婢為を妻として一男をもうけた」とは書いてあるらしい。娘は?
よく判らんが(熱田神宮の伝承には出てくるのだろうなあ。摂社にいらっしゃるようだし),源太夫神社には,八劔神社のご祭神,ヤマトタケルのお舅さんが祀られているということで一つ。
同じく社殿の向かって右。「諏訪神社」と「天満社」。

最初に見つけた脇の鳥居を入ってすぐ右のところ。天満社は由緒書きには出てこなかったがなあ。書かれたより後に祀られたのかなあ。
同じく。向かって右が諏訪神社。左が天満社。

ちゃんと牛くんが居る。一つのお社に2社ですよーという注連縄の掛け方。千木は外削ぎ,鰹木は5本。
また蒲郡市博物館の説明によれば,諏訪神社のご祭神は御柱の諏訪大社と同じで建御名方神,天満社は自在天神とある。自在天神は,その神号を付けられた菅原道真公ということでいいのだと思う。
三の鳥居から入って左手。

三社まとめて入ったお社と,赤い鳥居と幟の稲荷神社。
社殿にあった看板によれば,三社とは
秋葉社
【祭神】火之迦具槌大神
防火 防災 工業の神様
御鍬社
【祭神】天照大御神
農業推進五穀豊穣の神様
尺地社
【祭神】猿田彦大神
鎭宅 防災 守護の神様
大棟(屋根の合わさった一番上)に金色の丸が見えるが,あれが3社それぞれの神紋であるはず。きちんと見て来ればよかったな。由緒書きでは「秋葉神社」「御鍬神社」「尺地神社」。
屋根にハト。よく見ると吽の狛犬の頭の上にスズメ。
稲荷神社。幟には「伏見稲荷大明神」

看板によれば,
稲荷社
【祭神】宇賀之御霊大神
五穀を司どり商売繁盛開運の神様
蒲郡市博物館の説明によれば,ご祭神は「稲蒼魂命」なんだけど,倉稲魂の間違いだよね。由緒書きでは「稲荷神社」。
最初に見つけた鳥居を入ってすぐ左の「水神宮」

工事のおじさん,カメラ目線だった。ごめんなさい。お邪魔しましたです。由緒書きでは「水神社」。ご祭神は未調査。
二の鳥居を入って左の「金刀比羅社」。

由緒書きには「金比羅神社」。ご祭神は香川の総本社と同じだろうか?
こんぴらさんの額。緑青かな?いい色。

社殿に向かって左にあった建物。

額が読めなかった。境内社ではない気がするけど,何だろう?あんなところに八劔宮なんて立ってるし。
境内社,建物系は以上。あとは石碑などを後の記事にて。
・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139
(前の記事はこちら→1,2)
その他境内にあったものについて。
三の鳥居入ってすぐ左の神馬。

横っ腹の紋は丸に……五三(五七?)桐に……竹か。熱田神宮の神紋が桐竹(桐は五七)なのだが,ええと?
神馬と境内社の間,「皇大神宮遥拝所」

水神宮向かって右の「靖國神社遥拝所」

水神宮向かって左の「長寿の亀」

「この亀にのると長生を致します」
いや……乗らなかったけど……。
二の鳥居入って左の「武内明道柳心斎先生之碑」

どちらさまでござんしょう。存じ上げない。
後ろに「一金五千圓也」という石柱も見えるが,蒲郡の神社内にはこういうのが林立している。この辺りでは,こうやって一本一本立てる流儀なのか。
二の鳥居を入って右だったかな。「日露戦役紀念」の石燈篭。

蒲郡市教育委員会による三谷祭の説明看板。

同じ三谷町内,田尻神社横の若宮八幡宮にも同じ看板があった。男衆が山車を引きながら海中へ突っ込むという凄いお祭らしいよ。
[参照] Google イメージ検索
例祭日は十月の第四土日って書いてある。人ごみダメだけど,これは見てみたいなあ。
今回のレポートは,2006年の暮れに行ってきた時のものなので,改修工事はもっと進んでいるはず。いつ完成予定なのかな,完成したら,また行きたいと思っている。
・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139