ひねもすのたり宮
史料の覚え書と神社巡り記録。雑記。
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おしらせ

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近況
医者は,慢性期に入って一進一退というような,ずるずる型の患者に冷たいと思う。今更病院を替わるだけの気力も無いし。替わった先に,合う医者が居る可能性もあるんだかないんだか。

昨日,病院へ行って,上の愚痴が出るような思いをして帰ってきた。春先に亡くなった鴨ちゃんの最後のエッセーを読んでいたら,「今の医者は術後の責任問題なんかで、“こうだ”と断言しなくなった」という科白が出てきて,妙に納得した。自分も毎回,今後についての何らかの判断を求められる。自分じゃどうにもならないから頼っているのに,肝心なところで“どうしますか”と来る。とても嫌だ。多少間違ってもいいから(どんな治療法も個々に試さないと結果が見えないというのは判るから)委ねさせて欲しい。もう疲れたんだよ。

平日は予約が出来ないので,診療開始時間辺りに行ったのだが,もう随分と遅い番号だった。雨だったが,近所の神社へぶらぶらと散歩。雨に濡れた狛犬というのも風情がある。材が石だからだよな。樹脂(所謂ぷらすちっく)では,こうはいくまい。

30分ほど歩き回ってから病院へ戻ったが,番号は一つも進んでいなかった。持参した,甘糟幸子の「白骨花図鑑」など取り出して読んでいた。以前,ラジオで彼女のインタビューをやっていて,気になったので当時随分本屋で探したのだが,見つからなかった。刊行から2年近くも経った一昨日,初版本が行き付けの本屋に現れるというのが理解できない。

こういう,植物の生態に絡んだような小説が,自分は好きだ。行間から,スミレやノウゼンカズラが零れ落ちてきそうだった。中井英夫も,薔薇の話をよく書いたね。澤木喬は,もう作家活動をしないんだろうか。

診察を終えてから,月末なので,銀行へ行って帰ってきた。随分ごっそり蓄えが消えた気がするが,まだ自動車税を振り込んでいない。今夜あたり,コンビニで済ませようかと思っている。
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高津社
安城市井杭山町の高津社。読みは多分コウヅ。理由:恐らくこちらは大阪市中央区の高津宮の関連なのだが,高津宮さんの公式サイトに“こうづさん”という記述が見えるから。アドレスもkouzuだし。

但し,ご祭神である仁徳天皇のましました難波高津宮は,ナニワ(ノ)タカツノミヤと読まれているようである。結局,地元行って訊いてみなきゃ判んないのだ。目の前にバス停があったから,バスのアナウンス聴くのでもいいかも。手元の資料には,読み仮名が載ってないんで……。

参道が,通りと並行にある。背後は雑居ビル。
高津社1(070517安城市)


「津社」。社は隠れて見えないけど。
高津社2(070517安城市)

社号標は「御大典記念」 「昭和三年十一月」

鳥居から社殿。
高津社3(070517安城市)

「講和記念」 「昭和二十六年九月建之」の鳥居。ど真ん中にポールが立ってた。クルマよけだろうけど,ううん。

手水舎。奥は社務所かな。
高津社4(070517安城市)


狛犬さんと拝殿。
高津社5(070517安城市)


阿の狛さん。
高津社6(070517安城市)


吽の狛さん。
高津社7(070517安城市)

昭和十三年五月奉納。

拝殿を横から。
高津社8(070517安城市)


見えづらかったので反対側へ。詞殿?から本殿。
高津社9(070517安城市)

詞殿というのは,後述の造営記念碑に書いてあった単語。祝詞殿と同じようなものかなあ。

本殿。
高津社10(070517安城市)

この写真じゃ全然見えないのだが,屋根の端の鬼瓦のところに五三か五七の桐らしき紋があった。冒頭で書いた大阪の高津宮も,サイトを見ると,天皇家の菊花紋と並んで五七の桐があるから,やっぱり関連なんだろうなと勝手に思う。

「津神社々殿造営記」
高津社11(070517安城市)

ここの題名だけ「津神社」になってた。本文では「津社」。
津神社々殿造営記

津社は仁徳天皇大鶴■[奈+鳥]命を祭神として住民の崇敬を集めている神社であります 社歴によれば宝永四年三月西暦一七〇七年に氏神様として創建されました

拝殿は明治十一年に建立され以来幾星霜を経て今日に至っており本殿と詞殿は昭和九年に造営されました 尚大正末期に現在の見合橋近くにあった秋葉神社が境内に奉祀されました

このたび公民館の新築を契機として拝殿の修復造営の機運がまり六十年に入って造営の事業が本格的に発起され評議員並奉賛会において協議のすえ氏子各位の賛同を得て再建が決定されました

その後建設委員会が中心となって計画推進にあたり資金は氏子各位より寄進を仰ぐことになりました 発議より六ヶ月余で念願の社殿完成の日を迎えることが出来ました 九月の祭礼には盛大に奉祝祭がとり行われました

ここに津社の威容整いその尊厳と御神徳の愈々の昂揚を期し今日の深い喜びと感謝をこめて御再建の敬意を記します

仁徳天皇の名は,通常,大鷦鷯尊と書いて(命か尊かは置いといて)オオサザキノミコトなのだが,ここでは漢字も違うし読み仮名もオオサザナミノミコトになっている。誤記・誤読だと言うのは簡単だけど,どうなのかな。

これが大正末期にここへ移ってきたという秋葉社。
高津社12(070517安城市)

元・秋葉神社。境内社扱いになると,神社って名のままのわけにはいかないのか。元近くあったという見合橋,Googleで検索したら釣り情報ばっかり出てきた。

秋葉社の屋根。
高津社13(070517安城市)

こちらも,拝殿と一緒に造営したみたい。手水舎横の灯篭の裏に「拝殿再建/秋葉神社/造営記念/昭和六十年九月吉日/氏子中」とあったから。

境内にあった「殉國之碑」
高津社14(070517安城市)

なかなか資料がないのだが,一つだけ。

「碧海郡神社写真帖」
依佐美村大字井杭山字壹本木鎮座/無格社 高津社/御祭神 大鷦鷯命/御例祭 九月二十八日

表記が大鷦鷯命だ,と言いたかっただけ。うん。

・高津社
【住所】愛知県安城市井杭山町一本木
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【安城市】

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おやすみ
頭痛と動悸が酷い。散歩も何もしとらんのに。

なんかオカシイので横になっている。
神社の写真,20社分くらい溜まってるんだけどなあ。

アタマ痛いと集中力が持たないので記事を書けない。
近頃こんなんばっかりやな。

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星になれ
昨日今日と,慶大病院は大騒ぎだね。お二人のご冥福をお祈りします。

※ 画像は無関係。

東保見の猫(070210豊田市)

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うはっ
弟に見合い話が!相手の娘さんに結婚そのものをする気が全くなくて,会う前に立ち消えたけどな。

うちの家は弟と自分の代で途切れるんじゃないかと思っていたが(家系とかイエとか,そんなご大層なものは無い),弟のほうは,縁があれば結婚したいくらいの気持ちではいるようだ。偉い偉い。そっちの件は任せたよ。遺産も(これも無いと思うが)全部持ってってくれていいし。

小さい頃,一緒に遊んだり喧嘩したりしたことばっかり思い出す。よく考えたら,一緒に暮らしたのは自分が17の時まで。翌年には,奴は学校の寮に入っていた。その後,今度は自分が家を出て,それ切り実家暮らしはしていない。

仕事がクソ忙しいらしい。労働基準法を厳密に遵守しても生きていけるのは,本当に体力のある企業だけだよね。労基署もわかってるんでしょう。小さいところには,虐待の通報でもなければ査察に入らないもの。

死ぬなよとだけは言ってあるのだが。前に会ったのは去年,だったかな?次はいつになるのかな。盆や正月に,儀式やしきたりのない家だから,肉親といえども数年会わないのはザラだ。

まあ何というか。変な家だよな,うちって。

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弥栄神社
豊田市豊栄町の弥栄(彌榮)神社。勝手にヤサカだと決め付けていたのだが,イヤサカ,ヤエ,ヤエイなどの可能性も排除できない。イヤサカな気がしてきた。もとは小字名であったはずだから,地元の方に伺えば判るかも。

