ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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綿積神社〔1〕
岡崎市柱町の綿積神社。色々あるので,複数記事に分けて書くことにする。

JR岡崎駅から西へ200mほど。
綿積神社1(061216岡崎市)

他の神社へ行ってから,手書きのイイカゲンな地図だけを頼りに歩いて行ったら,ちょっと迷った。

鳥居に向かって左の社号標。「村社 綿積神社」
綿積神社2(061216岡崎市)


同じく右の社号標。「綿積神社」
綿積神社3(061216岡崎市)

年代を見て来ればよかった。どっちが古いとか。

鳥居。何故か変なアングルの写真ばっか撮っている。
綿積神社4(061216岡崎市)

何を考えていたんだろう,自分。

鳥居の額。えらい縦長。見辛いが「綿積神社」
綿積神社5(061216岡崎市)


手水舎。
綿積神社6(061216岡崎市)


ここの狛犬さんもデカかった。
綿積神社7(061216岡崎市)


狛犬さんと,ええと……。
綿積神社8(061216岡崎市)

ここでいつものように,拝殿と書いてしまわないのにはわけがある。

脇へ回ったら,こんなものが。「拝殿握舎新築記念碑」
綿積神社9(061216岡崎市)


で,狛さんの後ろの建物の隙間から奥を覗くと,
綿積神社10(061216岡崎市)

千木・鰹木つきの建物が手前と奥に二つ!

一番奥が本殿なのは間違いないとして,拝殿と握舎。握舎はアクシャとかアクノヤというらしく,機能としては,多分控え室のイメージ(ちゃんと解説した資料は見つけられなかった。各種断片から勝手に判断したもの)。

ということは,狛犬さんのすぐ後ろの建物が握舎で,その奥にが拝殿,一番向こうが本殿?

阿の狛さん。
綿積神社11(061216岡崎市)


吽の狛さん。
綿積神社12(061216岡崎市)

大正八年十月奉納。

(多分)握舎……(不安)。
綿積神社13(061216岡崎市)

「奉祝 悠仁親王殿下御誕生」。御誕生は9月。参拝は12月だが,あちこちの神社で同じ垂れ幕を見た。握舎?の千木は外削ぎ。鰹木は7本。

神様聞いとくれ!ガラガラ。
綿積神社14(061216岡崎市)

ピンボケだが,吊るしている金具以外に巻かれている鎖が気になったので。(金属だし)盗難対策か?

握舎?の中。賽銭箱。やっぱりこの形がいい。
綿積神社15(061216岡崎市)

近頃は金属のポスト状のが多いけど。

横へ回って,拝殿?と本殿。多分。
綿積神社16(061216岡崎市)

拝殿?の千木は外削ぎ。鰹木は5本(と思う)。
本殿の千木は外削ぎ。鰹木は9本。

全て千木は外削ぎ,鰹木は奇数本だった。ここは定石通り男神かと,そちらから想像するまでもなく,神社名でご祭神は明らか。あ,でもワタツミで女神のこともあるか……。

などと下手くそな引きでもって以下次号。

・綿積神社
【住所】愛知県岡崎市柱町字北屋敷14
【地図】いつもガイド
■関連■
 ★訪問神社リスト【岡崎市】
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綿積神社〔2〕
岡崎市柱町の綿積神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

由緒の前に,境内社の話を。

社殿に向かって,右側の奥に並んでいる。
綿積神社17(061216岡崎市)


右から順に,「柱津天神社」
綿積神社18(061216岡崎市)


右から二番目,つまり中央。「護国神社」
綿積神社19(061216岡崎市)


一番左。「熊野神社」
綿積神社20(061216岡崎市)

さて,柱町は岡崎市の中でも,旧額田郡に属した部分である。今の岡崎市の大部分は,元額田郡だが,柱町はキワ近くにあって,ちょっと西へ行くと,すぐに旧碧海郡だった地域に出る。

我がファイルには乏しい,額田郡の資料を漁ってみた。

「三河國額田郡誌 全」(大正十三年刊)。これしか無い。神社のところだけコピーしてきたやつだ。神社一覧のところに,下のようにある。

(村社)/神社名:綿積神社/鎮座地:岡崎村大字柱/祭神名:綿積命 外四柱/創立年代:(記述なし)/例祭日:十月七日/供進指定日:明治四十二年九月一日

前の記事で,ワタツミ神社って言えば,ご祭神はすぐに判るじゃーんと豪語したのは,同じワタツミという名前の有名な神様がいらっしゃるから。ただ,例えば古事記には,ワタツミとつく神は複数登場する。

