ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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★地域別の話題
地域ネタ(神社以外)のまとめ。

■東海/愛知/三河
 西三河って…どこからどこまでなのよ具体的に。
 遊廓跡…田舎だと,なかなか情報は無いね。
 町の数…刈谷や安城に比べて豊田の町の多いこと!

■豊田市
 小原へ行ってきた…「和紙のふるさと」「和紙展示館」へ。
 お散歩・トマソン写真…市駅周辺をぶらぶら。
 秋の風物詩…カラスが。
 ショーウィンドウの猫…小ネタ。
 メルヒェンなプラント…「豊田市中部ポンプ場」。外見がアレ。
 稲荷塚古墳…偶然通りかかった。
 お風呂屋さん…神明町の「鶴の湯」さん。外観のみ。
 真冬の桜…若宮町で桜の花を見た(2/9)。
 白瀬中尉終焉の地…神明町の石碑。
 冬の白…貝津駅周辺。切り大根干しの風景。
 豊田市郷土資料館…庭園の鬼瓦や古墳,季節ものの雛人形。
 地方の伝説…豊田の伝説,というかトンデモ?
 神社巡り覚え書(4/1)&平戸橋公園の桜…桜写真。
 春,春…上郷護国神社近くの川(用水)沿いの菜の花写真。
 神社巡り覚え書(4/8)&花色々…猿投地区の桃,梨など。
 神社巡り覚え書(4/10)…TMC上郷工場の桜。
 忠魂碑…畝部東町の忠魂碑。
 車塚古墳…永覚町。外観のみ。
 馬頭観音…畝部東町。
 ミミズを捕食するトカゲ…平戸橋町。前田公園内。
 ふれ愛フェスタ2007…豊田市駅前。写真少し。
 亡霊供養塔と道標配津町。怖いより悲しい話。
 第39回おいでんまつり…5記事。写真80枚超。
 豊田のピラミッド…豊田市役所にはピラミッドが!?

■安城市
 日本最古級の横櫛…「安城市埋蔵文化財センター」見学。
 安城市歴史博物館…見物記。
 安祥城址公園…散策記。

■蒲郡市
 冬眠…三谷町の「子安弘法大師」。巨大。
 お魚さんに感謝…三谷町の「水産頌徳碑」「水族供養塔」
 三河三谷の猫…可愛かったので。
 蔦,蔦…三谷町の交差点際。

■高知県
 桂浜…ご存知坂本龍馬像。出張のついでにネ。

■岐阜県
 世界一の美濃焼こま犬 …でかい。
 常夜燈…一基でお徳。

■海外
 インドネシアの青い空…インドネシア料理の思い出。
 
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豊田市郷土資料館
陣中町にある豊田市郷土資料館へ行ってきた。実は展示なんかどうでもよくて,本を買いに。

中まで入るのは2度目。外だけ通ったのが1回かな。
豊田市郷土資料館1(070228豊田市)


この建物が資料館。
豊田市郷土資料館2(070228豊田市)


庭園には,こういう道標がぽつぽつ。(元)本物だよね。
豊田市郷土資料館3(070228豊田市)


古墳も移築されてきている。
豊田市郷土資料館4(070228豊田市)


おおー。って毎回覗いてしまう。
豊田市郷土資料館5(070228豊田市)

移築のときって,石組みとかどうやって記録するんだろうね。記録と再現の過程を拝見したい。

樫尾第一号古墳だそうな。野見町からはるばる。
豊田市郷土資料館6(070228豊田市)

風の強い日のいいことは,空が綺麗なことだけだな。

じゃーん。鬼瓦。
豊田市郷土資料館7(070228豊田市)


同じく。さっきのと背中合わせで対。
豊田市郷土資料館8(070228豊田市)


挙母劇場の鬼瓦だそうだ。
豊田市郷土資料館9(070228豊田市)

挙母劇場ってどこにあったんだろう。ちょっと前の地図を見ると,コロモ劇場という映画館が駅前にあるけど,それの前身とか?

「猿投」。えー?これも挙母劇場の?
豊田市郷土資料館10(070228豊田市)


「役」。「水」だと火伏せだけれども「役」は何?
豊田市郷土資料館11(070228豊田市)

中で目当ての本「豊田市の石造文化財」をゲットしたあと,せっかくなので展示を見る。展示品は撮影禁止との事だが,ロビーのお雛様ならいいですよと言っていただいたので,そっちを。

内裏雛など珍しいものもあった。
豊田市郷土資料館12(070228豊田市)


一番気に入った御殿飾り。ピンボケてるけど。
豊田市郷土資料館13(070228豊田市)

右大臣も左大臣も逃亡中(?)だそうな。時代は書いてなかった。

外には梅も咲いてた。
豊田市郷土資料館14(070228豊田市)


満開。風ニモ負ケズ。
豊田市郷土資料館15(070228豊田市)

で,今ホクホクしながら買ってきた本を眺めているのだ。燈篭とか石仏とか,写真も所在地の地図も載ってる。順番に回ってみようかな。ああ楽しみ。

・豊田市郷土資料館
【住所】愛知県豊田市陣中町1-21
【地図】Google マップ

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

勝手神社〔3〕
豊田市下林町の勝手神社の記事,3つめ。
(これまでの記事はこちら→
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

資料のまとめをしておこうかと思う。
勝手神社36(070203豊田市)

[ ] 内は引用元。
○から始まるのが引用文。
※から始まるのは自分の覚書である。

【創建について】

[境内社記]
○鎌倉時代後醍醐天皇の御世天徳三年三月十四日現在の奈良県吉野郡吉野町吉野山鎮座の延喜式内名神大社勝手神社の御分霊を勧請し

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○文治建久の頃(1189)、源義経の家臣、鈴村義宗が鈴木重善(善阿弥)、篠田源之進勝善とともに、義経の没落後、当地に来て大和吉野から勝手名神を勧請し
○また社蔵棟札写しに「奉献大明神御本社天徳3年(959)3月14日衣(挙母)下之宮二社大明神神宣□□鈴村甚三良」とある。

【鎮座地・社殿】

[境内社記]
○三州加茂郡高橋の荘古宮(現在の豊田市元宮町)に社殿を造営
○寛文年間当地代官鳥山牛之助氏厚く崇敬せられ寛文五年己五月十一日諸願成就満福祈願の為本殿の寄進あり
○矢作川屢氾濫し其都度河水社殿に浸水するを畏み寛文五年己十二月十五日供善寺ヶ原を社地として献上せられたるを以て社殿奉遷せり(現在の社地)

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○衣下之郷(旧大字挙母字下ノ郷=元宮町付近)の総鎮守とした
○たびたびの水害などで古記録等全く失われている
○14世神宣鈴村彦七のとき寛永17年(1640)11月12日に本社建立の棟札
○低地のため年々の被害に、15世社主彦左衛門が父彦七とともに寛文4年(1664)年に向山供膳寺原の下渡しを三河代官鳥山牛之助精明に願い出て、同年12月に許された。
○棟札に「鳥山牛之助様ノ諸願成就満福祈事、元社地日々洗米燈明献納之為私ヘ下渡事、供膳寺原私ヘ御下渡相成以為、寛文5年己12月15日神主父鈴村彦七鈴村彦左衛門」とある。
○同6年(1666)1月28日長興寺村塩谷喜右衛門が明神境内に松檜500本を寄進/昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風に全く荒廃した。
○昭和37年(1962)10月社殿の大改繕

【境内社】

[境内社記]
○境内末社/大神宮社 祭神 天照大神/八幡社  祭神 応神天皇/白山社  祭神 菊理媛命/津島社  祭神 建速須佐之男命/八坂社  祭神 素盞鳴命/山神社  祭神 大山祗命/秋葉社  祭神 火結神/稲荷社  祭神 倉稲魂神

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○大正3年(1914)に旧字元屋敷(同町5丁目)にあった八坂神社・秋葉社・津島社を合祀
○境内神社に秋葉社(むかしの下林の鎮守であったと伝へる)・稲荷社・津島社・八幡社・大神宮社・白山社・山神社・八坂神社・多賀社があり、境内に本地仏薬師堂がある。

【人物と年代】

[Wikipedia]
後醍醐天皇:在位期間 文保2年(1318年)~延元4年/暦応2年(1339年)8月15日
源義経:討死 文治5年閏4月30日(1189年6月15日)

[豊田市史(1)]
○鈴木重善(善阿弥):猿投神社には、一三四六年から一三六四年にわたる三〇年間の史料が残っている。(中略)いずれにしても、実在の善阿弥は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての人であるが、伝説上の善阿弥は、実際より一五〇年位、古くされているのである。

[愛知エースネット]
鳥山牛之助:1617年(元和 3) 三州東条(横須賀町)で出生/1666年(寛文 6) 三河代官となる/1666年(寛文 6) 勝手神社を水害から守るため移転させる/1669年(寛文 9) 毘森神社を水害から守るため移転させる/1673年(延宝 1) 矢作川の洪水を防ぐため堤防を曲尺手の形にして,出水時の遊水池をつくる/1707年(宝永 4) 91歳で没
※ [豊田市史文化資料 社寺編(1)] には精明とあるが,精元のようである。

(資料なし)
鈴村義宗/篠田源之進勝善/鈴村甚三良/鈴村彦七/鈴村彦左衛門/塩谷喜右衛門

【その他】

※鈴木重善(善阿弥)・鈴村義宗・篠田源之進勝善の3名は,揃って毘森神社,挙母神社(子守社),勝手神社(下林町)の創建の場面に出てくる。

[豊田市史文化資料 社寺編(1)]
○鈴木氏が衣上之郷に子守社・篠田氏が衣山之郷に毘森社(熊野社)・鈴村氏が衣下之郷に勝手社をまつり、それぞれ奉仕したので、毘森・子守・勝手は衣三社といわれるようになったと伝えている。

※三社は揃って吉野からの勧請である。

[神奈備]
吉野の神社・聖地:吉野八社明神とは幣掛(四手掛)神社,威徳天神,井光明神(佐抛とされる),勝手明神(吉野山口神社),夢違観音堂(竜王社:御幸の芝明神) 、子守明神(式内吉野水分神社)、牛頭天王社、金精明神(式内金峯神社)である。

※勝手明神(吉野山口神社)→勝手神社
※子守明神(式内吉野水分神社)→挙母神社
※?→毘森神社
 ・吉野から毘森明神を勧請とあるが,毘森明神って?
 ・祭神ミズハノメで探すと,吉野郡に丹生川上神社があるが?
 ・[豊田市史文化資料 社寺編(1)] の毘森社(熊野社)って?