小高いところに,工場や住宅などに挟まれてある。
弥栄神社1(070515豊田市)

前の道はそんなに広くないんだけど,クルマが結構通るのだよね。この日も,通勤ラッシュ時に行ったせいか,結構な交通量。抜け道になっとるんかな。

社号標には「彌榮神社」。
弥栄神社2(070515豊田市)

「昭和二十九年十月」

鳥居から拝殿。
弥栄神社3(070515豊田市)


狛犬さんと拝殿。
弥栄神社4(070515豊田市)


水盤。
弥栄神社5(070515豊田市)


阿の狛さん。
弥栄神社6(070515豊田市)


吽の狛さん。
弥栄神社7(070515豊田市)

「昭和四十九年九月建之」。昭和三十年代~四十年代あたりに境目があるらしい。いや,自分の趣味か趣味じゃないかの。

拝殿から本殿。
弥栄神社8(070515豊田市)


本殿。
弥栄神社9(070515豊田市)

千木は内削ぎ。鰹木は三本。何だかこぎれい。こまめに草刈なんかの手が入ってるのかな。

本殿の後ろに何かの跡が。階段と台座。
弥栄神社10(070515豊田市)


社殿の後方。結構高いところにあるのがわかる。
弥栄神社11(070515豊田市)

由緒などを調べてみたんだけど,何だか資料が少なくてね。情報も,ちょっとしか集まらなかった。

「豊田市史10」
地区:豊栄町/社名:弥栄神社/祭神:天照座皇大御神/創建:昭和八年三月五日/祭日:3月5日

「上郷町誌」
弥栄神社/鎮座地:豊田市大字鴛鴨字弥栄45番地/祭神:天照座皇大御神/例祭日:毎年3月5日/由緒:創立は昭和8年3月5日,不良土開発試験地入植記念の指定を受け,昭和8年3月5日鍬入式起工祭を斎行し,俗称秋葉神社境内地趾に神社を建設したのにはじまる。氏子数は10世帯。/社殿:本殿1坪/境内地:450坪

弥栄は八坂に通じるので,大抵,弥栄神社といえば,読みがどうだろうと,スサノオノミコトを祀っていることが多いと思う。でもここは,アマテラシマススメオオミカミ。

創祀が近年ということからして,まず弥栄という地名が先にあって(弥栄は益々栄えるという意味のめでたい言葉だから,どこにあってもおかしくないと思う)地名を取って神社名にしたんじゃないかな。八坂神社(祇園さん)に関わるものではないということで。

“俗称秋葉神社境内地趾”ってことは,元々ここには秋葉神社があったということか。「碧海郡誌」(大正5年刊)を見ると,大字鴛鴨に秋葉神社があるってことになっている。大字鴛鴨が今のどこまでに当たるか判らないので断言はできないが,あるいはこの秋葉神社が移転か廃絶した跡地ということかもしれない。

・弥栄(彌榮)神社
【住所】愛知県豊田市豊栄町8丁目付近
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【豊田市・上郷地区】

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待機中
図書館へ行かねばならんのに,炎天が怖くて出かけられないという。何かまた一日一食しか食べられない状態になっとるし。

朝食べる。その後,もういいやって感じになる。アクエリアスのお陰か,ヒダル神様のご降臨は回避できているが。一日あたり,500キロカロリー前後で生きている気がする。

動いてないから,必須栄養素の欠乏さえなければ,そんなに問題でもないとは思うんだけど。

蒲郡の地図を見ていたら,神社がぞろぞろ見つかった。行きたいけど,今日みたいな日では持つまいな。

テーマ:∑(´д`;) - ジャンル:日記

お休み
体調が悪いので今日はサボる。以上。

合鴨農法?(070517知立市)

テーマ:( ´ー`)y-~ ふー - ジャンル:日記

暑い……
昨日辺りから,夏バテ発症。買い物へ行っても,水物しか買いたくならないのですぐわかる。まだ食事は出来ているんだが。

自分は元々,気温の高い時期の体温調整が苦手で,のぼせや鼻血,眩暈,止まらない発汗,頭痛,発熱など,嫌な症状がすぐに出てしまう。夏は,季節としては嫌いじゃないけれども,こう色々あると憂鬱だ。徒歩での神社巡りも,控えたほうがいいんだろうなあ。または朝イチのみとか。

ここんとこ気温の変動が大きいための不調であって,このまま夏過ぎまでバテっぱなしでもないような気もするけど。どちらにしろ,輝く季節に気力を削がれっぱなしというのは,非常にもったいない話である。子どもらみたいに,炎天下を走り回りたい……。

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八柱神社〔4〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,4つめ。
(前の記事はこちら→〔1〕〔2〕〔3〕

境内社などについて。

境内社は,八柱神社社殿の東側奥に3つある。
八柱神社26(070328豊田市)

上の写真だと,「八幡社」と大きくあるすぐ左に人物像,境内社1つめ,2つめ,樹の向こう側にもう1社というふう。

これがその3社。よく見ると右隅に小さな水盤が。
八柱神社27(070328豊田市)


向かって右,一番大きな「八幡社」。
八柱神社28(070328豊田市)


右から2番目。次に大きな「秋葉社」。
八柱神社29(070328豊田市)

ズームの倍率のせいで,秋葉社のが大きく見えちゃうね。

右から3番目。一番社殿寄りの「津島社」。
八柱神社30(070328豊田市)


この向きで銅葺きで,千木あり&鰹木なしは初めて見たかも。
八柱神社31(070328豊田市)


この津島社の社殿がまた美しくて。小さいのに。
八柱神社32(070328豊田市)

木鼻がいいでしょう。獅子鼻と獏鼻。よく見たら,新しげな蜘蛛の巣が。春だから、しょうがないね。

八幡社については,由緒碑があった。
八柱神社33(070328豊田市)

内容は以下。適宜改行。
川端八幡社由緒

御祭神 應神天皇 又の御名 譽田別尊

 巨樟天を覆ひ神韻縹渺たる八柱神社神域の奥 いかしく在す八幡社 是かけまくも畏き川端の氏神にましまし 古往今来 日々限り無き恩頼を蒙りてあること 斉しく謝し奉らん

 抑々川端八幡社の由来は 遠き平安千年の昔 源氏東征を終へての帰路故ありて 宇佐八幡宮より奉じ来し大神をこの地に鎮め祀れりと傳ふ

 大川の堤塘高くして治水全き豊饒の今 社頭に額づきて往時を偲べば 幾世幾そ度すべてを押し流さん洪水氾濫に ひたすら大前に祈り禱りて身命を賭し 村を守りし父祖の心 惻々と胸に迫る

 神助灼かにして 天明水難の危機 神域の大樹倒れて濁流を遮り 村流失を救ひ給へりと謂ふ

 和風佳日 御社堤上に高く清流に白帆映じ 河畔水村人々相睦び 桃源の如き在りし日々を懐慕して止まず 神明昭々として普く大神たち御照覧の下 行く先永遠に栄へんこの古里を共に讃へ 敬神崇祖の美風更ならんことを希ひ 同志相諮りて此の碑を捧ぐ

 平成七年九月吉日

これは素晴らしい美文。と思った。素人心に。どうですかね,詳しい方。そうそう,“神韻縹渺”が一括変換できるMS-IMEは天晴れであった。ほめてつかわす(エラソー)。

源氏の絡み。宇佐八幡の神様を,東方平定時にお連れ申し上げていたのだな。それを故あってこの地にお祀りしたと。“灼か”は変換できなんだが,よい話が書いてある。

碑の裏面に参考文献が書いてあった。リファレンスつきの由緒碑とは,何と素晴らしきこの姿勢。美文と相俟って感涙もの。ちなみに,文献とは以下。

一、宇佐八幡宮古文書
一、上郷神社明細帳 三帖
一、上郷神社雑書  七帖
一、神谷四郎宮司口伝書置帳
一、源氏東征の前九年の役一〇六二年九月終わる


上郷~と神谷宮司の口伝書,拝みたいなあ。ここで,表側の碑文に“東征を終へての帰路”とあった東征=前九年の役,らしきことが判る。それから,参考文献に続いて,矢作川の堤上より八柱神社境内に昭和三十七年移されるとある。

