ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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神社巡り覚え書(10/13)
午前中に病院へ行って,出張中の万が一のときのために頓服薬など処方してもらった。それから,やっとトランクを買って,昼食。外食って久しぶりだった。ショッピングモールのフードコートだけどな。

買い物した後,店にクルマ置いたまま,近くの神社へ回ってみたのだが,8畳間くらいの境内で,樹の剪定の真っ最中。エンリョしてしまった。

気を取り直して,同じく近所の豊田市郷土資料館へ。企画展は無いようだったので,「豊田市の農村舞台」という冊子をゲットして辞した。

んで,その後お参りした神社は1社だけ。豊田市西中山町の八柱神社。まァた急な階段があったよ。70段もあるし。こちらにも,剪定&お掃除中の方はいらしたのだけど(集中日か?どこも毎週末がデフォなのか?),境内が広いから平気だった。

西中山町は,旧藤岡町。藤岡地区の神社は初めて。
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神社巡り覚え書(9/22)
車検だってんで,朝8時にクルマを預けに行ったら,戻りは遅くて夜の8時だという。電車かなんかで遠くへ出かけるならともかく,散歩で12時間は無いわなあと思いながらも,ぶらぶら歩いて来た。暑いよ,まだ。

鹿島神社(豊田市大林町)
→豊興神明社(豊田市御幸本町)
→豊興西宮神社(豊田市山之手)

鹿島神社を出たところで,あまりの暑さにTully's Coffeeへ避難。切らしてた制汗スプレーを調達してきて,腋どころか背中へぶっ掛けてみたり(コーヒー屋ではやっとらんよ)。ついでに蚊に刺されたところにも薬を塗った。藪蚊君たちも,真夏より今くらいの気温のほうが活動しやすいんじゃないかと思ふ。多すぎ。

豊興系2社(トヨタさんの神社だよ)を回った後,カバハウスのロビーで涼んで,昼食を買って帰宅。クルマは夕飯後にでも取りに行くさ。ちょっと遠いけど,夜だから涼しいでしょ,きっと。

クルマがあるのに歩くって言うと,馬鹿らしくなっちゃって気も乗らないけど,いざ使えないとなると,それなりに歩けるもんだなと思った。たいした距離ではないけどね。

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神社巡り覚え書(9/15)
久しぶりに1社だけお参りしてきた。豊田市亀首町の熊野神社。

薮蚊が多くてな。神域で殺生をしながら撮影。久々すぎて,探求モードになりきれていなかったらしく,どうも見落としが多い様子。

早くも再訪を誓うことに。

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糟目春日神社〔1〕
豊田市渡刈町の糟目春日神社。写真も文字も比較的多めになりそうな予感。よって複数記事に分けて書く。

国土地理院の地形図には,記号はあっても文字は少ない。神社マークがあるなあと思って歩いて行ったら,図らずも式内論社で驚いた。結構広いしさ。

神社の手前にあった赤い橋。

糟目春日神社1(070515豊田市)


境内側から撮ったんで,イマイチだね。

糟目春日神社2(070515豊田市)

ここはやはり,橋の向こうに鳥居が見えるという構図で行くべきだった。この橋,かなり新しいか,塗りなおしが最近なんだと思われる。擬宝珠を緑青(ロクショウ)風の色にしてたりしてな。

おりゃ,神社。

糟目春日神社3(070515豊田市)

鳥居の手前に,まっさらな広い場所があった。今時贅沢な土地の使い方だ。轍痕があるところからして,参拝者向けの駐車場になってるのかな。

鳥居。でかかった。

糟目春日神社4(070515豊田市)

「大正三年十月建之」

社号標。「郷社 延喜式内 糟目春日神社」

糟目春日神社5(070515豊田市)

「大正九(?)年十(?)月六日建之」。うまく読めなかった。とにかく大正時代。

式内かどうかについては特には語らない。式内社/式内論社についてのウェブサイトは有名どころがたくさんあるので,議論をしたい場合は,そっちへ行かれることをお勧めする。

手水舎。鳥居をくぐって,少し入って右手。糟目春日神社6(070515豊田市)

鳥居を入ってすぐの左右には,各種石碑があるのだが,その話は後で。

この竜,可愛いべよ?