1)大綿津見神:
 イザナキとイザナミが,国生みの後,今度は次々と神々を生んでいった。八番目に生んだ神が,海神の大綿津見神とある。

2)底津綿津見神,中津綿津見神,上津綿津見神:
 イザナキが黄泉の国から帰った後,穢れたと言って禊をする。身につけていたものを脱ぎ捨てたとき,それぞれ捨てられたものから生まれた神が,あわせて十二柱。その後,身体を洗ったとき,出た穢れから二柱,凶事(穢れ)の好転のために三柱,瀬の底で滌いだときに底津綿津見神,同じく中ほどでは中津綿津見神,水の上では上津綿津見神が生まれた。

3)綿津見大神:
 火遠理命(山幸彦)が,兄の釣り針(鉤)を探しに行った先の主。後にホオリの妻になるトヨタマヒメの父親。1)と同一神と見るらしいが,どうだ。

柱町の綿積命は,多分上の1かなあ(1=3ぽいから,2以外?)。2はだいたい三柱セットで祀られるようなので(阿曇氏が奉斎してたとか),除外してもいいのかなという考え方。

これも前の記事で,ご祭神が女神のこともあると書いたのは,長崎の和多都美神社や高知の海津見神社では,トヨタマヒメが祀られてるらしいから。ワタツミ神社と来たら,ご祭神は海に関係する神様であるということだけは確かだね。ワタツミ=ワタ(海)ツ(~の)ミ(神・霊)だから当たり前か?

前述の「三河國額田郡誌 全」のページを繰ると,各論も載っている。7行ばかりの文章だが,うち2行が綿積神社本体のこと,残りの5行は,境内社の柱津天神のことである。境内に小さくマシマス神社のほうが古い?有名?

先に本体の2行のほうを。
岡崎村大字柱に在り、綿積命、建御名方命、天照大神、豊受姫命、白山姫命を祀る、境内に今熊神社、柱津天神の二社あり。

これで,“外四柱”は判明。タケミナカタかあ。諏訪の神様だねえ。どういう経緯でここにいらっしゃるかねえ。

“境内に今熊神社、柱津天神の二社あり”ってなってるけど,今熊神社?境内の手書き看板を見ると「熊野神社/祭神 伊邪那美命/註 日本国国産の神」になってて,ただの熊野じゃなさそうなんだけど(ただ熊のならケツミコとかスサノオじゃない?)。イマクマノ神社っていうのが京都や和歌山にあるらしい。そっちの関係か。それにしても熊野三山が元であることに変わりは無いけど。護国神社の記述が無いのは,執筆当時,まだなかったから。日清・日露・大東亜の戦死者が祀られてるわけなので。

「柱津天神と腰掛石の由来」という看板があった。
綿積神社21(061216岡崎市)

綿積神社本体の由緒書きもあっていいと思うんだけどなあ(ワガママ)。

内容。( )内は読み仮名をうつしたもの。
柱津天神と腰掛石の由来

 御祭神を柱津彦命と申し、天津彦根命の後裔、五十芥(いそたける)命の孫、額田別命の御子なり。

十二代景行天皇の勅を奉じ當地に遷(うつ)り坐し、民草の統治、荒野の開拓に力を注がる、即ち岡崎市南部菅生川以南(福岡、幸田、竜谷)東は男川沿岸を始めて後には岡崎、額田一円に亘り産業、文化の発展に努められ斯の御事蹟や著しく現在の盛殷(せいいん)の礎を築き給う。

文徳天皇は仁壽元年十月命の御偉蹟を賞(め)で正五位下、天神の神階(しんかい)(神様の位)を授け給いしより世に柱津天神と奉稱す。

叙上の如く命は此の地(柱)に館を構え、折り[反復記号]の御休息の石として用いられしと、郷人(さとびと)天神様の腰掛石とぞ傳え今に及ぶ。

神垣に千年萬歳残るらん名も世に腰掛の石

上の写真の,白い看板の右にある平べったい石が腰掛石らしい。

御祭神柱津彦は,先祖にアマツヒコネ,祖父がイソタケル,父がヌカタワケだと書いてある。アマツヒコネは八柱神社のご祭神の8分の1(失礼な物言い)。つまりアマテラスとスサノオの誓約によって生まれた神。古事記に“次天津日子根命者、凡川内國造、額田部湯坐連、茨木國造、倭田中直、山代國造、馬來田國造、道尻岐閇國造、周芳國造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稻寸、三枝部造等之祖也。”とある。額田部湯坐連の辺りが怪しいね。

イソタケルは五十猛と同じかな。日本書紀の一書にしか出てこないらしい。スサノオの子?