その後,ご神職と氏子さんのお名前が続くのだが,ご神職のお名前が神谷さん。上郷地区の神社を巡ると,あちこちで拝見するお名前である。神谷四郎宮司が,ご先祖に当たられる方なのだろうか。

人物像。
八柱神社34(070328豊田市)

そっくりなお顔の像を長興寺の八柱神社でも見た。側面の説明書きによると、乃木大将だそうである。伊勢湾台風で損壊したので修復したよ,とのこと。

裏に「昭和十一年三月二十八日 上棟式記念」とあった。

津島社の前辺りの樹。中央上寄りをよく見ると……
八柱神社35(070328豊田市)


巨大サルノコシカケ。両手をいっぱいに広げたくらいの大きさ。
八柱神社36(070328豊田市)


まっくろくろすけとか居そうなウロもあるし。
八柱神社37(070328豊田市)


もっと上のほうにもサルノコシカケがあった。
八柱神社38(070328豊田市)

時を経ているっていうのは偉いことだなあと思う今日この頃。

畝部東町の八柱神社については,とりあえず以上。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
【地図】いつもガイド
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八柱神社〔3〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,3つめ。
(前の記事はこちら→〔1〕〔2〕

境内社は後回し。天然記念物の大樟,その他について。

境内の東(社殿の向かって右)にも鳥居。
八柱神社16(070328豊田市)

かなり年季の入った鳥居である気が……。年代を確認してくるのを忘れてしまった。「豊田市の石像文化財」に,宝永八年の鳥居があると書かれているのだが,多分正面の鳥居じゃなくて,こちらのことだと思う。宝永八年というと1711年。約300年ものの鳥居ということになる。

美形の神馬さん。横っ腹の紋は“丸に剣片喰”だと思う。
八柱神社17(070328豊田市)


その神馬さんの鼻先と尻尾のほうに看板がある。
八柱神社18(070328豊田市)


鼻先の看板,社殿寄りの大樟が愛知県指定の天然記念物。
八柱神社19(070328豊田市)

凄いよね,この根回り。

看板。
八柱神社20(070328豊田市)

幹周17メートル,樹高20メートル,樹齢は約千年とある。幹の周囲を正確に記録する場合,地面から1.2メートルのところを測らねばならんはずだが(胸高直径という),この幹周ってどこの数値を言ってるんだろう?凄いことに変わりは無いけど。弘法大師お手植えみたいだし。

「天然紀念物八柱神社ノ大樟」
八柱神社21(070328豊田市)

「昭和十四年十二月建之」。チョットマテ。上の看板に,指定は昭和三十一年とあったじゃないか。

もう一回「上郷風土記」(戦後数年あたりの記述)を引っ張り出してみたら,“十三年神域の巨樟、史蹟天然記念物の指定となり”とある。指定元が違うんだろうか。戦前のことはよく判らない。

神馬さんの尻尾の先にあるのが,豊田市指定の天然記念物。
八柱神社22(070328豊田市)


看板。
八柱神社23(070328豊田市)

樹高20.0メートル。目通り5.0メートル。根回り7.4メートル。目通りって目の高さのことかなあ。

「敬宮愛子内親王殿下誕生記念」
八柱神社24(070328豊田市)

ガンバレ!大樟に負けずに大きくなるのだ!

この樹も立派だった。向こうはすぐ矢作川の堤防。
八柱神社25(070328豊田市)

三月末に行ったのだが,ツクシを摘んでる人が居たなあ。

残りは境内社。次あたりの記事で書く予定。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
【地図】いつもガイド
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ヒダル神
昨日,ちょっと怖いことがあった。

ヒダル神っていう妖怪が居るじゃない。山の中を歩いてると急に動けなくなる,それはヒダル神にとり憑かれてる状態なのだが,落ち着いて握り飯を食えば離れていくという……。

一昨日の昼過ぎ,ブログの記事を書いてから,その日初めての食事をした。豚肉と白菜を塩胡椒で炒めたやつ約300g。主食なし。ほんとにそれだけ。そのまま一晩越しても何も食べずにいたら,朝,出かけようとしてドアに手をかけたところで,ものすごい倦怠感に襲われた。

うわダルイ。身体だけだるいのなら経験ありまくりだけど,なんか心臓の辺がだるい。こらアカンというわけで,カバン持ったまま座り込む。

しばらく座ってたら落ち着いてきたので,ヒダル神の教訓の通り,(握り飯じゃあないのだが)リンゴジュースなど飲んでみた。覿面に効果が出て,すぐ動けるように。一応,慎重に様子をみつつクルマへ。その後は何事もなく出かけて,帰ってこられた。

ヒダル神の憑依と脱離について,空腹による低血糖と摂食による回復で説明できるとどっかに書いてあった。自分の場合,ちゃんと食事をしないから,血糖値が下がっちゃって動けなかったらしいのだ。やー,食べたくなくてもスポーツドリンクとかで糖分やミネラル補給はしないとダメだね。

ほんとビックリした。あの心臓の辺りの気味悪さは二度と味わいたくない。気をつけなきゃね。

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八柱神社〔2〕
豊田市畝部東町の八柱神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

由緒,ご祭神について。

由緒碑の後ろのクスもかなり立派。
八柱神社14(070328豊田市)

八柱神社の大樟は天然記念物で有名だが,これではない。ここの境内の樹木は,全般的に凄いのだ。

由緒碑。
八柱神社15(070328豊田市)


内容は以下。適宜改行した。
八柱神社由緒記

御祭神 天照大神の御子五男三女神を祀る。

 天忍穂耳命
 天之菩卑能命
 天津日子根命
 生津日子根命
 熊野久須毘命
 多岐理毘賣命
 市寸嶋比賣命
 多岐津比賣命

 古書によれば有史以前に伊勢海岸から磯部族がこの地に移りきて住すという

 三十五代孝徳天皇白雉三年(六五二)釆女朝臣勅によりこの地の郷長となり釆女郷と名づく 始祖を祀って氏神となし宇祢部大明神と称す これ当社の起因なりと伝う

 寛正四年(一四六三)川端福林寺の住持誓誉上人が水害を憂い寺の持仏を社に安置して寺の鎮守となす 以来永禄年間まで寺の社として寺祭を行う

 天正十年(一五八二)領主島田三河守寄進により本殿を改築 一時川端明神とよぶ

寛永年間の頃社名を八王子神社に改む

徳川時代に大水害あり 悲惨困窮甚だし

 宝暦七年(一七五七)中島堤防決潰
 明和四年(一七六七)川端堤防決潰
 安永八年(一七七九)川端堤防決潰
 嘉永三年(一八五〇)川端宗定堤防決潰
 嘉永六年極度に傾いた社殿を修復

 明治維新の際社名を八柱神社と改む
 明治五年村社に指定
 明治三十九年(一九〇六)傾廃甚だしくなった本殿を改築
 明治四十一年供進神社に指定

昭和十年社殿を改築 石垣を巡らし地上げをして造営された宏壮なる社殿と大広前に建立された大鳥居など相俟って社の面目を一新

 翌十一年三月二十八日上棟の盛儀を挙ぐ

 昭和十四年十月二十五日御神木の大樟天然記念物に指定

 昭和二十二年宗教法人に指定 九級社

 昭和三十四年九月二十六日未曾有の伊勢湾台風によって本殿倒潰

 昭和六十二年本殿新築に着工 六十三年完工 待望久しき本殿の復旧なって社の面目が整い同年十月二十三日氏子を挙げて竣工祭を行う

“天照大神の御子五男三女神”……この場合スサノオノミコトの立場はどうなっているのだ?まあ,だいたい八柱神社というと,この八柱がご祭神であることが多いみたい。ただ,豊田市長興寺の八柱神社みたいに,同じ八柱でありながら,加茂明神の子であるなどとしている場合はある。