糟目春日神社7(070515豊田市)

網被ってるのはどうしたんだろ。

後姿とか。らぶりー。

糟目春日神社8(070515豊田市)


これは手水舎向かいの社務所。

糟目春日神社9(070515豊田市)


手前に先代(現役?)の水盤。

糟目春日神社10(070515豊田市)

「弘化三年」とか読めた気もする。もしそうなら1846年。えどじだい。

社殿。

糟目春日神社11(070515豊田市)

正面中央が神門。拝殿・本殿の周囲に巡らされた垣に,門がついているという形(説明が悪いね)。

もうちょっと寄る。神門と垣,狛犬さんたち。

糟目春日神社12(070515豊田市)


阿の狛さん。玉持ち。糟目春日神社13(070515豊田市)


お口の中に,ジバチの巣かなんかあったよ。

糟目春日神社14(070515豊田市)


吽の狛さん。子どもがいる。

糟目春日神社15(070515豊田市)

「大正三年十月」。今までに見たことのないお顔だ。

神門の額。「糟目春日神社」

糟目春日神社16(070515豊田市)


神門から中を覗いてみた。目の前のが拝殿かな。

糟目春日神社17(070515豊田市)


神紋の屋根,阿の逆立ち唐獅子。

糟目春日神社18(070515豊田市)


同じく,吽の逆立ち唐獅子。

糟目春日神社19(070515豊田市)

ここの子に限らないが,怖い顔してピョコンと逆立ってると,妙な可愛さがあるな。

神紋の屋根,棟で向き合う阿吽の竜。

糟目春日神社20(070515豊田市)


脇へ回って拝殿と本殿(左奥が本殿)。

糟目春日神社21(070515豊田市)

本殿の千木は外削ぎ,鰹木は9本(多分)。拝殿にも千木があるのが見えるが,どうしてもそのあたりはうまく覗けなかった。樹とか色々あってさ。

大正初期という年代表示が多いなと思ったら,そういえば,その頃にここへ移転したのであって,以前は別の場所にあったのだよな。

そういった由緒とか移転の話,その他は以後の記事にて書く。

・糟目春日神社
【住所】愛知県豊田市渡刈町北田62番地の4
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【豊田市・上郷地区】

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保見神社
豊田市保見町の保見神社。

射穂神社の二の鳥居をくぐって,もう,すぐ上は社殿だという急な坂道の参道を登っていく途中の右手にある。

気付かない人も多いんじゃないか。

保見神社1(070210豊田市)

鳥居の手前には確かに階段が見えるのだが,どこからたどり着いたらいいのか判らない。結局,坂をのぼり切ってから,この階段は使わずに,脇道を伝って境内へ。

というわけで,内側から写した鳥居。

保見神社2(070210豊田市)

「昭和二十五年十月建之」

中にあるのは,社殿ではなくて石碑。

保見神社3(070210豊田市)


「平和の礎」とあった。

保見神社4(070210豊田市)


平和の礎

愛知県知事 桑原幹根書

建碑之辞

 国のために殉じたる、英霊の功績に、感謝のまことを捧げ、もってここに、永遠にこれを、顕彰せんがために、保見町区民あいはかり、区民の浄財により、建碑するものなり。

 昭和四十八年五月吉日建之
               豊田市保見町


その下には,「戦没者芳名」とあって,お名前がたくさん並んでいた。

もう一基あった石碑。文字は判読できず。

保見神社5(070210豊田市)


境内にあった「皇太子・雅子妃御成婚云々」と元灯篭?

保見神社6(070210豊田市)

灯篭だと思うんだけど。土台の上にいきなり傘が載ってる感じじゃない?