[Wikipedia]
熊野本宮大社:第十一殿(飛行夜叉): 弥都波能売命 : 不動明王
○本地仏薬師堂:薬師堂(やくしどう)とは、薬師如来を主仏とする仏堂または仏教寺院の一般的な名称。

[本地垂迹資料便覧]
吉野(金峯山):鎮守勝手子守等ノ神体習ノ事/伝テ云。勝手大明神ハ此多聞天王ノ垂跡、此レ仏法護持ノ大将、国家鎮守ノ首領也。

つまり創建は義経に無理にくっつけたっぽい善阿弥伝説と入り混じってよく判らず,衣三社のうち毘森明神がどこから勧請されたのかイマイチつかめず,吉野八社の佐抛まで猿投だったら面白い(かなり私情が入っている)……ということである。

薬師堂の中には毘沙門天がいらっしゃるのかなー。どうかなー,とか。

今朝の記事があまりにもアレだったので,少しだけまとめてみたというモノである。すこーしイライラ解消。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ

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勝手神社〔2〕
豊田市下林町の勝手神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

狛犬ズ。
勝手神社20(070203豊田市)

若い狛犬でも,尻と後頭部(耳!)は可愛いのだ。日が昇ってきた。

社殿に向かって右の垣の中を覗いた。
勝手神社21(070203豊田市)

本殿とは別の建築物。境内社か。注連縄の様子からして,少なくとも中に2社ありそうな。

同じく,社殿に向かって左の垣の中。
勝手神社22(070203豊田市)

これも境内社(の覆い屋)だろうなあ。右のより年季の入っていそうな感じ。

垣の横から。
勝手神社23(070203豊田市)

電柱のすぐ右が,社殿向かって左の多分境内社(の覆い屋),その右に小さく見えるのが,多分本殿。

本殿はよく見えないので,覆い屋?の屋根。
勝手神社24(070203豊田市)

やっぱり古そうだ。

手水舎。
勝手神社25(070203豊田市)


手水舎の屋根の下にあった彫りぬき。ピンボケ。
勝手神社26(070203豊田市)

五三の桐ですかネ。

神門の飾り瓦。向かって左。ヒト?
勝手神社27(070203豊田市)


同じく向かって右。こちらもヒト?
勝手神社28(070203豊田市)


吽の狛さんの後ろの灯篭。「勝手明神夜燈」かな。
勝手神社29(070203豊田市)

年代は判らず。

社殿から西へ少し離れたところの(まだ境内)建造物。
勝手神社30(070203豊田市)

境内社?と思ったが,注連縄が無い。

その屋根。
勝手神社31(070203豊田市)


更に西の先の鳥居。
勝手神社32(070203豊田市)


「伊勢湾台風倒木植樹記念」
勝手神社33(070203豊田市)

「昭和三十六年九月吉日建之」。伊勢湾台風は,昭和34年9月襲来。台風で樹木が倒れたので植えなおしましたということか。倒れた樹そのものを植えなおし?別の新しい樹?

境内にあった忠魂碑。
勝手神社34(070203豊田市)


垣に貼ってあった社記。
勝手神社35(070203豊田市)

内容に謎が多すぎるが,とりあえず写しておく。句読点が殆んど無いので,適宜改行した。一部勝手に新字体になっているかも。
名神大社己 社記

所在地 豊田市下林町七丁目三十七番地

本社祭神 天受鬘命
相殿祭神 猿田彦命

由緒沿革


本社創建は社伝に依れば鎌倉時代後醍醐天皇の御世天徳三年三月十四日現在の奈良県吉野郡吉野町吉野山鎮座の延喜式内名神大社勝手神社の御分霊を勧請し三州加茂郡高橋の荘古宮(現在の豊田市元宮町)に社殿を造営祭祀の厳修等至らざるは無かりしと言ふ

寛文年間当地代官鳥山牛之助氏厚く崇敬せられ寛文五年己五月十一日諸願成就満福祈願の為本殿の寄進あり

又其当時矢作川屢氾濫し其都度河水社殿に浸水するを畏み寛文五年己十二月十五日供善寺ヶ原を社地として献上せられたるを以て社殿奉遷せり(現在の社地)

爾来下林の氏神として住民の崇敬を重ね年々歳々怠ることなく祭礼に勤み今日に及べり

愛知県は大正三年一月神饌幣帛料供進神社に指定せり

其後昭和二十七年十二月二十五日宗教法人として設立登記をした。

大祭日

例 祭 十月十日
祈年祭 三月二十三日
新嘗祭 十一月二十三日

月次祭

毎月十日

境内末社

大神宮社 祭神 天照大神
八幡社  祭神 応神天皇
白山社  祭神 菊理媛命
津島社  祭神 建速須佐之男命
八坂社  祭神 素盞鳴命
山神社  祭神 大山祗命
秋葉社  祭神 火結神
稲荷社  祭神 倉稲魂神

突っ込みどころ。

 1) 名神大社
  ・(本家)勝手神社が名神大社?いつから?
 2) 後醍醐天皇の御世に天徳という年号は無い。
  ・後醍醐天皇が本当なら,年号は元徳か。
  ・天徳が本当なら,村上天皇の御世である。
 3) 己って何(名神大社己,寛文五年己)
  ・これは自分が馬鹿だから判らんのかも。
  ・寛文五年なら乙巳だがそういうことではなく?

判らん過ぎる。そこでアヤシイ「豊田市史文化資料 社寺編(1)」を引っ張り出してみた。

また社蔵棟札写しに「奉献大明神御本社天徳3年(959)3月14日衣(挙母)下之宮二社大明神神宣□□鈴村甚三良」とある。

引用部分の数字を西洋文字にした挙句,括弧書きで無神経に注釈入れてんじゃねー!と思わずツッコミ。その直前に「文治建久の頃(1189)、源義経の家臣、鈴村義宗が鈴木重善(善阿弥)、篠田源之進勝善とともに、義経の没落後、当地に来て大和吉野から勝手名神を勧請し」と書いてあるんだから,年代のギャップに気付けよとか(一言も無いのだ)。頃って言いながらビシッと(1189)年代つけてるのも意味判らん。

本家,吉野の勝手神社は下手すると紀元前の創建(あんまり信じてないけど)だそうなので,そことの齟齬では確認できない。鈴村甚三良さんがいつ頃の人か,とかで追うしかないか。

創健者の苗字が鈴村と鈴木と篠原かー。寄付人の鈴村さんと鈴木さんは末裔かなー(鈴木重善の名は,挙母神社の由緒書きにも出てくる)。

不明点が多すぎるので,無駄に考えるのはここまでにして,境内社。境内の社記には「大神宮,八幡,白山,津島,八坂,山神,秋葉,稲荷」と挙げているが,前述の怪しい本には,もう一つ多賀社の名がある。どこへ行ったのか。

もう一つ,同じ本に,境内に本地仏薬師堂ありとの記述。西のはずれの建物は,それだろうか?

それにしてもイライラする(笑)。やっぱり全部,(引用物でなく)実物に当たらなきゃダメなのか。

うーむ。調査中に付き,ここまで。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ

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勝手神社〔1〕
豊田市下林町の勝手神社。根川小学校の北西。
(金谷町の勝手神社についてはこちら→

いい加減な手描き地図しか見ていなかったため,少し迷った。小学校を一回りしてしまった。

鳥居発見。
勝手神社1(070203豊田市)


振り向いてみると,参道の名残のような並木。
勝手神社2(070203豊田市)

突き当りに見えるのが小学校。

改めて鳥居から社殿方向を眺める。
勝手神社3(070203豊田市)


ピンボケの標柱。「勝手神社」
勝手神社4(070203豊田市)

上の消されている部分は,多分“村社”。裏に「大正三年一月吉日」。

鳥居。
勝手神社5(070203豊田市)


境内。結構広い。
勝手神社6(070203豊田市)


燈篭,神楽殿?,向こうに狛犬と社殿。
勝手神社7(070203豊田市)


燈篭。昭和三年一月奉納。
勝手神社8(070203豊田市)


横に「御大典記念」。
勝手神社9(070203豊田市)


神楽殿か舞殿か,それとも?いつも困る。
勝手神社10(070203豊田市)


その屋根。左三つ巴がズラリ。
勝手神社11(070203豊田市)


同じく。垂木と木鼻が綺麗だったので。
勝手神社12(070203豊田市)