“多岐理毘賣命/市寸嶋比賣命/多岐津比賣命”……さてコノ,毘賣と比賣の違いはなんじゃろうか?前者をビメ,後者をヒメと読むらしいが。素朴な疑問。

“磯部族”……「上郷風土記」に,以下のようにある。
(前略)往時この地は磯部族とて有史以前、古民族の住したることが記されている(遊魚の注:文章の流れからすると,福林寺の古書に記されているということか)。伊勢海岸にあった海人族、即ち伊勢部(磯部)族が三河の海岸に移り更に矢作川を遡りてその沿岸に居を占むるに至り、その祖神を祀ったのがこの地方神社奉斎の起源なりと(後略)

磯部族が具体的にどういった一族であるかは判らない。お伊勢さんの資料に出てくるだろうか。

“三十五代孝徳天皇白雉三年(六五二)釆女朝臣勅によりこの地の郷長となり釆女郷と名づく”……釆女朝臣て,日本書紀に出てくるんだよね。同じ人なのかなー(まだそこまで読めてない)。とにかくこの方の名前より,釆女→畝部(今の地名)なのだそうだ。

“福林寺”……今の阿弥陀院(畝部東町寺裏)のことだそうである。かなりの古刹であると上郷コミュニティーセンターのサイトにあった。

[参照] 兼高長者の宝筺印塔のある古刹を訪ねる

“始祖を祀って氏神となし”……磯部族の始祖ってことだろうな。一気に八柱祀っちゃうあたりの考え方が判らないけど。

やっぱり水害は凄いみたいだねえ。あと,三河の神社は大抵,伊勢湾台風で多かれ少なかれ被害受けてるね。高校のときの社会の先生が豊橋出身で,流れ着いたご遺体の搬送をした経験談をしてくれた。あと,矢作橋(岡崎市)の辺り,橋から水面が触れたっていうもの(普段は数メートル下。ちなみにこの増水がまだ引かぬ中,矢作川バラバラ事件があった)。伊勢神トンネルの心霊話も,この台風絡みだし。

もうちょい古くなると,場所によっては戦災と,三河地震か。古いものは,色んな出来事を潜り抜けて来てるからね。

さて,境内に由緒碑はあったけれども,一応本のほうもあたっておくことにする。

「豊田市史10」
地区:畝部東町宮裏1/社名:八柱神社/祭神:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命他一〇柱/創建:白雉三年/祭日:10月21日/由緒:旧村社・畝部郷(釆女郷)の総氏神旧宗祢部八王子社

住所が違っている。変遷があったっけな?由緒のところの“宗祢部”は,“宇祢部”の間違いだと思われる。代表神他一〇柱とあるので,全十一柱?八神以外はどなただろうか。

「上郷町誌」
八柱神社/鎮座地:上郷町大字川端字宮裏1番地/祭神:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天之菩卑能命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,多岐理毘賣命,市寸嶋比賣命,多岐津比賣命, ほかに“三神(御名不詳)釆女部民の始祖を合祀す”との伝えがある。

これもこの後の記述に“宗祢部”とある。豊田市史の元ネタがこの本であるっぽいので,片方間違えばもう一方も間違う,のだと思うが。釆女の始祖=磯部の始祖だとすると,これは八神ではなくて,お名前のわからなくなってしまった,しかも合祀の三神ということなのだろうか?やっぱり磯部族のことを調べないとダメみたいだね。

「碧海郡誌」には八神のみ
「碧海郡神社写真帖」には七神。熊野久須毘命が無い。

「上郷風土記」(上にも引用したのでそれ以外)
〔要約〕寛永4,5(1627~1628)年ごろ,狩野益信の描いた“五条橋で闘う弁慶と牛若丸”の絵馬を奉納した者があった。すると毎夜毎夜,社殿の中から剣戟の音がするようになった。福林寺の僧信海が,怪しんで,ある夜覗きに行ってみると,絵馬の二人が秘術を尽くして闘っているではありませんか!
 信海は絵馬を持ち帰り,絵の部分を塗りつぶしてしまったが,1,2年して塗りが剥げるとまた剣戟の音が!……というわけで,毎年の暮れごとに,寺で塗り供養をすることにいたしましたとサ。この供養は,天保年間まで行われていたそうな。
(by 川端村の庄屋・利左衛門の日記)

左甚五郎のネズミがとか,屏風に描いたスズメがとか(こりゃ落語か)の話はあるけど,やっぱ狩野派の絵師の描いた絵は動きますかね。ううむ素晴らしい。地元に,こんな有名なモチーフの伝説があったとは。

何やら調べ切れていない部分が多々あるが,由緒とご祭神については以上。あとは,天然記念物のクスとか,境内社のことを書く予定。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
【地図】いつもガイド
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気分の波とかアレルギーとか
3日おきくらいにやる気の有無が変動している。体調とは連動していない,気がする。木の芽時だからねえ。ワシみたいなキ×××が,おかしくなるのは必至やもしれぬ。

漢方のお陰だかなんだか,おなかの調子は激壊す以前の状態に。つまり慢性のアレはそのままということ。まあ,そう早くは効かんわね。

以下のもの禁止中:
アイスクリーム,牛乳,冷えた飲み物,冷えた麺類,生野菜,生の果物,刺身や寿司,貝,エビ,イカ,一部のきのこ。ある程度以上の香辛料。

最初の3つが辛い。楽しみなのに~。ハーゲンダッツの,アフォガート(バニラエスプレッソ)とか季節限定ティラミスアイスクリームとか,ちょくちょく食べたくなるのだ。あと,スタバやタリーズのフレーバーコーヒー。冷たいものもだけど,カフェインの多いものも良くないみたいだしね。

……そういえば,激壊す前の日,ガマンできなくなってマンゴーラッシー飲んだんだったわ。アレルギー反応(要はあたった)だったのかやあ。マンゴーやパイナップルで蕁麻疹が出ることがあるのだけど,ということはメロンや他のトロピカルフルーツもアブナイということで(同じエピトープを持つアレルゲンを含むため)。

ということは同時に,ラテックスアレルギーである可能性もあるわけで。お医者さんがしゅじゅちゅの時にするみたいな手袋は,職種が変わったので多分もうあんまり触れないが,ラテックスといえばアナタ,ナニをいたす時に局部が腫れ上がるかも(より酷くはショック症状を起こすかも)しれないわけで。

こんなヘロヘロの病人じゃ,することも出来ないだろうけど,イザっちゅ時は気をつけねばなりませぬ。オカモトのウレタン製のやつとかどうかなあ。

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八柱神社〔1〕
豊田市畝部東町の八柱神社。愛知,特に西三河,更に言うと豊田市には八柱神社がヤタラ多い。面白いから全部巡ってみようと思っているのだが,回り切れるのはいつのことやら。

とりあえず,この記事では鳥居から社殿まで。天然記念物やら境内社やら盛りだくさんなので,複数記事に分けて書くことにした。

矢作川の堤防のすぐ外側に鎮座。洪水とか怖そう。
八柱神社1(070328豊田市)


「(塗りつぶし)八柱神社」の社号標とベカラズ集。
八柱神社2(070328豊田市)

ベカラズ集が木製だー。社号標の年代は,見てくるの忘れた。

鳥居。額には「八柱神社」
八柱神社3(070328豊田市)


水盤。
八柱神社4(070328豊田市)


境内は結構広くて,大きな樹がたくさん。
八柱神社5(070328豊田市)


こう,だんだん寄って行くと,
八柱神社6(070328豊田市)


バーチャル参拝風?狛犬さんと拝殿。
八柱神社7(070328豊田市)

背後に鉄塔が見えたりしてな。嫌いじゃないけど,こういうの。

阿の狛さん。
八柱神社8(070328豊田市)


吽の狛さん。
八柱神社9(070328豊田市)

昭和十一年三月奉納。やっぱり大正~戦前の狛犬はいいなあ。

拝殿の額に「八柱神社」。
八柱神社10(070328豊田市)


拝殿を横から。
八柱神社11(070328豊田市)


ええとね。屋根が二つ……,八幡造でいいのかな。両方本殿で。
八柱神社12(070328豊田市)


寄ってみればシロウトにでも判るかというと,うーむ。
八柱神社13(070328豊田市)