戦没者の方をお祀りした神社ってことでいいんだよね。射穂神社との関係は,どうなっているのかな。

・保見神社
【住所】愛知県豊田市保見町北山付近
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【豊田市・猿投地区】

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企業神社(日本高周波小原工場)
詳細が判るわけではないので,番外で。

小原の磐照神社の横で発見。赤い鳥居と桜ってのが綺麗で,思わず撮影した。通常,会社の方が工場の中からお参りするわけだから,社殿はフェンスに背を向けている。

赤い鳥居だから,お稲荷さんでいいのかな。

企業神社-日本高周波(070401豊田市)

……お屋敷に住むような身分なら,自分も庭にどなたか勧請して崇めたい,って,そうか,それの簡易版が神棚か。神棚の無い家で育ったので,よく判んなくて。

企業もそうだけど,デパートの屋上にも,結構な確率で神社があるみたい。屋上へ行けるデパートってのが近場にはない気がするんだけど,愛知でどっかにあったっけ?

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勘八稲荷
豊田市平戸橋町の勘八稲荷。ちょっと変。

前田公園の中にある。前田公園というのは,この辺のお金持ちだった前田栄次郎さんという人が,昭和初期に観光施設として造ったものだそうだ(寂れちゃってたのを平成に入ってから整備したとか)。こんな神社があったり,妙に艶かしい石仏があったり,聖徳太子らしき像があったりするので,来る人の心の平穏を願っていたのかとか,それにしても色々習合しとるとか思った。

階段を上る途中で,左を見ると鳥居がある。
勘八稲荷1(060924豊田市)
正面に見えるのは神社じゃない。よく間違えられてるけど。「前田家記念堂」と額に書いてあった。狛犬らしきものも居たけど,耳たれの洋犬っぽい風貌。可愛いので別の記事で紹介する予定。

鳥居からまっすぐ入って右を向くと社殿。赤すぎ。

勘八稲荷2(060924豊田市)

向かって右の狐さん。

勘八稲荷3(060924豊田市)
左腕に補修跡。

向かって左の狐さん。

勘八稲荷4(060924豊田市)

拝殿?の屋根の下にも白い狐さん。

勘八稲荷5(060924豊田市)

社殿を横から見たところ。

勘八稲荷6(060924豊田市)
お稲荷さんだから赤という発想は判るのだが,どうして全面,屋根までも全部同じ色にしちゃったんだろう。

うん。変だけど,狐さんが可愛いからいいかナ。

・勘八稲荷
【住所】豊田市平戸橋町波岩付近
【地図】いつもガイド
 ※地図に「勘八稲荷大明社」とあるが,それはちょっと。
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 ★訪問神社リスト【豊田市・猿投地区】

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挙母神社〔6〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,6つめ。
(前の記事はこちら→

やっとこさ由緒の話を。挙母神社さんの公式サイトも是非。

神社にある火は,清浄な感じがするので好きだ。
挙母神社77(070203豊田市)


まずは,神社入口の案内板にあった説明を書き写しておく。
  祭神
一、高皇産霊命
一、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々藝命
一、天萬栲幡千幡比賣命
一、天之水分神
一、國之水分神

  由緒
 文治、建久の頃(一一八九)源義経の家臣、三河鈴木重善(のちの善阿弥)は源義経の没落を聞き当地に隠れ住み、そののち大和吉野から子守社を勧請して衣上之郷にまつり奉仕した。鎌倉実記、義経勲功記に「其の頃熊野の鈴木次郎重行と言うものあり、矢作川の上、衣の里と言う処あり、彼の里に庵室をしつらい住みける殊勝なる法師に里人も尊みしたしみけり、熊野の神を勧請云々」とあり延宝旧図に「大明神の本殿は四間に三間あり拝殿は長さ三間横二間とす。社内に薬師堂あり」とある。衣記に「子守大明神は往古より挙母の鎮護たり、草創は何れの年ともいまだつまびらかならず鈴木某熊野より云々」。旧幕時代は、子守大明神といっていたが明治四年(一八七一)三月十四日挙母藩庁から挙母神社と改められ藩社となり、その後郷社となった。
昭和二十一年(一九四六)宗教法人令により届出認証登記、旧社格を廃止神社等級八等級。昭和二十八年(一九五三)宗教法人による「宗教法人挙母神社」設立認証登記。昭和五十四年九月二十八日神社等級六等級に昇格。