社殿。境内社などと並んでいて,横に広い。
勝手神社13(070203豊田市)


狛犬さんと門。門の向こうは拝殿だと思う。
勝手神社14(070203豊田市)

シャッターが……。

阿の狛さん。
勝手神社15(070203豊田市)


吽の狛さん。
勝手神社16(070203豊田市)

昭和五十二年七月奉納。自分より若い狛犬はすぐ判る。古社だと聞いて期待していたので,ちょっと拍子抜け。

さっきの燈篭もだが,寄付人の名前に鈴木さんと鈴村さんが異様に多い。

門の前面。
勝手神社17(070203豊田市)


この注連縄,樹脂フィルムだよ。
勝手神社18(070203豊田市)

最近,たまに見る。

格子の奥を覗いてみた。
勝手神社19(070203豊田市)

何やら奥行きが。このまま本殿まで続いているのだろうな。

あとは次の記事にて。勝手神社は,ご祭神も含めてわかんないことが多すぎて,頭混乱中。ただ,境内に社記はあったし,市史とかに記述もあるし,それなりに記すことはあるのだ。

しかし知識と考察が足りない。もどかしすぎる。

・勝手神社
【住所】愛知県豊田市下林町7丁目37番地
【地図】Google マップ

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日吉神社
安城市浜屋町の日吉神社。読みはヒヨシかヒエか不明。
愛知県神社庁のリストには日吉社と。

標柱には「日吉神社」。吉の上は士でなくて土。
日吉神社1(070209安城市)

裏に「明治四十二年十月建之」。「愛知県碧海郡神社写真帖」でも「参河国碧海郡誌」(ともに実際は旧字体)でも,社格は村社なのだけれども,これで村社って読める?

参道は脇へ追いやられて企業の従業員駐車場に。
日吉神社2(070209安城市)


こんな鳥居の際までクルマ。
日吉神社3(070209安城市)


平成七年竣工の「ひよしばし」から社殿方面。
日吉神社4(070209安城市)


狛犬さんとツッカイ棒つき社殿。
日吉神社5(070209安城市)


阿の狛さん。
日吉神社6(070209安城市)


吽の狛さん。
日吉神社7(070209安城市)

大正十四年十二月奉納。「岡崎市明大寺町 石工 浦部芳造」とある。

拝殿の額には「日吉社」。こちらの吉の上は士。
日吉神社8(070209安城市)


拝殿の奥。右が本殿。
日吉神社9(070209安城市)


本殿。
日吉神社10(070209安城市)

千木は内削ぎ。鰹木は6本。

社殿に向かって右の奥にあった建物。境内社?
日吉神社11(070209安城市)

中,覗いて来ればよかったかな。

狛犬さんの手前にあった「御大典記念」。
日吉神社12(070209安城市)

名前と用途が判らない。よく見るのだけど。昭和十三年八月発行の「愛知県碧海郡神社写真帖」に同じものが写っている。昭和の御大典でいいのかな?

境内のはずれ(外?)にあった「忠魂碑」。
日吉神社13(070209安城市)

駐車場や公園や,いろんなものになってて境界がよく判らなかったのだ。

その曖昧な領域に花。
日吉神社14(070209安城市)


梅ですかネ(撮影は2月9日)。
日吉神社15(070209安城市)


ああ,それにしても駐車場。
日吉神社16(070209安城市)

哀れなり。

境内には由緒を書いたものが見当たらなかったので,手元の資料を漁ってみたが,たいしたことは書いてない。旧郷社以上のクラスになると,記述も多いんだけど。

前述の「愛知県碧海郡神社写真帖」から引用。

安城町大字大濱茶屋字屋敷山鎮座
村社 日吉社
御祭神 大山咋命
例祭日 十月十四日


例祭日,昨今は,土日や国民の休日に合わせてずれているかもしれない。どこもそんな感じだから。

それなりにきれいにしてもらっているような,そのわりに境内地の削られ方が激しいような,微妙な感じのお社だった。

・日吉神社/日吉社
【住所】愛知県安城市浜屋町屋敷山6
【地図】いつもガイド
■関連■
 ★訪問神社リスト【安城市】

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

風強かった?
窓ガラスがミシミシ……。鉄筋でサッシで震災後の建築なんだがな。

神社の記事書こうと思って,画像アップまで済ませたのに気力がない。また今度~。

こないだ図書館で借りてきた「豊田市史文化資料 社寺編(1)」を読んでみている。正誤表が貼ってあって,たかが90ページにも満たない小冊子に40項目以上の誤りがありました……もショボイんだけど,神名のフリガナがねえ。

高皇産霊神にタカミスメラウブノカミ。

天邇岐志国邇岐志天津日子番能邇々芸命にアメノニギシノクニニギシアマツヒコツガヒノニニギノミコト。

天萬栲幡千幡比賣命にアメノコロワタエハヤチハヤヒメノミコト。


どうよ?こういう読み方もかつてあったってことかい?(天照大神がアマテルオホンカミくらいなら江戸時代頃まではあったから驚かねー)。昭和45年発行なんだがなあ。

自分の好み的には,

高皇産霊神はタカミムスヒ/タカミムスビ,天邇岐志国邇岐志天津日子番能邇々芸命はアメニギシクニニギシアマツヒコホノニニギノミコト,天萬栲幡千幡比賣命はアメヨロズタクハタチハタヒメノミコトだな。

ニニギに関しては,もう一個ヒコが欲しい。天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命,ね。上に挙げた例は挙母神社のご祭神を書いた箇所の一部なんだけれども,その挙母神社境内の由緒書きには,日高の入ったほうで書かれてることだし。

バッサリ「有り得ん!」と切り捨てるほど知識が無いのだが,読み進めると違和感のあるところがゾロゾロ。

そして決定打。垂仁天皇にスジン。駄目でしょ……。

他にも,両勝手神社(下林町と金谷町)のご祭神,天受鬘命に思いっきりアメノウズメノミコトのルビ。本当?それ考えがあって読んだ?関連無いとは言い切れないけど,普通ウズメは天宇受賣命だよ?何も意見や裏づけが無いんだったら,おとなしくアメノウケノリにしといて欲しかったなあ(まあ読み間違いだよね)。

せっかく社寺特化のいい本があったと思ったのにo(`ω´*)o

というわけで更に脱力の日々。

テーマ:( -_-)旦~ フゥ - ジャンル:日記

睡眠時間
先週末に薬をかえてから,やたら眠れる。トータル時間だけではない。連続するのだ。

だいたい会社に通っているときは,2~3時間おきに目を覚ます×1~2くらいで寝付きもよくない。休み出してからも,繰り返し寝るだけの時間はあるにしても,長くとも4時間もすれば,一度目が覚めてしまっていたのだが。

これはこれで嬉しいけれども,4時間寝たらシャキ!みたいなのがホントは助かる。もったいないじゃん,睡眠時間。療養中は,そりゃ多めにとるつもりだけどさ。

熟睡できれば4時間で充分だと思うんだよね。したら,定時勤務8+昼休み1+残業2+通勤往復1.5,睡眠4で16.5でしょ?残り7.5時間もあれば,毎日色々出来るもんね。そこから風呂メシその他取られるにしても。

今朝は連続8時間も寝てたのにまだ眠い。眠れない苦しみに比べたら馬鹿みたいな状態だけど,ちょっとね……。

テーマ:(  ´・ω・)モニュ? - ジャンル:日記

明治川神社〔3〕
明治川神社の記事,3つめ(以前の記事はこちら→)。

由緒書きと境内社,その他について。

まず由緒書き(社記)。長いので,適宜改行した。
社記
一、神社名 明治川神社(水神社)

一、例 祭 四月十八日

一、鎮座地 安城市東栄町柳原九番地

一、祭 神 大水上祖神、水分神、高龗神、
      都築弥厚命、伊豫田与八郎命、
      岡本兵松命、西沢真蔵命

一、崇敬者 壹萬五千戸

一、由 緒 文化五年(一八〇八年)頃、都築弥厚翁が碧海台地の開発を計画されてより、七十余年の歳月を経た明治十三年(一八八〇年)四月十八日、松方正義内務ご参列のもとに用水路竣工の式(水源)と、祝賀の宴(現地)が盛大に挙行された。その時の一同の歓喜と感激とがここに結集して神社を創立することとなつた。

即ち、長年用水の缼乏をかこち農村の疲幣(※原文ママ)に泣いたのが、用水路の開通によつて一大飛躍を見るに至つたので、水に由縁の深い神、三柱を同年十二月現今の境内地に勧請し奉つた。

その後、明治十七年十月社号を明治川神社とし、翌年一月本社の公認を申請、同年四月一日無格社として認可を得同年十月十日本社が落成した。

明治四十二年(一九〇九年)八月無格社より郷社に列格、翌四十三年四月共進神社に指定された。

大正四年(一九一五年)十一月都築弥厚大人が合祀され、つづいて昭和十七年五月伊豫田与八郎命、昭和二十六年五月岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又、昭和三十一年三月西沢真蔵大人「枝下用水」が共に合祀されて用水の守護神として厚く奉斎を受け給うのである。

昭和二十八年一月三十日宗教法人となり現在の神社等級は四級社である。

一、神社名 伊佐雄社(末社)

一、祭 神 田中勘七郎命、本多寛三郎命、加藤太兵衛命、
      黒宮許三郎命、中根祐命、木藤八三郎命、
      黒川治愿命、本多又左衛門命(北野用水)、
      小原権太夫命(北野用水)、
      天野金右衛門命(鹿乗川)、
      加藤吉右衛門命(鹿乗川)