額田別は全然判らない。柱津彦が景行天皇の代の人だとすると,ヤマトタケル(景行帝の子)とか猿投神社のオオウス(ヤマトタケルの兄)とかと同じくらいの時代かなあ。その後神階を授けた文徳天皇が55代,景行天皇が12代。三十代以上も空けて褒められたというのは,文徳天皇の近くに額田郡の人でも居たんだろうか。

判んないことだらけだな。じゃあ最後に「三河國額田郡誌 全」の残りの5行。
柱津天神は額田部造の祖柱津命を祀れる社にして三河舊社記に額田郡柱津神社波志良津命を祭と記し、國内神名帳に正五位下柱津天神式外座額田郡をあるもの則ち是なり。
ここまでは何とか判る。ご祭神の名前も,ヒコが無いだけで境内の看板と同じだし。あれ?三河の国内神名帳の成立っていつごろだっけ?

近世三河國名勝志に往古矢矧川修覆の節は朽[※木+汚のつくり]ち爛れたる古材を此處に積置しよし後神祠を建て柱朽[※木+汚のつくり]天神と崇め奉ると云傅ふ今も官家矢矧橋御修造の時は朽[※木+汚のつくり]木を此社地に積置事是古例なり延喜式社の内柱津天神は是なるべし、柱積天神の畧稱なるか土人の柱朽[※木+汚のつくり]天神と誤り唱ふも亦據なきにしもあらず云々と記すは非なり。
矢矧は今の矢作でしょう。何かいきなり式内社であるみたいなこと言い出してるけど,額田郡二座は稲前と謁播だ。最後の“非なり”で三河國名勝志に書いてあることは全部ウソだからと否定してるってことかな。句読点が無いと,ちゃんと読めん。

こないだコピーしてきた「国内神名帳の研究 資料編」を引っ張り出してみた。三河国内神名帳は猿投神社バージョンと旧羽田八幡宮バージョンが載っているのだが,前者に“正五位下 柱律(ハシラツノ)天神 坐額田(ヌカタ)郡”,後者に“正五位下 柱津(ハシラヅノ)天神 坐 額田ノ郡”とあるのが該当部分だな。

……結局,資料の記述を並べただけになってしまった。しかも羅列。我ながら読みにくい。羽根の稲荷神社の時もかなり混乱したけど,旧額田郡は自分には鬼門なのか?(お前が馬鹿だからだーという声が聞こえるぅー)
(稲荷神社の記事はこちら→〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕

その他,「御大典記念」などは次の記事にて。写真だけになると思うけど。

・綿積神社
【住所】愛知県岡崎市柱町字北屋敷14
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【岡崎市】

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綿積神社〔3〕
岡崎市柱町の綿積神社の記事。3つめ。
(前の記事はこちら→〔1〕〔2〕

その他境内にあったものについて。

「柱津天神~由来」看板の横にあった小さなお堂(?)

綿積神社22(061216岡崎市)

中には恵比寿様大黒様ペアが2セット。奥の細かい文字は般若心経だった。

境内にあった大きな木。
綿積神社23(061216岡崎市)

クスだったかなあ。写真の右下に美容院の看板が見える。神社の境内から看板を見てもらえるって,うらやましい店だなあと思った。

(確か)鳥居をくぐってすぐ右にあった「御大典記念」
綿積神社24(061216岡崎市)

裏に「昭和三年十一月 柱町青年團」とあった。

こちらは「平成 御即位記念」
綿積神社25(061216岡崎市)


本殿の真裏にあった「御即位紀念」と「御即位紀念樹」
綿積神社26(061216岡崎市)

大正の?

多分社務所。
綿積神社27(061216岡崎市)


遊具もあった。
綿積神社28(061216岡崎市)


背後から狛犬を撮るのがマイブームだったらしい。
綿積神社29(061216岡崎市)

後頭部と,ちろっと出た左右の耳,巻いた尻尾。可愛い。

綿積神社の記事は以上。何か判ったら追記する。

・綿積神社
【住所】愛知県岡崎市柱町字北屋敷14
【地図】いつもガイド
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