  祭儀(大祭)
一、祈年祭 二月十七日
一、例祭 十月第三日曜日
一、新嘗祭 十一月二十三日

ご祭神は,タカミムスビ,ニニギ,タクハタチハタ,アメノミクマリ,クニノミクマリということである。ニニギ(天孫),その母(タクハタチハタ),母の父=ニニギの祖父(タカミムスビ)+両ミクマリ神。(ニニギが国でミクマリが國なのには意味が有るのかな)。

なんでこの組み合わせかなあと思って,勧請元であるという,吉野水分神社(吉野の子守社って,ここでいいよね?)について調べてみた。

[参照] Wikipedia 吉野水分神社の項

(引用)~水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、高皇産霊神・少名彦神・御子神・天津彦火瓊瓊杵命・玉依姫命・天萬栲幡千幡比命を配祀する。~

ミクマリ神はまとめて(?)1神(同じ項に『神社要録』には「天水分神・国水分神」と書かれてあるという記述もある)だが,組み合わせはほぼ同じで,挙母神社では見えない神名として,「少名彦神・御子神・玉依姫命」が出てくる(スクナヒコナは境内の針塚のところに居らしたけど)。

ここで「御子神」って誰やねん!という疑問が湧いた。どうなの。“いずれかの神の,子であるところの神”という意味しかないんじゃないのか,御子神という言葉には。

でも,ほとんどのサイトには上のように書かれているのだ。境内に案内板があったりして,みんなそれを見て書いてるから同じなんだろうか。一箇所,少名彦名命御子神(すくなひこなのみことのみこがみ)と書いてるサイトをみつけた。

[参照] 吉野水分神社夢結び.com 様

これなら理解できる気もするが,スクナヒコナの子って……という新たな疑問が。でも,挙母神社の問題じゃないから,ここまでにする。

〔案内板の要点〕
・創建は(一般的に)不詳
・源義経家臣の鈴木重善(姓は同じだが,名が違う/伝わっていない例もある)が吉野より子守社を勧請したと伝わる。
・明治四年以前は,子守大明神といった。

鈴木重善の話は,下林町の勝手神社の記事で,ぐだぐだ書いた覚えがある。ほんとに源平時代~の人か?という話など。その後,源平時代で矛盾しないと主張する資料も出てきて(どの本だったかいな)混乱中。ちょっとまだ保留にしときます。

先ほど,挙母神社と吉野水分神社の祭神を比較したが,これどう思う?

神名の順番。
挙母神社4(070208豊田市)

普通さ,エライヒト(神)から順に書かん?学会のレジュメみたいに教授が末ってのもアリかもしれないけど。

確かにタカミムスビは造化三神で別天神(コトアマツカミ)で特別だ。ニニギは皇祖の孫(天孫)でタクハタチハタはその母。でも,勧請元の順を覆してまで先頭に持ってくるだろうか?

悩んでいたら見つけた。例の「衣の里」の記述。以下に要約してみる。

■「衣の里」名倉宗義 著/昭和四十九年(流通コードなし)
「挙母神社 稚児ノ口神社 開基由来」
・垂仁天皇は第十二皇子の落別王を三川衣の郷の統治に任じた。
・皇子は宮居を衣の里に造営,高御座に神殿をつくった。
・その祭神は伊勢国一宮に祭祀される神々で,(以下簡略表記)タカミムスビ,ニニギ,タクハタヒメである。
・上の神殿が挙母神社の開基である。

がーん。異説。落別王の話は久保町の児口神社の記事に少し。

■「衣の里」続き
・後醍醐天皇が吉野へ移ったとき,援護の楠木軍は戦況が悪く,衣の里へも援軍を求めた。
・援軍を求める使者として,三河の住人「鈴木重総」が立った。
・この時,重総は吉野水分神社の宮司に頼んで山伏姿に変装,背に負う葛篭に水分神社のご分身である木像と祭事の備品一式を納めていた。
・大任を果たした重総は,木像と備品を高御座の神殿に合祀した。

ごーん。ミクマリ神が後付け!これなら上の順番で納得はいくけど!ところで,鈴木重総さんて,鈴木ホクニ商店さんのご先祖とも書いてあったよ。挙母町にお住まいの方は,このお店のことをご存知?