一、例 祭 十月十八日

一、由 緒 当社は本社の左側に鎮座ましまして、「功」つまり功労者を奉祀する神社である。もとは、明治十四年(一八八一年)上倉池の小島の上に発起者並に出資者を奉祀し、開拓小作のため移住した人々と共に鎮守の神として崇敬の誠を捧げていたが、この上倉池も開拓し盡されたので、明治十八年明治川神社の公認認可を機会に現在の地に遷座し奉つた。

ここに特筆したいのは、関係者が何れも存命中に神として奉祀せられた所謂「生祠」であることである。

なお、昭和四十七年八月鹿乗川沿岸用排水土地改良区が明治用水土地改良区に合併したため、北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった各二柱が翌四十八年十月合祀せられた。/明治川神社社務所

つまり祀られているのは明治用水の功労者のみではないということである。西沢真蔵については,樹木神社の記事で書いた。

東側の鳥居辺りにあった石燈篭。
明治川神社17(070209安城市)

裏に「為負傷全癒紀念 明治三十四年十月二日」とある。

立派な神馬。
明治川神社18(070209安城市)


境内に向かって左手前の建物。
明治川神社19(070209安城市)


蟇股っていうんだっけ。
明治川神社20(070209安城市)


その裏。社殿にむかって左奥にある「伊佐雄社」。
明治川神社21(070209安城市)


手水舎。
明治川神社22(070209安城市)


鳥居から社殿。
明治川神社23(070209安城市)


狛犬さんと社殿。
明治川神社24(070209安城市)


阿の狛さん。
明治川神社25(070209安城市)


吽の狛さん。ピンボケ。
明治川神社26(070209安城市)

雨上がりに,この茂った竹ではなかなか……。
大正九年一月奉納。

吽の狛さんの苔。
明治川神社27(070209安城市)


拝殿というか,多分門。
明治川神社28(070209安城市)


本殿。
明治川神社29(070209安城市)

千木は……削ぎ方向が見えなかった。鰹木は5本。

比較的近年の功労者を称えた神社ということで,地域密着で面白いと思う。ここと対になるのが,恐らく豊田市の水源神社(由緒にも水源がどうのってあったでしょ)。そっちも行ってみないかんな。

・明治川神社(水神社)
【住所】愛知県安城市東栄町柳原9
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明治川神社〔2〕
明治川神社,再訪。以前の記事はこちら

南側の大鳥居。
明治川神社1(070209安城市)


「財団法人 中央化團體聯合會指定 化史跡 明治用水」
明治川神社2(070209安城市)

中央教化団体連合会って昭和三年設立なんだってさ。教化って言葉,印象悪いなあ。なんでだろ?

この標柱は,裏に「紀元二千六百年記念」とあるから,1940年(昭和15年)あたりに建てられたもの。

樹で隠れて鳥居がよく見えなかったので別角度で。
明治川神社3(070209安城市)

貫は柱から突き出してない。楔。中央に額束なし。柱は円柱。ころびは無し(微妙)。

笠木の断面は五角形。
明治川神社4(070209安城市)

というわけで伊勢鳥居だと思うがどうだろう。

「社記」。由緒など。内容は次の記事で。
明治川神社5(070209安城市)


お久しぶりの境内。
明治川神社6(070209安城市)

ウォーキングの皆さんと遭遇。お元気ですね。

狛犬の周りを回ったら,石工さんの名前発見。
明治川神社7(070209安城市)

「酒井孫兵衛作之」。おっと孫兵衛氏,名工らしい。岡崎の巽彫刻工房さんのサイトに,特集ページがあった。

[参照] コマヤン戦前(一番上)

明治川神社の狛犬さんは,大正時代のかなあ。それにしても狛犬の尻は可愛い(全体像は以前の記事にて)。

格子の隙間から。見えるのは本殿?
明治川神社8(070209安城市)


社殿の北側(向かって右方面)の建物二つ。
明治川神社9(070209安城市)

右が社務所で,左がご祈祷なんかしていただくときの上がり口?とか勝手に判断。

左の建物。唐破風(っていうかね?)が美しい。
明治川神社10(070209安城市)


懸魚?の飾りは菊か。
明治川神社11(070209安城市)


境内社なんかへも行ったのだが,以後の記事に回して,神社の周囲について。ぐるっと回ってみた。

東側の道沿いにあった。由緒書きのなれの果て?
明治川神社12(070209安城市)

東側にも鳥居が一基あるのだ。少し奥まったところにあって,小さい。

これが東側の鳥居(再録)。社殿の正面。
明治川神社2(20060708安城市)

こちらは反り増しあり,貫は柱から突き出してない。ので中山鳥居かなあ。

歩道にコッコが溢れている。
明治川神社13(070209安城市)

ニワトリとチャボの区別ってどうつけるのですかい?大きさ?

右下の白いのはコッコじゃないようだが,何ちゃん?
明治川神社14(070209安城市)

ウコッケイにしては頭の毛が短いような。

北側の大鳥居。多分南のと全く同じ形。
明治川神社15(070209安城市)

右下の由緒書き?読んでくるの忘れた。

西側。社殿の裏辺りか。
明治川神社16(070209安城市)

この生い茂った竹やら何やらで,本殿の形は確認できず。素晴らしい杜だと思う。

次は,由緒書きと境内社について書く予定。
(続きの記事はこちら

・明治川神社(水神社)
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冬の白
この冬は雪がありませぬでな。

まさに干したての切り大根。
切干大根(070210豊田市)

北野天満宮から愛知環状鉄道の貝津駅へ向かう途中で見た風景。

線路の南側では,多分そこの農地の奥さんが,笊いっぱいの大根を,広げて干している最中だった。傍を過ぎるだけで健康になりそうな,新鮮な大根の香り。

実は切干大根は苦手なのだが。でも,ごま油で炒めた奴はウマイ……かな?

初めて見たので感動したのだった。いいぞ,豊田市。

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常盤町のお堂(石仏2体と津嶋神社)
国道155号線沿い。樹木町1丁目の交差点のすぐ南。黒川米穀さんの向かいにあるお堂。

3つ並んでいる。
常盤町のお堂1(070208豊田市)


一番右。瓦葺き。
常盤町のお堂2(070208豊田市)


屋根に卍マーク。
常盤町のお堂3(070208豊田市)


中の石仏。
常盤町のお堂4(070208豊田市)

立て膝,頬杖,一面六臂,足の裏を合わせた座り方,右手胸元の宝珠,左手の輪などで必死で調べたところ,どうも如意輪観音であるらしい。失礼な物言いかもしれないが,色っぽい像だ。

真ん中のお堂。これも瓦葺き。
常盤町のお堂5(070208豊田市)


屋根には「水」の文字。火伏せだな。
常盤町のお堂6(070208豊田市)

左三つ巴の周りに丸が十二個。よく見るけどこういう紋?丸は飾り?

中の石仏。
常盤町のお堂7(070208豊田市)

右の手の平をこちらへ向けて下へ,左手に蓮の花瓶などと,これも必死で調べた。聖観音のようだ。

一番左のお堂。銅葺き?
常盤町のお堂8(070208豊田市)


中のお社。
常盤町のお堂9(070208豊田市)

千木は外削ぎ?鰹木は5本。

横に張ってあった由緒書き。
常盤町のお堂10(070208豊田市)

書き写しておく。人名がところどころに出てくるが,恐らく関係者かご本人が今もお住まいのはずなので伏字にした。
 津嶋神社のいわれ
 そもそも当津嶋神社は 明治四十年頃 大字挙母字相生辺りに発生した赤痢伝染病がだんだん北上し我が常盤町へと侵入してきたので、時の先輩○○○○、○○○○、○○○○○の各氏が中心となり防衛策として 津嶋神社(お天王さん)を祭りしにご利益たちまち病が撲滅したと伝え聞く、又、昭和四年にもチフスが蔓延して組内で○○○○、○○○○両氏が死亡し、挙母町内で四十四人が隔離病院に入院された事もある。また昭和五十七年頃より組内で次々と各種の病気が発生し 幾人かが死亡し 現在に至っている。

そこでまず○○○、○○○○○、○○○○が発議し、上組十二戸が中心となり、時の評議員○○○○の呼びかけに三十四名の賛成調印でその寄附金により大晦日間近い十二月三〇日○○金光教支部長の厳なる遷座式を挙行、私達は今後 家内安全 無病息災を祈願しつつ 当お津嶋さんが永久にに(※原文ママ)お守り下さる事を信じ続けていきたいものであります。/昭和五十七年十二月三十日

金光教,常盤町内に教会がある。

こうやって,地域で守られてる小さなお堂やお社ってたくさんあるんだろうな。ここも花や榊が真新しくて,頻繁にきれいにしてもらってることが窺えた。

・お堂(恐らく如意輪観音と聖観音)
・津嶋神社
【住所】愛知県豊田市常盤町2丁目
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薬が!
何故2週間分なのに,ポテチなみにでかい袋になるですか?