建築の話はナカナカねえ。植物の形態分類みたいに,系統立った説明があればいいんだけどねえ。

由緒その他は以降の記事にて。

・八柱神社
【住所】愛知県豊田市畝部東町川端46
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漢方薬
※ 尾篭な話なので,気をつけてお読み/お避けください。

先月くらいから,ずーっとおなかを壊しっぱなしだった。よくあることだし,壊れているといってもトイレへ行く頻度が高いわけではなく,腹痛もほとんど無い。

しかし,いいかげん続きすぎだと思い始めていた矢先,今朝は酷くて腹痛はあるわ,しばらくトイレから出られないわ。正露丸でも買っておくか(常備なんかしとらん)と薬局へ行ったら,しまったというかよかったというか,漢方の先生の居る店で,捕まって色々訊かれた。

今病院からもらっている漢方薬を,真っ向から否定されてしまった!これはもしかして,想定外のセカンドオピニオンですか?さすがに西洋薬まではヤメロとは言われなんだが,まあいいや,おなかが治れば御の字ってもの。病院から出る薬と違って,全額負担だから痛いんだけどね。2種類×一週間分で,病院から出てる全薬の2か月分くらいした。

おなかだけじゃなくて,あれにもこれにもと他の効能も教えてもらった。うーん。それ全部治ったら,肩凝りみたいなもんも含め,自分の病は全て無いことになるんだが?ほんと,そんなに効いてくれるなら,どんなにいいかなあ。

でも,2種類ばかで,身体の悪そうなところが網羅されちゃうってことは,(漢方の理論的に)全部同じような流れの部分が悪くて起きてる病気ってことになるんだろうな。そうかー。なるべくしてなってるってわけかー。

ところで,食前に2種類も飲むと,食欲なんてどこかに飛んでしまうんだが,どうしたものか。ちょっと時間空けて食べることにすればいいのかな。薬飲んで食事が出来なくなってちゃ本末転倒だもんね。

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神社巡り覚え書(5/17)
本屋へ行ったついでに,2社だけ巡ってきた。今日も3キロコース。楽だ楽だ(って言いながら,また寝込むかもしれんけど)。

→高津社(安城市井杭山町)
→神明社/谷田神明社(知立市谷田町)
→御野立玉跡(知立市谷田町)

そろそろ虫除けが要る気がする。刺さない虫だろうけど,雨でいいかんじに辺りが湿ってるせいもあってブンブン。

通りすがりのお宅のお庭。
?(070517知立市)

……かめんらいだー?

「御野立玉跡」というのは,どうやら大正天皇が御馬で御幸あそばした場所であるらしい。長々と碑文があったけど,読み切れていないのだ。いずれ記事にするかもしれない。

ヒバリの鳴き具合とか麦の熟し具合,花の咲き具合はたいへんに良いのだが,既にちょっと暑いのね,歩いてると。日差しも強め。今日は小雨混じりの晴れたり曇ったりだったけど,快晴の日なんかはもっと暑いに違いない。夏バテ対策も考えにゃいかんなー。

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津島神社〔2〕
豊田市桝塚西町の津島神社の記事,2つめ(前の記事はこちら)。

拝殿の向かって右。垣の中に境内社。
津島神社15(070328豊田市)


境内社。垣の中へは入らず,ズームで撮影。
津島神社16(070328豊田市)

賽銭箱らしきものも見えるし,もしかしたら入ってもいいのかもしれないけど。

拝殿の向かって左。こちらも垣の中に境内社。
津島神社17(070328豊田市)


Zoom。境内社。
津島神社18(070328豊田市)

3年くらい前の機種なので,画質もZoomも知れておるのじゃ。腕も悪いし。境内社の素性は,どっちも判らない。

拝殿に向かって右手前(鳥居をくぐったら右とも言う)。社務所?
津島神社19(070328豊田市)


確か垣の中にあった古そう?な何か。
津島神社20(070328豊田市)


手水舎の後ろの樹。手書きの看板がついてた。
津島神社21(070328豊田市)

「へびのアパートです」 「青大将が住んでいます」
カワ(・∀・)イイ!! ちょっと待ってみたけど,へびさんは見当たらず。

拝殿に向かって左にあったクロガネモチ。
津島神社22(070328豊田市)

「名木指定 第48号 モチノキ科/クロガネモチ/胸回り 2.55m/根回り 4.10m/樹高 18.0m/豊田市/豊田市名木愛護会」

ご神木?
津島神社23(070328豊田市)


狛さんの台座に葵の御紋。
津島神社24(070328豊田市)


提灯にも。
津島神社25(070328豊田市)

境内には,由緒などの説明は無かったので,いつもながら本から拾ってみた。

「豊田市史10」
社名:津島神社/祭神:素盞嗚命/創建:寛治元年/祭日」:7月30日・10月15日/祭名:夏祭・津島神社大祭/由緒:旧村社 上野・粟寺・馬場村他十二か村の総氏神/江戸期は御朱印状

「上郷町誌」
津島神社 9級社(旧指定村社)/祭神:素戔嗚命/例祭日:10月15日
(以下,長いので要約)
・寛治元年に鴛鴨郷より遷座。当時牛頭天王と称した。
・上野(上村下村)・長場・粟寺・国江・永覚新郷・槌木新郷・会下新郷・上村新郷・下村新郷・馬場新郷・国江新郷の12か村の総氏神。
・境内地4千3百余坪。神田120石,社殿は七堂伽藍で巨大,御手洗池~社頭までの参道には101の大鳥居が林立。
・天文年間,兵火のため悉く灰燼に。
・徳川家康より御朱印地12石寄進あり。
・領主岡崎城主水野監物忠善より黒印地5石5斗6升1合寄進あり。
・ご神木は「天王の大杉」だった。他にも立派な樹木多数。
・伊勢湾台風で本殿&樹木など全部やられた。
・昭和37年に本殿再建・境内整備

「碧海郡誌」(旧字体は現代のものに改めた)
村社 津島神社/祭神には素盞鳴尊を奉祀す。寛治元年鴛鴨より遷座する所にして其の址今小塚を存し天王島と称す。天文十五年松平清定の兵燹に焼け、社殿宝器等多く鳥有に帰す。旧幕府朱印地十二石を有しき。

「上郷風土記」
(上郷町誌と異なる部分,ダブらない部分を要約)
・藩政時代上野村十一ヶ村(上村・下村・国江村・馬場村・粟寺村・永覚新郷・上村新郷・下村新郷・馬場新郷・粟寺新郷・国江新郷)の氏神であった。
・大永年間の地図に「神域五町四面、馬場四町」とある。
・天文十五年の兵燹で石鳥居一基と鰐口一個のみ残った。
・「上野村牛頭天王祭は碧海三大祭りの一つとして血を見なければ収まら」ないと。
・ご神木は樹齢一千年,廻り二十尺。文化二年と明治初年の二度にわたって落雷にあい,中央部が焼失して空洞になっていた。

……というわけで,

創建:寛治元年(1087年)
 ※鴛鴨より遷座(鴛鴨のほうの創祀は調べていない)
 ※鴛鴨の跡地は天王島という(今もあるかな?)
ご祭神:牛頭天王→(表記はともかく)スサノオノミコト
社地・社殿:嘗てはむちゃくちゃデカかった。
 ※七堂伽藍!参道に鳥居が101基!
ご神木:「天王の大杉」は伊勢湾台風でお亡くなりに?
 ※植えなおしたのが上の写真の?
その他:天文15年に焼け残った鳥居は,最近まであったらしい。
 ※つい最近,境内の大改装をしたらしく跡形もない。
 ※上郷風土記には古そうな石の鳥居の写真が載っている。
 (昭和末期の撮影と思われる)
 ※天文15年は1546年。

御朱印地の関係で徳川葵なんだろうね。それにしても,101基の鳥居と七堂伽藍て見てみたくない?誰か絵にでも残してないのかね,~戦国時代の人。家康公の擁護以前だから絶望的かなあ(焼けた当時,家康公は4歳くらい。今川の人質時代よりは前かな?戦いに関わったのは父親)。