前半に出てきた伊勢国一宮だけど,まさかお伊勢さん(神宮)じゃないので調べてみた。椿大神社と(または?)都波岐神社・奈加等神社(合殿)らしい。あの,両方ともサルタヒコさんで有名なんですけど。

椿大神社の公式サイトによると,主神は猿田彦大神,相殿に瓊々杵尊と栲幡千々姫命とあるが,タカミムスビが見当たらない(八百萬神が合祀されてるから,その中にいらっしゃるということか?)。

玄松子の記憶様のとこの椿大神社のページには,合祀の筆頭に高御産巣日神とあった。

そうかー。どちらにしろ,主祭神からお呼びしたわけじゃないってことになるんだな。何故だろう。

都波岐神社・奈加等神社(合殿)のほうは,三神とも見当たらない。だから,「衣の里」でいう伊勢国一宮は椿大神社のことなんだろう。そうかー。何があったのかを客観的に確かめる方法って無いのかなー。

神社本体が名乗っている由緒があるのなら,それを正とするのがあるべき姿勢だとは思うのだが,異伝やなんかも知りたくなってしまうんだよね。不敬だと言われつつも,天皇陵をどうしても発掘したい気持ちみたいなね(ちょっと違うかな)。

絵馬もたくさんあった。
挙母神社78(070203豊田市)

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」に境内社のことが出ていたので,これも抜粋しておく。

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」
1 挙母神社
……境内神社に秋葉社〔祭神火産霊命、宝暦11年(1761)5月勧請〕・御鍬社〔祭神豊受比賣命・享保2年(1717)4月勧請〕・稲荷社(祭神宇迦之御魂神)・津島社(祭神健速須佐之男命)・金刀比羅社(祭神大物主命・金山毘古命・金山毘賣命)・天満社(祭神菅原道真)がある。


当方の記事(境内の看板準拠)と比べると,ご祭神が増えてたり減ってたりする。

(続き)
天満社はむかし喜多町(旧字天神)にあって天神社といっていたが、寛文9年(1669)8月18日に童子山(小坂本町8丁目)に移された。(中略)その後、明治4年(1871)3月15日現在地に移され末社となった。正徳2年(1712)2月25日朝倉孫兵衛孝政がご神体として菅原道真公の肖像画を奉納した。(中略)隣地に神宮寺と考えられる子守薬師(浄土宗瑞光院)がある。

おお,子守薬師=神宮寺説。もしそうならだけど,神宮寺よりも神社本体のほうが古くないとおかしい気がする。子守薬師の創始は平安時代初期って言われてるぞ。やっぱり,挙母神社も文治・建久(1192つくろうの前後)と言わず,もっと古いのではないか。

遊具もあった。
挙母神社79(070203豊田市)

うーん。奥深いなあ。文章なら,ぴゃっと平安時代とか書けちゃうけど,実際には(大雑把に)千年も昔のことだもんね。年月の壁は分厚い,のかなあ。

今年の秋は挙母祭りに行けるだろうか。せめて沿道からでも拝めるといいな。体調が落ち着いていますように。

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
【地図】いつもガイド
■関連■
 ★訪問神社リスト【豊田市・挙母地区】

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挙母神社〔5〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,5つめ。
(前の記事はこちら→

境内の石碑などについて。

「陶器市創設 三百年記念碑」
挙母神社64(070203豊田市)

記念じゃなくて紀念かも。んん?