結局,病名が付くほどの異常値は無し。らしい。
告知されてないだけかもしれんけどねー。

告知の有無も治療の一環だろうから(何が何でも教えろという姿勢は取っていない),オマカセコース。

薬が変った&追加。追加は初めての漢方薬。マズー。
そしてまた半月延びる欠勤。

うだうだうだ。
今日は目が回るのでおとなしくしていた。

テーマ:(  ´・ω・)モニュ? - ジャンル:日記

北野天満宮
時事ネタ。受験シーズンに是非。
先に断っておくけれども,愛知県豊田市の北野天満宮だから。

畑のこっちから撮影。
北野天満宮1(070210豊田市)

鳥居までまっすぐという参道が無いのだ。お参りするには,脇から攻めねばならぬ。

鳥居は畑ギリギリにあるので,近くで撮るとこんなん。
北野天満宮2(070210豊田市)


素朴な手すりの外は梅園。
北野天満宮3(070210豊田市)


咲きかけだった。
北野天満宮4(070210豊田市)


ここから階段を上ると社殿。
北野天満宮5(070210豊田市)


「北の梅園」だって。
北野天満宮6(070210豊田市)


水盤にアオコが。栄養がいいのかな?日当たりはばっちり。
北野天満宮7(070210豊田市)


これは拝殿かのう。
北野天満宮8(070210豊田市)


御神酒代をいくら納めたなんていう張り紙が。
北野天満宮9(070210豊田市)


絵馬びっしり。千羽鶴も。
北野天満宮10(070210豊田市)


社殿の傍の梅が,一番よう咲いとるね。
北野天満宮11(070210豊田市)


絵馬には道真さんの絵が。
北野天満宮12(070210豊田市)

みんな受かったかね?まだ頑張っとるかね?

社殿。
北野天満宮13(070210豊田市)

千木は内削ぎ。鰹木は5本。

社殿側から鳥居方面。
北野天満宮14(070210豊田市)

鳥居,傾いてる?微妙?

貝津駅ホームから。オレンジのアパートのすぐ右に鳥居。
北野天満宮15(070210豊田市)

このアパート群は中京大生専用らしい。左上の白いケッタイな建物が中京大学。

近辺に社名を書いたものは見当たらなかった。地図にそうあったので「北野天満宮」。場所は,愛知環状鉄道の貝津駅すぐ北。

・北野天満宮
【住所】愛知県豊田市貝津町
【地図】いつもガイド
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低空飛行
ここ3日ばかり薬漬け。

……辛い。

明日は検査結果の出る日。うふふ。
どーにかなる病気だといいな。いいなったら。

テーマ:( ゚д゚ ) ・・・・・・、 - ジャンル:日記

白瀬中尉終焉の地
豊田市の駅前通の南側。商店街がブチ壊されて,何やら多目的なビルとやらを建設中。

あの喫茶店やうどん屋はどこへ移転したのかなどと思いつつ歩く。

わあ高い。
駅前通工事中(070203豊田市)

大通りの北側は,まだそのまま。でも喜多神社が気になって,すぐ覗いてしまう。まだしばらく無事だね,きっと。
(喜多神社の記事はこちら→

工事中のエリアを抜け,通りをスタジアム方面へ歩くと,ここ数年は多分そのままの一角に出る。以前紹介した鶴の湯さんの辺りだ。

「白瀬中尉終焉の地」
「白瀬中尉終焉の地」石碑1(070203豊田市)

鶴の湯さんのすぐ隣(東側)にある石碑だ。白瀬中尉は,南極探検の,あの白瀬矗である。冒険家で英雄で,もっと短く太く生きた方かと思っていたが,苦労の多い人生だったようだ。

[参照] Wikipedia 白瀬矗の項

この辺りが実家というわけでもないのだ。哀れである。

第1次南極観測隊隊長,永田武による碑文。
「白瀬中尉終焉の地」石碑2(070203豊田市)

「白瀬中尉 本名矗(のぶ) 日本人として最初の南極探検を企て南緯八十度五分の地に至り大和雪原と命名する/昭和二十一年九月四日八十六才でこの地に没する/第一次南極地域観測隊長 永田武 書」

[参照] 昭和基地NOW!!

すぐ近くで見つけた路地。
路地(070203豊田市)

ちょっと素敵じゃん。通り抜けてみて楽しんだ。

・愛知県豊田市神明町2丁目付近

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八劔神社〔3〕
蒲郡市三谷町の八劔神社の記事,3つめ。
(前の記事はこちら→

その他境内にあったものについて。

三の鳥居入ってすぐ左の神馬。
八劔神社27(061216蒲郡市)

横っ腹の紋は丸に……五三(五七?)桐に……竹か。熱田神宮の神紋が桐竹(桐は五七)なのだが,ええと?

神馬と境内社の間,「皇大神宮遥拝所」
八劔神社28(061216蒲郡市)


水神宮向かって右の「靖國神社遥拝所」
八劔神社29(061216蒲郡市)


水神宮向かって左の「長寿の亀」
八劔神社30(061216蒲郡市)

「この亀にのると長生を致します」
いや……乗らなかったけど……。

二の鳥居入って左の「武内明道柳心斎先生之碑」
八劔神社31(061216蒲郡市)

どちらさまでござんしょう。存じ上げない。

後ろに「一金五千圓也」という石柱も見えるが,蒲郡の神社内にはこういうのが林立している。この辺りでは,こうやって一本一本立てる流儀なのか。

二の鳥居を入って右だったかな。「日露戦役紀念」の石燈篭。
八劔神社32(061216蒲郡市)


蒲郡市教育委員会による三谷祭の説明看板。
八劔神社33(061216蒲郡市)

同じ三谷町内,田尻神社横の若宮八幡宮にも同じ看板があった。男衆が山車を引きながら海中へ突っ込むという凄いお祭らしいよ。

[参照] Google イメージ検索

例祭日は十月の第四土日って書いてある。人ごみダメだけど,これは見てみたいなあ。

今回のレポートは,2006年の暮れに行ってきた時のものなので,改修工事はもっと進んでいるはず。いつ完成予定なのかな,完成したら,また行きたいと思っている。

・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139

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八劔神社〔2〕
蒲郡市三谷町の八劔神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

境内社について。

社殿に向かって右の源太夫神社。
八劔神社18(061216蒲郡市)

蒲郡市博物館の説明によれば,ご祭神は乎止世命。こちらでの記述は「源太夫社」。境内の由緒書きや鳥居の額には「源太夫神社」。

乎止世命って知らなんだので調べてみた。ヤマトタケルの妻,ミヤズヒメの父親らしい。尾張国造だったって。読みは“オトヨノミコト”。

古事記をひっくり返してみた。ヤマトタケルが父天皇に「東国を平定してこい」と命ぜられ,もうそういうのが何回も重なって哀しくなってたタケルが叔母のヤマトヒメに泣きつくシーン(ここでクサナギノツルギと火打石入りの袋をもらう)の直後に「到尾張國、入坐尾張國造之祖、美夜受比賣之家」とあるが,父親の名は無いようだ。

同じく日本書紀では,ヤマトタケルが,動こうとしない兄オオウス(猿投神社の主祭神である)のかわりに「俺が行くぜ」と言って東国へ。で,色々あって信濃→尾張でミヤズヒメが出てくるが,「即娶尾張氏之女宮簀媛」で,やっぱり父親の名はない。

そういや尾張氏のことが先代旧事本紀に出てくるわってんで探してみると“天孫本紀”に「乎止與命が尾張大印崎の娘,真敷刀婢為を妻として一男をもうけた」とは書いてあるらしい。娘は?

よく判らんが(熱田神宮の伝承には出てくるのだろうなあ。摂社にいらっしゃるようだし),源太夫神社には,八劔神社のご祭神,ヤマトタケルのお舅さんが祀られているということで一つ。

同じく社殿の向かって右。「諏訪神社」と「天満社」。
八劔神社19(061216蒲郡市)

最初に見つけた脇の鳥居を入ってすぐ右のところ。天満社は由緒書きには出てこなかったがなあ。書かれたより後に祀られたのかなあ。

同じく。向かって右が諏訪神社。左が天満社。
八劔神社20(061216蒲郡市)

ちゃんと牛くんが居る。一つのお社に2社ですよーという注連縄の掛け方。千木は外削ぎ,鰹木は5本。

また蒲郡市博物館の説明によれば,諏訪神社のご祭神は御柱の諏訪大社と同じで建御名方神,天満社は自在天神とある。自在天神は,その神号を付けられた菅原道真公ということでいいのだと思う。

三の鳥居から入って左手。
八劔神社21(061216蒲郡市)

三社まとめて入ったお社と,赤い鳥居と幟の稲荷神社。

社殿にあった看板によれば,三社とは

秋葉社
【祭神】火之迦具槌大神
 防火 防災 工業の神様

御鍬社
【祭神】天照大御神
 農業推進五穀豊穣の神様

尺地社
【祭神】猿田彦大神
 鎭宅 防災 守護の神様


大棟(屋根の合わさった一番上)に金色の丸が見えるが,あれが3社それぞれの神紋であるはず。きちんと見て来ればよかったな。由緒書きでは「秋葉神社」「御鍬神社」「尺地神社」。

屋根にハト。よく見ると吽の狛犬の頭の上にスズメ。

稲荷神社。幟には「伏見稲荷大明神」
八劔神社22(061216蒲郡市)

看板によれば,

稲荷社
【祭神】宇賀之御霊大神
 五穀を司どり商売繁盛開運の神様


蒲郡市博物館の説明によれば,ご祭神は「稲蒼魂命」なんだけど,倉稲魂の間違いだよね。由緒書きでは「稲荷神社」。

最初に見つけた鳥居を入ってすぐ左の「水神宮」
八劔神社23(061216蒲郡市)

工事のおじさん,カメラ目線だった。ごめんなさい。お邪魔しましたです。由緒書きでは「水神社」。ご祭神は未調査。

二の鳥居を入って左の「金刀比羅社」。
八劔神社24(061216蒲郡市)

由緒書きには「金比羅神社」。ご祭神は香川の総本社と同じだろうか?