そういや,その戦乱のところに出てきた松平清定って上野城主じゃんね。上野城址も行ったな,そういえば。今の上郷児童館~上郷護国神社のとこらへん。看板くらいしか判らんけど,また記事にするつもり。

・津島神社
【住所】愛知県豊田市桝塚西町北屋敷51
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年のせい?
一回歩き回ると,翌日は寝込んでしまうあたりが病人ぶりを物語っている……。ほんの3,4年前まで,15キロくらい平気で歩いて(街歩きだが),翌日は平気で仕事とか出来てたんだけど。

年齢のせいとは思いたくないが,それもあるのか?思い起こせば,自分の体力のピークは中学生のときであったからな。そういえばその頃,友人と「自分たちって十年前のことを憶えているよね」と話し合って感動したものだった。十年という随分前のことが,記憶の中にはっきりと存在するようになったことが新鮮だったのだ。

今じゃン十年分の記憶が,頭の中にあるわけだからねえー。年齢に対するショックはその後も様々あって,例えば,うわっ高校球児が年下,同年齢の人の子どもがもう○学生,平成生まれが入社してきたナド。

そうやって,いつの間にか年取って,いつの間にか衰えているのかね。勿論病気が原因の部分も大きいけどね。赤の他人から見たら,自分っていくつに見えてるんだろう。コンビニのレジ打ちの人とかに聞いてみたい。

「今いくつって押したー?」

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津島神社〔1〕
豊田市桝塚西町の津島神社。写真が多いので2回に分ける。

かなり交通量のある道路沿い。
津島神社1(070328豊田市)

写真の右方に交差点があるんだけど,左から走ってきて信号待ちしようというバスが,こちらがカメラ構えてるのに気付いて,かなり手前で停まろうとしてくれた。結局行ってもらったけど。ありがとう,運転手さん。

「津島神社」
津島神社2(070328豊田市)


鳥居から境内。鳥居の額に「津島神社」
津島神社3(070328豊田市)


ベカラズ集。ここのは「愛知縣」とかじゃなく当該神社名。
津島神社4(070328豊田市)


入ってすぐ左。何かあるなと思ったら,先代の社号標。
津島神社5(070328豊田市)

「村社 津嶋神社」「氏子戸數五百[罒+八]十戸」「大正三年九月建之」「鎮坐境内反別五反六畝八歩」

ツシマのシマに山がついてる![罒+八]ってどの数字?面積も,ちゃんと読めているかどうかあやしい。反のところは叚みたいな字にに見えるし。段かな。段なら通じるけど。あっていれば,約5,600平米=1,700坪。立派,だよね。

手水舎。
津島神社6(070328豊田市)


周囲には結構大きな樹が。
津島神社7(070328豊田市)


狛犬さんと拝殿。
津島神社8(070328豊田市)


阿の狛さん。
津島神社9(070328豊田市)


吽の狛さん。
津島神社10(070328豊田市)

「昭和二十七年十月建之」

このタイプの狛さんには必ずツイている気がする。阿吽ともに。
津島神社11(070328豊田市)


拝殿の中を覗かせていただいた。
津島神社12(070328豊田市)

いきなり鏡!?でもまねき猫?後ろの弓矢を背負った方々は何?

こういう拝殿は何ていうんだっけ。
津島神社13(070328豊田市)


本殿。
津島神社14(070328豊田市)

境内社と由緒についてなどは,次の記事にて。

・津島神社
【住所】愛知県豊田市桝塚西町北屋敷51
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神社巡り覚え書(5/15)
にわか雨が降るかもという曇天の中,といっても晴れ間も見えるので,ちょろっと徒歩で回ってきた。愛知環状鉄道の末野原駅拠点。

→弥栄(彌榮)神社(豊栄町)
→庚申社(渡刈町)
→糟目春日神社(渡刈町)

頼りは国土地理院発行1/25,000地形図。ただ神社マークを目指して歩くという方法。弥栄神社はずうっと前に行ったことがあったので,地図に小さくヤサカと手書きで入れてあった。庚申社も,たまたまネットの地図かなんかで照会して記入してあったんだけど,未記入の三社目,行ってみたら式内(論)社だったんでビックリした。あはは。

雨には,ほんのちょっとだけ降られた。撮影には影響なし。それでも曇ってはいたので,いつにも増して手ブレが多いかも。

今回は約3キロのコース。心地よい疲れという感じ。次はどこへ行こうかな。

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寝た寝た
国会中継が聞こえていたから,やっと眠れたのは多分,朝の9時過ぎ。昼過ぎに一回起きて,パソコン覗いたら,室長からメールが来ていた。近頃は仕事の様子なんかも知らせてくれるので嬉しい。自分が2度目に休む前,みんなの頭痛の種になっていた「あること」が解消されたそうで,安心した。

課長もたまにメールをくれる。こちらからの休みが延びますメールへの返信が殆どだけど,課長のほうは,季節の話題などを書いてくれる。○○の花が咲きましたね,とか。室長も課長も,見た感じ強面っぽいけど,そうやって,ものすごく優しい文面なので,ありがたいやら可笑しいやら。

ちょっと気が晴れたので,二度寝した。ゆっくり休んだら,昨日からの不調も治るかなと思って。何か最近,夢見るんだよね。一昨日は,会社に戻った夢だった。今日は,両親や弟と,クルマで出かける夢。必ず,まずありえない要素が含まれている。殆ど話さない人と話していたり,免許を持っていない母が車の運転をしていたり。で,印象は「楽しい」。願望なのか?

10時間以上寝たな,結局。寝すぎて頭痛がしてきたので,さっき起きた。ちょっとは良くなったような感じがするけど,どうだろう。短距離神社巡りからでも始められるといいな。
脱力
何だか近頃に無く脱力している。単なる呆っとではなく,放心状態というか停止状態というか。

体調が悪いだけだと思うんだけどね。それとも,昨日寝不足で1記事,寝起きのボケた頭で1記事とか書いたからか?脳みそが,ああいう使い方を嫌がっているみたいな。

ちゃんと毎日出かけないとなあ。毎日散歩程度も出来なくて,復帰は無いもんなあ。寝起きの変なサイクルも直さなくちゃ。

またお休みがのびますって会社に連絡するのも嫌になってきた。勿論,復帰への不安も大きいけど。

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田尻神社
蒲郡市三谷町の田尻神社。前に書いた若宮神社の隣/境内にある。大きいので,独立の神社ってことにしてみた。

「田尻神社」。一の鳥居。
田尻神社1(061216蒲郡市)


同じく一の鳥居。蒲郡の神社は,境内の樹が松のことが多い?
田尻神社2(061216蒲郡市)

西三河の神社だと,クスとか広葉樹が多くないかな。松である事情が,文化なのか気候(海沿い)なのかはわからない。

二の鳥居。社殿は参道に対して,ちょっと傾いている。
田尻神社3(061216蒲郡市)


いきなりキュッと急な階段。周囲の石垣は結構立派。
田尻神社4(061216蒲郡市)


狛犬さんと拝殿。
田尻神社5(061216蒲郡市)

右に見えるのが若宮神社の拝殿。左に見える鳥居は,表通りからの階段の上にあるもの。

阿の狛さん。
田尻神社6(061216蒲郡市)


吽の狛さん。
田尻神社7(061216蒲郡市)

こんなに可愛いのに,年代を見てくるのを忘れた。

拝殿の額に「田尻神社」。
田尻神社8(061216蒲郡市)


拝殿の屋根を横から。こういう造形が好き。
田尻神社9(061216蒲郡市)


本殿。
田尻神社10(061216蒲郡市)


「由緒記」
田尻神社11(061216蒲郡市)

書き写しておく。適宜改行した。
由緒記

 当田尻神社はその昔田尻山の麓相生の磯に着岸した日本惣社牛頭天王津島神社の よし船をまつる社である

 その濫觴を尋ぬるに元文二年秋七月ある夜一隻の よし船がはるばる波間にただよいこの相生の磯に着いた

しかし夜中のこととて誰一人氣つく者とてはなかつたが夜明けとともに海辺に輝いて見えるようになると里人達は 神徳宏大んして徳沢ここに及ぶしるしであろうとたいへん欣喜渇仰して 若宮神社のほとりに仮殿をしつらえて よし船を安置し田尻神社と称えこれをあがめまつつた