芭蕉の句碑。別にここへ来たというわけではないみたい。
挙母神社65(070203豊田市)

句は“木のもとに 汁も鱠も 櫻かな”。句はこれだけど,表記はこれじゃない。一部漢字のところがある(に を 仁 とか)が,読みとれないのだ。

こういう立派なのは大抵戦争関係。
挙母神社66(070203豊田市)

「殉國戦士之碑」とあった。

「有隣軒守拙翁碑」? 自信無い。
挙母神社67(070203豊田市)


一番有名(?)な匂い桜の歌碑。
挙母神社68(070203豊田市)

「立帰り猶見てゆかむ佐久良花 衣の里ににほう盛りを」
これはこの表記であってると思う。境内に,香り高い桜があったそうな,という話。三河守左近中将将具が一二六五年に白河殿歌合せで詠んだとのこと。「豊田の史跡と文化財」より。

ハチの巣だよね,これ。
挙母神社69(070203豊田市)


「針塚」。しまった,ここにも神様が居た。
挙母神社70(070203豊田市)

「針塚/祭神 少彦名命・大己貴命・息長足姫命・神功皇后/針供養 二月八日」

針供養に何故この神々かというのも判らないんだけど(他の神様なら納得するかというと,そうでもない。そもそも針供養に神様が絡むなんて知らなかった),息長足姫命と神功皇后が並列に書かれてるように見えるのは何故だ?カッコが消えちゃっただけなのかな。

神名を書いた看板の後ろの石に「針納所……」と見えた。

「社務所改築……」 昭和五十年代らしい。
挙母神社71(070203豊田市)

江戸~明治の教育者,鵜沼教(うぬま おしえ)の碑もあったらしいのだが写真が無い。何故見落としたんだろう。

社殿の西側にも鳥居があった。
挙母神社72(070203豊田市)

国道248号からヒョイと入れるので,こっちから来る人も多い。クルマはダメだけどね。

社号標。「郷社 舉母神社」。(元)郷社だよ!
挙母神社73(070203豊田市)

たまに旧社格の高いところへ来ると興奮してしまう。え?無格社も村社も愛していますとも。

その鳥居をくぐったところにあるハゼノキ。
挙母神社74(070203豊田市)

名木指定193号。

鳥居の内外に居たにゃんこ。
挙母神社75(070203豊田市)

あと白いのが居た。もう大きくなってるだろうな。

多分親猫。
挙母神社76(070203豊田市)

耳だけこっち向いてるのは,カメラとかごそごそやって怪しかったからと思う。挙母神社さん,公式サイトの写真にも猫が写ってる。寛容だー。

……由緒の話だけ残っちゃった。大変だから後回しにした結果だけど。もう1記事で終わるかな。

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
【地図】いつもガイド
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挙母神社〔4〕
豊田市挙母町の挙母神社の記事,4つめ。
(前の記事はこちら→

子守薬師さんの話でもしましょうかね(もったいぶっているが,特別な知見を持っているとかそういうことは無い)。

挙母神社の鳥居をくぐって,ちょっと入って右手。元・手水舎?
挙母神社60(070203豊田市)


結構,お参りの方も居る。
挙母神社61(070203豊田市)


幟には「子守薬師如来」とある。
挙母神社62(070203豊田市)


「輝雲山瑞光院」
挙母神社63(070203豊田市)

何故本堂がこんな小屋かというと,平成12年12月11日の火事で焼けてしまったから。火事の顛末については,以下のサイトを参照されたし。火事で焼けた本堂とクスの写真が載っている。

[参照] 愛知県 有形民俗文化財 挙母祭り (ころもまつり) 豊田市
 左フレーム“▼ 2000年の模様”の下“15日”をクリック
 ※ここ数年の挙母祭りの写真・動画も満載なので,是非ご覧を。

また,豊田市郷土資料館発行の冊子によれば,
・出火は床下から
・本尊仏,(伝)行基作の阿弥陀如来座像が焼失

ご本尊が焼けたのは痛いな。行基って奈良時代の人だよ。ご住職は現在,どうしておられるのだろうかねえ。

ところで,挙母神社の住所は“挙母町5-1”,瑞光院の住所は“挙母町5-12”なので,正確には境内にあるというよりは隣接なのだと思う。仕切りは何も無いけど。瑞光院のほうも宗教法人として登録されているので,付属物というよりは別物である。