こんぴらさんの額。緑青かな?いい色。
八劔神社25(061216蒲郡市)


社殿に向かって左にあった建物。
八劔神社26(061216蒲郡市)

額が読めなかった。境内社ではない気がするけど,何だろう?あんなところに八劔宮なんて立ってるし。

境内社,建物系は以上。あとは石碑などを後の記事にて。

・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139

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八劔神社〔1〕
蒲郡市三谷町の八劔神社。読みは“やつるぎ”のようだ。

実際に地元の方が何と呼んでらっしゃるかは未確認(正式名通りに呼ばれて無い例もあるでしょ?)。

行き当たりばったりにJR三河三谷駅下車,三谷町内の天白神社(記事はこちら→),若宮八幡&田尻神社(未紹介),秋葉神社と回って,かなり疲れて歩いていたら,駅前通から千木と鰹木が見えた。

レストランの看板に黒ずんだ塀に煙突に神社の屋根って凄い構図
八劔神社1(061216蒲郡市)

そしてブルーシート。雨漏りでもひどいのかと訝りつつ,近づいてみた。

おっと工事中。これは東側の脇の小さな鳥居。
八劔神社2(061216蒲郡市)


社殿正面の鳥居まで回ってみた。実はこれが三の鳥居。
八劔神社3(061216蒲郡市)


社殿(神殿)の建て替え工事のようだ。
八劔神社4(061216蒲郡市)

真ん中の「東立面図」,右端が本殿にあたると思うのだが,こののっぺり&窓つきには見覚えが。天白神社の本殿か。

ご迷惑かと思って鳥居の外から写真を撮っていたら,休日だというのに一人で仕事してらした作業員の方に「入ってもいいよ」と声を掛けていただいた。ありがたく中に入った。とはいえ,勿論,立ち入り禁止区内へは入らず。

わー拝殿バキバキ。
八劔神社5(061216蒲郡市)

なかなか見られる光景じゃないよね。

こんな状況でカラス。写ってないがスズメもたくさん。
八劔神社6(061216蒲郡市)


工事現場は楽しいかい?何かいいものが落ちてるのかな。
八劔神社7(061216蒲郡市)


もう一回,反対側から,うひゃー。
八劔神社8(061216蒲郡市)

こんな時,神様はどちらへ?と思っていたら,ちゃんと避難(?)しておられるようだ。

下社務所が仮拝殿に。
八劔神社9(061216蒲郡市)


ちゃんと灯の入ってる神社っていいなあ。
八劔神社10(061216蒲郡市)

一枚二千円で,新神殿の瓦を奉納できると書いてあったのだが,ヨソモノのすることでもないかと思って辞めてきた。あとから漏れ聞いたところによると,神殿修復の資金集めは難航しているっぽい。数千円なりとも,納めてくるべきだったか。

仮神殿の逆立ち唐獅子。後ろ足ぴーん。
八劔神社11(061216蒲郡市)


反対側でもぴーん。
八劔神社12(061216蒲郡市)


さっきから参道を逆に歩いている。途中に立派な由緒書き。
八劔神社13(061216蒲郡市)

内容はあとで。

これが二の鳥居。額には「八劔宮」
八劔神社14(061216蒲郡市)


これが一の鳥居。かなり大きい。額には「八剣宮」?
八劔神社15(061216蒲郡市)


号標には「郷社 八劔神社」
八劔神社16(061216蒲郡市)

「寶飯郡三谷町鎮座」になっとるね。三谷町が蒲郡町,塩津村と合併して蒲郡市が出来たのが1954年4月1日なので,この号標はそれ以前のもの(見てくるの忘れた)。

関係行事を書いた紙がガラス張りの掲示板に貼ってある。
八劔神社17(061216蒲郡市)

大通り沿いなので,これくらいしないとボロボロになるな,きっと。車バンバンだし。海も近いしさ。

境内社や石碑も面白かったのだが,後の記事で紹介することにして,由緒書きを写しておく(適宜改行した)。
御由緒

一 祭神

日本武尊

一 由緒

當八劔神社ハ國内神名帳に從五位上八劔神社坐寶飯郡トアル古社ニシテ尾張國愛智郡熱田ノ宮ニ鎮リマセル神靈ヲ勧請移座セル深キ由緒ヲ有ス

抑々當社は古來三谷郷産土ノ神トシテ郷黨尊崇ノ中心タルノミナラス又武神トシテ世々ノ武將ヲ始メ一般衆庶(※旧字体)ノ崇敬を蒐ム

建久元年安達藤九郎盛長ハ源朝ノ命ヲ受ケ奉行トナリテ社殿ノ造営ニ任シ徳川家康ハ天文十六年駿河ヘノ途次及ヒ天正十年濱松ヘノ歸途特ニ當社ニ參拜シテ武運長久ノ祈願ヲ籠メタリト傳フ

慶長五年領主ヨリ社領ノ寄進アリ

爾後各領主亦之ニ倣ヒ以テ明治維新ニ及ヘリ

三河二葉松ニ三谷村八劔大明神社領六石六斗四升六合トアルハ是ナリ

明治十七年八月十二日社格ヲ附セラレテ郷社ニ列セラル

往昔ハ廣表四町四面ノ神域ヲ有セシカ戦國ノ亂世ニ及ヒ縮狹セラレテ今ハ森ト称(※旧字体)スル地名ニ纔ニ其ノ名殘ヲ留ムルニ過キス然共尚千八百有餘坪ノ境内ニハ老松鬱蒼トシテ社殿ヲ圍繞シ古ヲ偲フニ足ルモノアリ

境内神社トシテ源太夫神社諏訪神社稲荷神社御鍬神社秋葉神社尺地神社水神社金比羅神社ノ八社ヲ存ス

一 例祭

陰暦九月九日俗ニ三谷祭ト称(※旧字体)ス

建久元年は1190年,天文十六年は1547年,天正十年は1582年,慶長五年は1600年。「三河二葉松」って,三河史の資料になりそうだな。引用しか見つからんけど。

ほー。日本武尊。ほー。家康も頼朝も絡むか。ほー。

次の記事で,境内社その他について記す予定。

・八劔神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町七舗139

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日吉神社〔3〕
豊田市広美町の日吉神社,再訪(以前の記事はこちら→)。

隣は聞名寺というお寺さん。
日吉神社1(070129豊田市)

1月の末だというのに,左手の畑では菜の花が満開だった。

相変わらずの参道。絶対,桜の時期にも来ねば。
日吉神社2(070129豊田市)


境内に火を焚いた跡。正月はにぎわったのだろうか。
日吉神社3(070129豊田市)


鳥居も社殿も,注連縄が掛けかえられていて真新しい。
日吉神社4(070129豊田市)

扉に大きな張り紙がしてあった。
「参拝の皆様にお願い/不審者に再三に渡り錠前を破壊されたので今後賽銭はあげないようお願いします。/平成十八年十一月 宮係」
この状態で正月を迎えたのか。何だか色々考えてしまって脱力。

水盤が無いなあと思っていたら,こんなところに。
日吉神社5(070129豊田市)


ちゃんと石。コンクリじゃない。
日吉神社6(070129豊田市)

注連縄も化繊やビニールじゃないしさ。いいお社だよ,ここ。

社殿の垣に何やら汚れ。
日吉神社7(070129豊田市)


べたべたべた。ホラー映画風。イケマセンよ……。
日吉神社8(070129豊田市)


境内の秋葉社さんも注連縄をかえて貰って立派に。
日吉神社9(070129豊田市)

前回来たときは,ちょっとみっともなかったのだ。

うん。立派立派。
日吉神社10(070129豊田市)


朝日の中の狛犬さんたち。
日吉神社11(070129豊田市)

こんなナナメの光の中で狛さんを眺めていたら,吽の狛さんの股間にチン(笑)があるのを発見。

阿の狛さんの股間。
日吉神社12(070129豊田市)


こちらが吽の狛さんの股間。
日吉神社13(070129豊田市)

場所や時代や解釈によって,雌雄は色々あるみたいだけど,こちらでは吽のほうがオスだってことなのかな。

ここでチンを発見して以来,狛犬の股間を覗き込む癖がついてしまった。奉納の年代や石工さんの名前を見るために,狛犬の後ろへ回る行為ですら怪しいらしいのにな。しかも写真を撮る。

人目があったって,もう慣れたけど……。

・日吉神社
【住所】愛知県豊田市広美町中之切11

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神社巡り覚え書(2/10)
愛知環状鉄道で行こう神社巡り第二段(前回は岡崎駅)。

→保見駅
→射穂神社+保見神社(豊田市保見町)
→貴船神社(豊田市東保見町)
→北野天満宮(豊田市貝津町)
→貝津駅

射穂神社,山の上過ぎ。距離はたいしたことないのに,もの凄く疲れた。参道入り口の鳥居まで降りるの忘れてきちゃったしさー。あれはトシヨリは参拝できないわ。車で境内手前の鳥居まで送ってもらうにしても,入ってからがまた超坂道だもの。

保見神社は,射穂神社の境内の,そのもの凄い坂道の途中で横見たらあった。お社は無くて,石碑。地元の戦没者の方々が祀られているようだ。

足を引き摺りながら,もう2社。本当は,貴船と天神さんの間に愛宕神社(貝津町)へ行くはずが,通り過ぎちゃった&また高いところっぽいので断念。電車から見えてた貝津神社(貝津町)も断念。また今度。

