買い物した後,店にクルマ置いたまま,近くの神社へ回ってみたのだが,8畳間くらいの境内で,樹の剪定の真っ最中。エンリョしてしまった。
気を取り直して,同じく近所の豊田市郷土資料館へ。企画展は無いようだったので,「豊田市の農村舞台」という冊子をゲットして辞した。
んで,その後お参りした神社は1社だけ。豊田市西中山町の八柱神社。まァた急な階段があったよ。70段もあるし。こちらにも,剪定&お掃除中の方はいらしたのだけど(集中日か?どこも毎週末がデフォなのか?),境内が広いから平気だった。
西中山町は,旧藤岡町。藤岡地区の神社は初めて。
鹿島神社(豊田市大林町)
→豊興神明社(豊田市御幸本町)
→豊興西宮神社(豊田市山之手)
鹿島神社を出たところで,あまりの暑さにTully's Coffeeへ避難。切らしてた制汗スプレーを調達してきて,腋どころか背中へぶっ掛けてみたり(コーヒー屋ではやっとらんよ)。ついでに蚊に刺されたところにも薬を塗った。藪蚊君たちも,真夏より今くらいの気温のほうが活動しやすいんじゃないかと思ふ。多すぎ。
豊興系2社(トヨタさんの神社だよ)を回った後,カバハウスのロビーで涼んで,昼食を買って帰宅。クルマは夕飯後にでも取りに行くさ。ちょっと遠いけど,夜だから涼しいでしょ,きっと。
クルマがあるのに歩くって言うと,馬鹿らしくなっちゃって気も乗らないけど,いざ使えないとなると,それなりに歩けるもんだなと思った。たいした距離ではないけどね。
薮蚊が多くてな。神域で殺生をしながら撮影。久々すぎて,探求モードになりきれていなかったらしく,どうも見落としが多い様子。
早くも再訪を誓うことに。
国土地理院の地形図には,記号はあっても文字は少ない。神社マークがあるなあと思って歩いて行ったら,図らずも式内論社で驚いた。結構広いしさ。
神社の手前にあった赤い橋。

境内側から撮ったんで,イマイチだね。

ここはやはり,橋の向こうに鳥居が見えるという構図で行くべきだった。この橋,かなり新しいか,塗りなおしが最近なんだと思われる。擬宝珠を緑青(ロクショウ)風の色にしてたりしてな。
おりゃ,神社。

鳥居の手前に,まっさらな広い場所があった。今時贅沢な土地の使い方だ。轍痕があるところからして,参拝者向けの駐車場になってるのかな。
鳥居。でかかった。

「大正三年十月建之」
社号標。「郷社 延喜式内 糟目春日神社」

「大正九(?)年十(?)月六日建之」。うまく読めなかった。とにかく大正時代。
式内かどうかについては特には語らない。式内社/式内論社についてのウェブサイトは有名どころがたくさんあるので,議論をしたい場合は,そっちへ行かれることをお勧めする。
手水舎。鳥居をくぐって,少し入って右手。

鳥居を入ってすぐの左右には,各種石碑があるのだが,その話は後で。
この竜,可愛いべよ?

網被ってるのはどうしたんだろ。
後姿とか。らぶりー。

これは手水舎向かいの社務所。

手前に先代(現役?)の水盤。

「弘化三年」とか読めた気もする。もしそうなら1846年。えどじだい。
社殿。

正面中央が神門。拝殿・本殿の周囲に巡らされた垣に,門がついているという形(説明が悪いね)。
もうちょっと寄る。神門と垣,狛犬さんたち。

阿の狛さん。玉持ち。

お口の中に,ジバチの巣かなんかあったよ。

吽の狛さん。子どもがいる。

「大正三年十月」。今までに見たことのないお顔だ。
神門の額。「糟目春日神社」

神門から中を覗いてみた。目の前のが拝殿かな。

神紋の屋根,阿の逆立ち唐獅子。

同じく,吽の逆立ち唐獅子。

ここの子に限らないが,怖い顔してピョコンと逆立ってると,妙な可愛さがあるな。
神紋の屋根,棟で向き合う阿吽の竜。

脇へ回って拝殿と本殿(左奥が本殿)。

本殿の千木は外削ぎ,鰹木は9本(多分)。拝殿にも千木があるのが見えるが,どうしてもそのあたりはうまく覗けなかった。樹とか色々あってさ。
大正初期という年代表示が多いなと思ったら,そういえば,その頃にここへ移転したのであって,以前は別の場所にあったのだよな。
そういった由緒とか移転の話,その他は以後の記事にて書く。
・糟目春日神社
【住所】愛知県豊田市渡刈町北田62番地の4
【地図】いつもガイド
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★訪問神社リスト【豊田市・上郷地区】
射穂神社の二の鳥居をくぐって,もう,すぐ上は社殿だという急な坂道の参道を登っていく途中の右手にある。
気付かない人も多いんじゃないか。

鳥居の手前には確かに階段が見えるのだが,どこからたどり着いたらいいのか判らない。結局,坂をのぼり切ってから,この階段は使わずに,脇道を伝って境内へ。
というわけで,内側から写した鳥居。

「昭和二十五年十月建之」
中にあるのは,社殿ではなくて石碑。

「平和の礎」とあった。

平和の礎
愛知県知事 桑原幹根書
建碑之辞
国のために殉じたる、英霊の功績に、感謝のまことを捧げ、もってここに、永遠にこれを、顕彰せんがために、保見町区民あいはかり、区民の浄財により、建碑するものなり。
昭和四十八年五月吉日建之
豊田市保見町
その下には,「戦没者芳名」とあって,お名前がたくさん並んでいた。
もう一基あった石碑。文字は判読できず。

境内にあった「皇太子・雅子妃御成婚云々」と元灯篭?

灯篭だと思うんだけど。土台の上にいきなり傘が載ってる感じじゃない?
戦没者の方をお祀りした神社ってことでいいんだよね。射穂神社との関係は,どうなっているのかな。
・保見神社
【住所】愛知県豊田市保見町北山付近
【地図】いつもガイド
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