由緒の話など。例によって本から。

「豊田市史文化資料 社寺編〔1〕」
1 瑞光院/挙母町5丁目12番地(旧大字挙母字東浦)
本尊薬師仏 浄土宗輝雲山瑞光院薬師寺といい、小坂町洞泉寺末である。むかしから「ころも三社三薬師」の一つで子守薬師という。

縁起に「淳和天皇のとき天長年中(824~33)に行基作の薬師仏を奉安して創始された。その後、康安2年(1362)鈴木氏(善阿弥の後裔)によって再興されたが、元亀3年(1572)に火災にかかる云々」とある。

寛文2年(1662)に堂守慈詮が洞泉寺11世重行の助縁を得て中興した。また挙母藩主本多兵庫頭の中殿医吉田柳軒季恒〔寛延3年(1750)6月10日60才歿〕によって再建された。延宝9年(1681)9月12日に「小森薬師如来縁起」成る。この年月日に開帳法要が修行されたのであろう。延宝旧図に「大明神社内に薬師堂あり云々」とあり、また『挙母社寺』に「薬師堂東町云々」とある。

明治4年(1871)に額田県から廃寺を命ぜられたが、同12年(1879)7月に洞泉寺末となり瑞光院と公称復古した。大正3年(1914)に厳浄が本堂を再建して中興となり、昭和36年(1961)に禎寿尼が庫裡を改築した。

昭和17年(1942)3月31日宗教団体法の認可をえ、同20年(1945)12月28日宗教法人令による設立登記し、同28年(1953)12月19日宗教法人法による「宗教法人瑞光院」の設立認証をえ、同29年9月4日に設立登記した。


「豊田の史跡と文化財」(上とかぶらない部分を抜粋・要約)
・元亀三年(一五七二)火災にかかり、薬師堂は焼け、本尊薬師如来像も一部損傷。
・天正五年(一五七七)洞泉寺四世祖貞の助けで本尊および本堂を再興
・毎月の八日薬師には神社境内に市が立つ。

洞泉寺に度々助けられている様子。洞泉寺,名前しか知らないけど,京都の知恩院の直末だって。総本山と直接繋がってるのってスゴイのかなと思って(神社だとあまり驚かない。例えば,ちーさな稲荷社が伏見の稲荷を勧請しましたと名乗っていても)。

「ころも三社三薬師」ってさ。ころも三社=子守・毘森・勝手=挙母神社・毘森神社勝手神社(下林町)でOK?それぞれに薬師堂があったってことだろうか。確かに,下林の勝手神社には薬師堂の話があった。毘森神社にもあったっけか……。

今調べたら,「挙母記」というものに,“子守,勝手には薬師仏があるのに毘森には無い。おかしいじゃねーか,もしかしたら西町出口んとこにある長薬師って地名が名残?やっぱり三社とも薬師仏があってってことでいいのかな?”とかいう内容のことが書かれてあるようだ。毘森の薬師仏は今は無い(見つからない)ということで。

挙母神社の大クスの説明看板にあった,本尊がクスの下へ逃げて難を逃れたという火事の話が出てくるね(元亀三年のやつ)。でも結局(平成の火事で)焼けちゃったんだよなあ。(伝)行基作だもん,拝みたかった。

もう片付けに入ってたけど,今年の2月の八日薬師の様子。
挙母神社1(070208豊田市)


切花,服,干物など様々に売られるようだ。
挙母神社2(070208豊田市)


鉢植えもあったよ。自分は入口の屋台でタイヤキ買った。
挙母神社3(070208豊田市)

今度は夕方じゃなく,もっと早くに行こうと思う。

・輝雲山瑞光院薬師寺
【住所】愛知県豊田市挙母町5-12
【地図】いつもガイド

・挙母神社
【住所】愛知県豊田市挙母町5丁目1番地
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【豊田市・挙母地区】

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