朝出て昼には戻ってきたんだけど,脚だるー。千年灸やってみたけど効くかいな。だるいままだと何故か寝付きが悪いのだ。疲れてんだから寝ろや!って感じ。いつも。我ながら。

侮りがたし保見地区~。
八草の辺も狙っているけど,要注意だな。

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樹木神社〔4〕
樹木神社の記事,4つめ(以前の記事はこちら→)。

由緒,ご祭神について。但しほぼ引用のみ。

樹木神社の沿革。
樹木神社37(070201豊田市)

以下に内容を写しておく(適宜改行した)。
樹木神社の沿革

 文治年中(一一八五-八九)南町の八幡社は、高橋荘の地頭高橋判官長綱が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、「字元八幡」(挙母町二丁目)に創建したという。これを「那茶外八幡」と称する。

天正年中(一五七三-九一)東町の白山社は、「字白山」(挙母町附近)に創建されたと伝える。

明和二年(一七六五)八幡社は、南町の集落移動により、「字元八幡」から「字八幡」(樹木町二丁目、社地三六二坪)へ易地し、誉田別命、大鞆和気命を祀り、旧暦の八月一四日を祭日とする。

安永七年(一七七八)白山社は、東町の集落移動により、「字白山」から「字切戸」(朝日ヶ丘四丁目、社地九四二坪)へ遷宮し、白山姫命、伊諾那岐命、伊諾那實命、菊理姫命を祀り、旧暦の八月一〇日を祭日と定める。

天明元年(一七八一)本町の牛頭天王社は、その集落移動により、「字道場山」の童子山から「字天王」(樹木町四丁目、社地一,六一三坪)の天王山へ易地し、健速須佐之男命、天照大御神、稲田姫命を祀り、旧暦の六月一五日を祭日とする。

嘉永五年(一八五二)廃社となっていた牛頭天王社の末社稲荷社を再興し、再びこれを祭祀したという。

明治元年(一八六八)本町の牛頭天王社は、津島社と改称する。

明治二年末社稲荷社は、「字毘森」から「字天王」の津島社の社地へ易地し、宇迦之御霊命、宇気母智神を祭祀するという。

 明治四年「郷社定則」の公布、施行により、これらの各氏神は無格社となる。

大正四年(一九一五)一一月南町の八幡社と東町の白山社を本町の津島社とその末社稲荷社が鎮座する天王山の社地へ遷宮し、この四社を合祀して樹木神社と号する。

 大正五年社務所を新築する。

大正一五年一〇月本殿覆殿を造営する。

昭和一五年(一九四〇)九月内拝殿を新設する。

昭和二二年四月、神社制度の改正により、新神社等級一三級社となる。

昭和二四年八月宗教法人令による法人格を取得する。これにより、その境内地の所有権を取得し、大蔵省からの譲与を原因とする所有権の移転登記をする。

昭和三一年二月新宗教法人法にもとづく法人格を取得し、その社地を旧法人から新法人へ承継することを原因とする所有権の移転登記を行う。

昭和四七年五月拝殿を竣成する。

昭和五六年四月神社等級制にもとづいて一三級社から一一級社へと昇格する。

昭和六ニ年四月本殿修理、水屋建設、境内植樹、石積整備などの諸工事を施工し、その竣工式を行う。

4つの神社が合祀・遷宮され,樹木神社として出来上がったのは,大正4年ということだ。上の沿革を神社別にまとめなおすと,

1.八幡社(那茶外八幡)
 【創建】文治年中
 【由緒】高橋荘の地頭高橋判官長綱が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請
 【鎮座地】字元八幡→字八幡
 【祭神】誉田別命、大鞆和気命(字八幡へ易地した時点)
 【祭日】旧暦八月一四日(字八幡へ易地した時点)

2.白山社
 【創建】天正年中
 【由緒】?
 【鎮座地】字白山→字切戸
 【祭神】白山姫命、伊諾那岐命、伊諾那實命、菊理姫命
    (字切戸へ易地した時点)
 【祭日】旧暦八月一〇日(字切戸へ易地した時点)

3.津島社(牛頭天王社)
 【創建】?
 【由緒】?
 【鎮座地】童子山→字天王の天王山
 【祭神】健速須佐之男命、天照大御神、稲田姫命
    (字天王へ易地した時点)
 【祭日】旧暦六月一五日(字天王へ易地した時点)

4.稲荷社(牛頭天王社末社)
 【創建】?(嘉永五年に再興)
 【由緒】?
 【鎮座地】字毘森→字天王の牛頭天王社境内
 【祭神】宇迦之御霊命、宇気母智神(字天王へ易地した時点)
 【祭日】?

疑問点:
 2の白山社の祭神に,白山姫命、菊理姫命が出てくる。同一神とされることが多いと思うが,ここでは完全に別の神扱いなのか。

「豊田市史10」では,樹木神社の祭神は,誉田別命,白山姫命,健速須佐之命(男が抜けてる?),宇迦之御霊命とある。4社の筆頭を挙げただけ?それとも合祀時に本当にこの四柱のみになった?

「西加茂郡誌」には樹木神社の名前が見当たらない。大正末期の出版だから載ってるかと思ったのだが。かといって,合祀前の個別の神社も無いような……。(当時)新しすぎて漏れた?

「豊田の史跡と文化財」には,上の沿革と似たことが書いてあるが,目新しい情報としては,

・高橋判官長綱は相良氏族
・那茶外は“なちゃげ”と読む
・引用「そして今も鎌倉を模して社前より若宮大路(矢作道=アブラガイ道)を南下させ川港の下江湊をへて矢作宿へいたる大道跡を見ることができる。」
・八幡社の移転は水害を避けるため。
・津島神社の移転は七州城縄張りの折。

中条(中條)氏,出てこない(笑)。まあいいや。関係ないのかもしれないし。アブラガイ道ってどこ通ってるんだろうとか,また知らないこと満載。調べなきゃ。

ちなみに沿革の石碑の裏。
樹木神社38(070201豊田市)

沿革の最後にあった,昭和六十二年の大改装について書いてある。そういえば,あの綺麗な神楽殿(?)は結局いつのなんだろう。牛頭天王社時代からのものなのか,樹木神社になってからのものなのか?

上の想定2つ,下手すると100年以上開きがあるのに,判らないって悲しいなあ。もう一つ綺麗だった手水舎は,どうも昭和六十二年の建設みたいだけどね。

・樹木神社
【住所】愛知県豊田市樹木町4-4

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「QED 河童伝説」読了
久々に面白かった気が?

ventusは何だか薄くて嫌いなのだ。場所数稼げばいいでしょっぽくて。観光ガイドが欲しいわけじゃないので嬉しくない。毎回,河童くらい濃ければいいのに。テーマがヤバくて(多分)いまいち突っ込めてなかった時もあったし。

殺人事件の意味なさ加減は相変わらず。沙織のウザさはいい感じに引き締められてたかな。史紋は嫌いなので今後もあまり活躍しないでもらいたい。タタルの領分を侵しそうだし(キャラも専門もかぶってる)。

某文筆家臭がプンプンするのも変わらないが,今回はあまり鼻に付かなかった。あとは薬屋の愚痴でしょう。愚痴だよね。溜まってるのかな,高田センセー。

次も濃いといいな。頻度が下がってもいいから,毎回「百人一首」「河童伝説」レベルで是非お願いしたい。

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神社巡り覚え書(2/9)
近頃体調がそう悪くないので,今日も神社へ。

前回ゆっくり見てこられなかった明治川神社(安城市東栄町)を再訪。ついでに(失礼だ)近くの日吉神社(安城市浜屋町)へ。

今日はセーターやめたよ。相変わらずあったかいし。

たくさん神社へ行けるのは嬉しいが,記事が追っつかないというジレンマ。写真リサイズやトリミングして,頭の中で記事の構成して,写真に番号ふってアップロードして,調べながら書いて,ってやってると,だいたい一記事あたり最低でも1時間,長いと半日以上かかるので,脆弱な頭が疲れるのだ。

皆さんに情報提供というよりは,自分の勉強のため&覚書として書いているので,イヤならやめればいいし,イヤじゃないどころか意欲があるから続けているわけだけど。

まあそのうち会社に復帰して,万が一大活躍ってことになったら更新も滞るだろうから(万が一というか仮にだな。あり得ナイ),今のうちに色々書いておくつもり。つもりだけだけど。

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真冬の桜
ぶらぶらしてたら桜が咲いてるのを見つけた。

ほれ。
市街地の桜1(070208豊田市)

撮影は昨日2月8日。場所は豊田市若宮町2丁目付近。
奥に見える赤い幟は若宮八幡社の境内社(多分)の津島神社のもの。(若宮八幡社の記事はこちら→

春の満開とは違って,ぽつぽつ……。
市街地の桜2(070208豊田市)

そもそもこの桜が,本来は春に咲くものなのか,品種は何なのかを知らないので,珍現象かどうかは判断しかねる。まあ風情はあるわな。

花は春のソメイヨシノより小さかった。
市街地の桜3(070208豊田市)

何か薄桃色(桜色)のと白いのが混じってた気がする。ビル影で曇天じゃ判別しづらい。鳥が喜んで樹上でパタパタチイチイ言ってた。貴重な栄養源だよな。スズメとか蜜吸うし。

背後の高架は名鉄三河線。右上に小さく鳥影。
市街地の桜4(070208豊田市)

今日は雨だっけ?じゃあもう散ってしまうかな。春の桜も好きだけど,こういう儚げなのもいいね。

テーマ:お散歩写真 - ジャンル:写真

神社巡り覚え書(2/8)
急用で中心街へ出た。せっかくだから,前から気になっていたお堂と,先日参拝した折に撮影失敗してた部分があったので,再度挙母神社へ。

お堂は,瓦屋根の小さなのが三つ並んでるのが表道路から見えてて,車で通るたびに何だろうと思いつつ,行くのを忘れていたところ。場所は豊田市常盤町の2丁目あたり?超地元民向けに書くと,黒川米穀さんのナナメ向かい。

うち2つは仏様(仏教の尊格のことはよく知らない)っぽかったんだけど,1つはなんと津嶋神社。ちゃんと由緒も書いてあった。

井戸端会議中の地元の婆様たちに怪しまれつつ,挙母神社方面へ。制服の子どもらが,何だか3,4人ずつ,紙を見ながら歩いているのに何回も出くわした。樹木町近辺でも挙母神社でも,通りすがりの喜多神社でも見た。写真撮ってる集団も居た。社会科教育の一環か?