 翌元文三年七月蕭祠を建て同じ月□[※判読できず]五日から二週間のあいだ開扉大祭を行つた 里人たちはみな廣前に参進してこれを拜し除災招福を祈つた

今から 丁度二百二十五年前のことである

蓋し よし船の縁由は津島神社の祭事から出たことで青い茎のよしを八百萬神といわいまつり八束にたばね神木を中に覆つて船形をつくりこれを御旅所として毎年六月の祭礼に津島河に流し波のまにまに所々を巡航して 重陽の佳節に還與するのがならわしであつた

 相生の磯についた よし船はそのよし船が海路はるばる漂いついたのである

神様がお着きになつたと 若宮の神職武内左ヱ門五郎藤原正久 役人本多吟右ヱ門等相談の上社の由緒記をつくり祭礼の節これを讀んで神徳を仰いだのがいつかこの社の祭ぶりとなり 今に続いている

かなり不安。言葉が難しい……。間違いとか読めてないとか,あるかも。

とにかく
・創祀は元文三年七月
・津島神社の祭礼のよし船漂着に由来する
(日本惣社とあるから愛知県津島市の津島神社だろう)
・この由緒記が書かれたのは創祀から255年後

元文三年は1738年。1738+255=1993年。津島神社の祭礼については,とりあえずWikipedia参照。ちゃんと調べないとよし船を流す次第とかは不明。ちょっと保留。

津島-蒲郡間は直線でも60キロはある。潮の流れなどの条件は判らんが,やっぱり珍しいことなんだろうなあ。

蒲郡市博物館によれば,ご祭神は素盞嗚尊。よし船の出所,津島神社の主祭神が牛頭天王→建速須佐之男命だからだろうな。本家も明治の神仏分離までは牛頭天王だったはず。田尻神社でも素盞嗚尊と言い出したのはその辺りからじゃないかな。

これが,表通りから階段上ったところの鳥居。
田尻神社12(061216蒲郡市)

裏側だけど,ここに神社がありますよーというアピールにも見える。

北側,三谷小迫の交差点から見た田尻神社。この奥が三谷温泉。
田尻神社13(061216蒲郡市)

若宮神社(写真左手)のほうにかけて,やっぱり石垣が綺麗だ。

三谷はまた行きたいと思う。何か楽しいのだ。歩いてるだけで。

・田尻神社
【住所】愛知県蒲郡市三谷町一舗91
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ふれ愛フェスタ2007
本日は通院&図書館デイ。眠れない時用にもらってた薬が効きすぎて,ほんの一日過眠したせいで,近頃昼夜逆転していた自分にとっては,超夜更かし状態での外出。休職期間はまたのびた。いつものことよ。

ところで今日は「ふれ愛フェスタ2007」の日。
ふれ愛フェスタ1(070512豊田市)

図書館は駅のドまん前。祭りの会場は駅周辺。駐車場にクルマ入れられるかいなと思っていたが,超駅傍の人気P以外は空きあり。微妙な人出らしかった。

クルマを降りて歩く。愛環新豊田駅と名鉄豊田市駅を結ぶペデストリアンデッキ上では,何やら踊っている若人多数。和風だかヤンキーだかよくわからん衣装。これがイワユルよさこいっすか。メグリアセントレ前の広場で踊ってるグループも居た。新豊田駅下の広場じゃー,オカリナで「千の風になって」を吹いてる人。自分はあの曲も歌詞も嫌いなので,ふうんとしか思わなんだ。

図書館。本の貸し出し期間延長手続きのみ。タッチ&ゴー。これで駐車場タダ。せっかくだから,祭やってる通りを歩いてみた。

シャッター街だった駅前通の南側が,こげん立派に。
ふれ愛フェスタ2(070512豊田市)


ビルの隙間の道路で,こちゃこちゃと細工や写生。
ふれ愛フェスタ3(070512豊田市)

普段クルマまみれの道が,スカッと空いている。とても良い。

昔のおもちゃで遊んでみよう!とかいうコーナー。
ふれ愛フェスタ4(070512豊田市)

熱中してる子どもらを見るのは楽しい。あんまり暑くなくてよかったね。突風も雷もやんだし。

上の写真の左端に,解体中のビルが写っているのだが,このすぐ裏が喜多神社。思わず,また存在を確認しに行ってしまった。大丈夫。まだそのままあったよ。

駅からちょっと離れると,お,ここにも。
ふれ愛フェスタ5(070512豊田市)

この人たち,氣志團とか好きなんだろうなあ。ワケのわからんことが頭に浮かぶ。この時点で既に気分悪くなってた。寝不足に人ごみに紫外線。天敵ばっかだもん。クルマのミラーで見た自分の顔,朝から真っ白だったし。この状態が続くと,高確率で鼻血を噴く。さっさとユーターンした。

昔の豊田の写真展やってた。
ふれ愛フェスタ6(070512豊田市)

若者A「へー,これが昔の駅前!」
若者B「全然ちがーう」
若者C「この○○って今もある○○?古いんだ!」

大先輩A「そうそう,この道を通ってさ」
大先輩B「これって,××の頃か?」
大先輩C「いやいや,これは戦後すぐだもの」
大先輩B「おおそうか。じゃあそこの……」

世代ごとの会話の内容が面白すぎ。上のじゃ全然伝わらんけど。

結局,どうにか鼻血も出さず,嘔吐もせずに帰宅できた。んで,そのまま記事書いてるのだけど,ひどいね,文章のつながりとか。判っていても,どうにもならん。なおし方がわからない。せっかくのイベントネタだから,早く記事にしたいと思って頑張ったんだけど,後日のほうが良かったのかな。

うう。(・ε・)キニシナイ!! 乱文に耐えられない場合は,これも腕はマズイけど,写真だけで済ませて下され。

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忠魂碑
豊田市永覚町の忠魂碑。地図に記念碑マークがあったので行ってみたという経緯。

永覚作業所の前にあった。
忠魂碑1(070410豊田市)


向かって右から,「従軍碑」
忠魂碑2(070410豊田市)


「忠魂碑」
忠魂碑3(070410豊田市)


一番左も「従軍碑」
忠魂碑4(070410豊田市)


ボタンの花が綺麗だった。4月10日。
忠魂碑5(070410豊田市)


・忠魂碑(永覚作業所前)
【住所】愛知県豊田市永覚町中山畑39
【地図】いつもガイド

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若宮神社
蒲郡市三谷町の若宮神社。

社号標は「若宮神社」。
若宮神社1(061216蒲郡市)


参道は段々になってて,そう長くないけれども鳥居が三基。
若宮神社2(061216蒲郡市)


一の鳥居の額には「若宮八幡宮」。
若宮神社3(061216蒲郡市)


ここで振り向くと,こんな感じ。
若宮神社4(061216蒲郡市)

三谷祭の山車は(勿論クルマ止めを外して)ここを通るのかなあ。

西隣(写真左奥)にある鳥居は田尻神社のもの。
若宮神社5(061216蒲郡市)

境内社かもしれないが,独立の神社として別記事で扱うことにした。

二の鳥居。
若宮神社6(061216蒲郡市)


三の鳥居。
若宮神社7(061216蒲郡市)


手水舎。
若宮神社8(061216蒲郡市)


狛犬さんと拝殿。
若宮神社9(061216蒲郡市)

写真左端に見えるのは,田尻神社の拝殿。

阿の狛さん。
若宮神社10(061216蒲郡市)


吽の狛さん。
若宮神社11(061216蒲郡市)

大正八年五月奉納。

拝殿の額には,右から「若宮神社」。
若宮神社12(061216蒲郡市)


ここの拝殿も高欄?あり。擬宝珠も。
若宮神社13(061216蒲郡市)


拝殿の棟のところに菊紋と五七の桐紋。
若宮神社14(061216蒲郡市)

今数えたら,さすがに菊紋の花弁の数は16枚じゃなかった。15枚。

木々で隠れて見えなくて,ななめ後ろから撮った本殿。
若宮神社15(061216蒲郡市)