挙母神社では月に一度の八日市が開かれていた。朝からやってたそうで,14時過ぎに行ったら,もう半分以上は店じまいの途中。商品は,魚だの海草だの服だの植木だの漬物だの端布だの陶器だの。入り口の屋台で鯛焼きを二つ買って,境内をぶらぶらして写真を撮って帰ってきた。今日は社務所の窓口にもカーテンが引かれてて,無人っぽかった。

薄手のコートとセーターとシャツで歩き回ってたら汗だく。変な2月。(室内外の)気温差に弱いから,有難くはあるんだけど。歩く日は,もうセーター要らないかも。

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樹木神社〔3〕
樹木神社の記事,3つめ(以前の記事はこちら→)。

境内社その他について。

社殿の横に,飾り瓦が飾ってあった。
樹木神社25(070201豊田市)

実際に,どこかの屋根にのっていたものだろう。

せっかくなのでアップで。こっちの唐獅子は阿。
樹木神社26(070201豊田市)


こちらは吽。花は何だろう。牡丹?
樹木神社27(070201豊田市)

ここもそうだが,唐獅子や動物はよく破損している。花はそうでもない。花弁や葉の先も,獅子の耳や足先並みには危ういと思うのだが。

その奥(本殿すぐ横)の境内社群。6社。
樹木神社28(070201豊田市)

左から順に,「山ノ神社」「熱田社」「秋葉神社」「八幡社」「大神宮」「稲荷社」。さすがに熱田さんとお伊勢さんはデカイ。

役行者霊蹟巡拝という,愛知県内の役行者縁の地を紹介しておられるサイト様があるのだが(素晴らしい),拝見していたら,樹木神社の境内にも,頭部が破損した行者の像があったとのこと。

[参照] 豊田市 樹木神社

写真を凝視するに,どうも今とは様子が違う。山の神社さんが石造りで外にあって,その横に役の行者の像。瓦類はコンクリートに固定されておらず,塀際に並べてある。撮影時期は記されていない。

現在,覆い屋内に並んでいる境内社の中に,「山ノ神社」と記されているものがある。現在はそのような形でお祀りされている?役行者は破損しちゃったからどこかへ?それとも,社殿と社務所を繋いだ渡り廊下の向こう側にでもいらしたのだろうか。そっちは覗き込んでこなかったからな。

こちらは門より外。道沿いにある「稲荷大明神」。
樹木神社29(070201豊田市)


社殿はない。
樹木神社30(070201豊田市)


小さな水盤もちゃんとあった。
樹木神社31(070201豊田市)

そういえば,社殿横にも「稲荷社」ってあるのにね。

同じ並びの「故西澤眞蔵之碑」。
樹木神社32(070201豊田市)

枝下(しだれ)用水の建設に尽力された人物である。何やら学習教材用にアニメ(笑)が公開されているのだが,またまた愛知県はリンクにいちいち連絡よこせなどと書いてあるのでGoogleで遠隔リンク

これも通り沿いにあったもう一つの鳥居。
樹木神社33(070201豊田市)

竹垣で通れないが(前は通れたような気も……?)。

門の手前にあった看板。
樹木神社34(070201豊田市)

最低限,これらの日なら人が居ますよという意味だろうな。

社殿側から鳥居方面。広い境内だ。
樹木神社35(070201豊田市)


日が高くなってきた。境内側から鳥居。
樹木神社36(070201豊田市)

笠木の上にデコボコあるのは誰かが投げ上げた石。いいことあったかな?

写真はこんなもん。由緒とご祭神がまだだが,次の記事で書けるだろうか?由緒書きの文章を写すくらいならすぐだけど。うーん。

・樹木神社
【住所】愛知県豊田市樹木町4-4

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樹木神社〔2〕
樹木神社の記事,2番目(最初の記事はこちら)。

狛犬,拝殿,本殿について。

狛犬さんと門。奥に拝殿~本殿(でいいと思う)。
樹木神社16(070201豊田市)


阿の狛さん。
樹木神社17(070201豊田市)


吽の狛さん。
樹木神社18(070201豊田市)

大正十五年十月奉納。
このギョロ目でバアッな顔(可愛い)の狛犬さんには見覚えがあるなあってことで思い返してみると,豊田市若宮町の若宮八幡社の子たちに似てるのだ(若宮八幡社の記事はこちら→)。

ほら。
若宮八幡社(若宮町)の狛犬

こちらは大正十一年十月奉納。
同じ石工さんか,同門の方とかだと思うんだ。

立派な門。こういうの,何門ていう?
樹木神社19(070201豊田市)

門をくぐってお賽銭入れに行く神社って,初めてな気がするなあ。
伊賀八幡宮とか六所神社(ともに岡崎市)はどうだっけ?ありそうな雰囲気(うろ覚え)。

門扉。この金属板がまた……。
樹木神社20(070201豊田市)


多分これが拝殿でいいと思う。
樹木神社21(070201豊田市)

ビニールシートは風除け?雨避け?寒いから?建物が傷むから?
賽銭箱にも左三つ巴がどーん!

三つ巴の左右って言うのは,時代によってどっち向きを左というか右というかがまちまちらしい。うちはしっぽの向いてるほうをもって左右を決めている。

奥に見えるのが本殿内部……と思う。
樹木神社22(070201豊田市)

短いけど,手前から拝殿,幣殿,本殿なのか?

外から見た社殿。
樹木神社23(070201豊田市)

修復中?冬季だけ?

本殿(多分)の屋根に逆立ち唐獅子。ピンボケ。
樹木神社24(070201豊田市)


左三つ巴。猿投神社も挙母神社も左三つ巴。神紋としてはポピュラー&家紋としては北関東に多いらしい。

[参考] 無料家紋辞典2000点「巴・ともえ」

中世の豊田市あたりに深くかかわる中条(中條)氏って,関東の出じゃんね。で,家長の代は,家紋が左三つ巴だったって「豊田の史跡と文化財(豊田市教育委員会・編)」に書いてあるじゃんね。

代によっては家紋が違ってて,普通中条(中條)氏で調べると,丸に竪一つ引が出てくる。あと一文字?「豊田の史跡~」が家長の左三つ巴の出典を「鎌倉武鑑」だっていうんだけど,そいつぁどこで読めるんですかい?

この辺りに左三つ巴が多い理由が,神社の流行なのか,やっぱり中条(中條)氏の絡みだからなのかが知りたいだけなんだけど。

もやもやしているので,境内社と由緒の話は後の記事にて。

・樹木神社
【住所】愛知県豊田市樹木町4-4

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あれれ
夕方,だるいので横になったら爆睡してしまった。さっき起きた。昼寝したら買い物に行くはずだったのに,夜中になってしまった。しかも,まだ眠れそうな雰囲気……。

ちょっくら風邪引いたかも。ただでさえ体力ないのにな。思考能力も働かない。バッタリ。

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ちょっと休養
ちょっと出歩きすぎたせいか(一日おきだし半日ずつだけど),少々気分が悪い。熱っぽいような気もする。

豊田市史はちっとも読み進まないし。中條(中条)氏ってそんなにマイナーでもないようなのに(自分は近頃まで知らんかったけど),代々連続して言及してる資料やなんかが少ないんだろうか?三河での事跡を,年代を追って知りたいんだけどな。ネットで調べても,出てくるのは殆んど熊谷(埼玉県)の情報なんだもん(あっちの出だからだけど)。

そういえば,社会人になってから初めて,選挙をサボろうとしている。良くないね。去年までは事務所のボランティアまでやってたんだけどね。電話とか受付とか街頭ナントカとか。

某県ではボランティアの名の下に学生アルバイトを非公式で雇うのが通例らしかったが,この辺は違うぜ。本気でボランティア。もらったのは休憩時の飲み物くらいだったな。労働組合が強いから,人集めがラクなんだろう(自民や公明や共産のことは知らんけど)。

悲壮な思いで選挙に臨んでいた頃を少し忘れてだな,馬鹿で無責任な自分に戻ってみたかった。

「入れたい候補が居なくても,選挙へは行って白票を投ずるべき」「白票を投ずることと選挙自体に行かないこととの差は大きい」この考えは今も変わらないけど。

罪悪感と選挙メンドクサがせめぎあっているよ。笑える。

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