境内社。中に三社あるらしい。
若宮神社16(061216蒲郡市)


屋根に紋が三つあって,これが三社と対応している。
若宮神社17(061216蒲郡市)

たいへん見づらいが,向かって左から砥鹿神社の亀卜(本家は亀甲=六角形の中に亀卜だが),秋葉神社の紅葉,稲荷神社の稲。

二の鳥居の横にあった燈篭。唐獅子が居た。
若宮神社18(061216蒲郡市)


三谷祭の説明板。同じものが八劔神社にもあった。
若宮神社19(061216蒲郡市)

八劔神社の記事はこちら→〔1〕〔2〕〔3〕 ※社殿解体中のもの。

蒲郡市博物館のページ以外に資料が無いので,そこから引用。何か入手しなきゃと思いながら,停滞中。

ご祭神は,応神天皇だそうだ。境内社のほうは,さっきの紋の順で行くと,大己貴尊,迦具土命,稲蒼魂尊。オオナムチ,カグツチ,ウカ(ウガ)ノミタマ,かな。

何が若宮かというのがわからん。同じ三谷地区に八幡社はないようだし(若宮=新しいほうの八幡という図式が成り立たない。三谷地区より広げて見るべきかも),ご祭神は応神天皇だし。蒲郡市内にあと二社,若宮神社があるようだが,そちらのご祭神は仁徳天皇。仁徳天皇は,八幡神であるところの応神天皇の皇子だから,そっちは若宮で判るんだけど。

やっぱり本が欲しいなあ。古いやつと新しいやつ。どっかに転がってないだろうか。

・若宮神社(若宮社/若宮八幡宮)
【住所】愛知県蒲郡市三谷町一舗91
【地図】いつもガイド
■関連■
 ★訪問神社リスト【蒲郡市】

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社口社旧跡(上郷コミセン内)
豊田市に住むようになって,まず驚いたのが,公民館の類の立派さ。大抵毎日人が居て,大抵本が借りられる。会議室も借りられる。岡崎に居た頃の印象だと,公民館というのは寄り合い所の雰囲気で,民家に毛の生えたような建物で,イベントや集会のときだけ開けて入るというもの。やっぱ豊田市はバックが大きいから違うのかやーと思った。全部が全部じゃないみたいだけど。

さて,上郷コミュニティーセンター。上郷交流館とも言うな。ここは市役所の支所も兼ねてるから,特に大きい。

これがコミセン。
上郷コミュニティーセンター(070410豊田市)

ここでオケの練習とかしたなあ。またやりたいけど体力が無い。

「社口社舊跡」
社口社旧跡(070410豊田市)

最初の写真の右手辺りにあった石碑。旧跡はいいけども,今はどこへ行っちゃったんだろうか。

どこかの神社で境内社扱いになってたりするのかな?

・社口社旧跡(上郷コミュニティーセンター内)
【住所】愛知県豊田市上郷町5-1-1
【地図】いつもガイド
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 ★訪問神社リスト【豊田市・上郷地区】

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大友天神社
岡崎市西大友町の大友天神社。

平日に行ったのだが,子どもらが遊んでた。参拝の方も。
大友天神社1(070419岡崎市)


「村社 大友天神社」
大友天神社2(070419岡崎市)

「明治四十三年十月建之」。鳥居は「明治百年記念」で「昭和四十三年十月」の奉納とあった。

水盤。石造りの竜は,たいていアレな感じ。可愛いけど。
大友天神社3(070419岡崎市)


狛犬さんと拝殿。
大友天神社4(070419岡崎市)


阿の狛さん。
大友天神社5(070419岡崎市)


吽の狛さん。
大友天神社6(070419岡崎市)

昭和二十八年一二月奉納。

この拝殿の飾り瓦は,えらい内寄りに唐獅子と何かの花。
大友天神社7(070419岡崎市)

ちゃんと鬼の顔の鬼瓦があった。これは屋根の先端(下部の端っこ)のだから,二の鬼というやつかな。鬼の顔の上,反り上がった部分の先端に神紋らしき紋があったのだが,写真でもよく見えない。

反対側。鬼瓦の顔が取れちゃってる。
大友天神社8(070419岡崎市)


拝殿の額。
大友天神社9(070419岡崎市)


拝殿の屋根(横から)。大棟の端に鬼瓦。
大友天神社10(070419岡崎市)


拝殿から本殿。
大友天神社11(070419岡崎市)


拝殿の周囲には,高欄(といいますかね)。
大友天神社12(070419岡崎市)

擬宝珠がついてるねえ。

裏手の階段。表に,上っちゃだめって書いてあった。
大友天神社13(070419岡崎市)

つっかい棒があるし,老朽化のせいだろね。まあ,軽々しく上る場所じゃないけど。

境内社。多分。仔細は不明。
大友天神社14(070419岡崎市)


塀の傍になにやらあると思ったら,先代の鳥居のようだ。
大友天神社15(070419岡崎市)


由緒碑。
大友天神社16(070419岡崎市)

書き写しておく。適宜改行した。

大友天神社

御祭神 弘文天皇(大友皇子)
鎮座地 愛知県岡崎市西大友町字天神十番地

由緒

 往昔 天智天皇の長子 大友皇子は壬申の乱に会い 従者長谷部信次等と此の地に流偶し 草庵を結ぶ

 皇子は「天性明悟にして雅より博古を愛ます」と懐風藻にあり

 後に信次 皇子の為に一祠を創建奉崇し 之を天神宮と称し その所在地を大友と云い 村落を長瀬村と呼ぶ 明治九年供進指定村社

例祭日 十月十八日


この辺りの大友という地名は,大友皇子に因んだものだということである。地元じゃ有名だが,日本全体ではどうかな?隣の小針町だったかな,にある古墳は大友皇子の墓だって言われとるしね。

一般的な学説と地元の言い伝えの違い,地元民が信じてるのかとか,学会でどう見られてるのかとかは置いておいて,そういう話があるということで。

「碧海郡誌」
村社 大 天神社/鎮座 矢作町大字西大友/祭神 弘文天皇
※ 社名の友の字が欠落している。

「碧海郡神社写真帖」
矢作町大字西大友字天神鎮座/村社 大友天神社/御祭神 天照皇大神 弘文天皇/例祭日 十月十八日

前者は大正5年,後者は昭和14年の刊だが,天照皇大神はどこから湧いた?または消えた?

揃って弘文天皇って書いてるのも面白いね。追諡したのは明治天皇だから,上の二冊が出た時代には,崩御の後とはいえ,逆らいがたい威力が残存しておったということだろうな。国の雰囲気というか。今では非即位説が優勢のようであります。

付近に,もう何ヶ所か大友皇子関連の神社や史跡があるそうなので,また行ってみようと思っている。

・大友天神社
【住所】愛知県岡崎市西大友町天神10
【地図】いつもガイド
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1周年
おかげさまで1周年!……を数日過ぎました。さっき気付いた。

三日坊主の自分(日本書紀カテゴリの中途半端さと,その後の空白期間を見れば一目瞭然)がここまで来られたのは,皆様が読みに来てくださるからというのが一番大きいです。お礼申し上げます。

個人的な事情のほうでは,

1.神社巡りという楽しみを見つけた。
2.間に雑記を入れることにより,とにかく続けることができた。
3.雑記で結構好き勝手書けるので続いた。
4.会社休んでいるので時間がある……。

という辺りでしょうか。この分野しか書かない,書けないと決めてしまうと,間が開いて,そのうちどうでもよくなってしまって,続かなかったりしたんじゃないかと,自分の性格からして,そう思います。

更に遡ること半年,全く別の名のブログ(アドレスは同じ)で,今よりもっと愚にもつかないことをちんたら書いていたというのは内緒でもなんでもないですが,その頃の記事は全削除しちゃったので,カウントには入れていません。

5年とか10年とか続けたいよねー。自分もfc2も,ブログというメディアすらも,どうなってるのかは判らないけど。

皆様のお陰でここまで来られました。今後とも,気楽にお付き合いいただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

テーマ:おかげさま - ジャンル:ブログ

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