途中に稲荷神社があるが,後ほど来ますと挨拶だけして通り過ぎた。
おおっと。

目の前で下水道工事中だった。右のほうに見えるのが神社の樹木。トラックの隙間を通してもらって,脇から境内へ。
正面から。

実はこの写真はあとから撮ったもの。交通規制があるので出て行きにくくてね。なんか写真撮ってる奴が居る〜って工事の人たちに珍獣扱いされたし。でも(・ε・)キニシナイ!!
鳥居。

ここ,杜が薄いから周囲の風景が丸見え。特にこの背後のマンションね。目立つこと目立つこと。
狛犬さんと拝殿。

阿の狛さん。ニカッ。

吽の狛さん。ウヒッ。

いいお顔。昭和六年九月奉納。
由緒書きと水盤,百度石(碑は判ったが石はどれだ)。

拝殿の瓦が綺麗だったので。

おや,ここの神紋は菊?花弁の数は一番上の3つが12,三角の屋根沿いが16,一番下の水平の庇沿いが18。……こりゃ単なる飾りかなあ。
本殿。囲ってる垣は新しそうなんだよな。

よく見えなかったので裏のマンションの駐車場から。

千木……,なんか先端がナナメ?鰹木は5本。
鳥居から入って左はミニ公園。

右はこんな感じ。

それにしてもマンションが目立つ。

上から見た比蘇天神社って,どんなんかねえ。
境内にあった石碑。

「合祀之碑」……“之”が読めなくてさあ。篆刻とかに使う文字なのね。勉強になった。「比蘇天神社 稲荷神社 社口神社」裏側に「昭和八年十月建之 宮地 上和田 氏子中」
以下,由緒書きより
比蘇天神社
鎮座地 岡崎市宮地町字北浦四二番地
祭 神 高御産巣日神・・・比蘇天神
豊受姫命 ・・・稲荷社
猿田彦命 ・・・社口社
由 緒 上古この辺りをヒソと言い比蘇の浜に塩田の神を祀ったのが創始で,平安時代の仁寿二年(八五二)の創建と伝えられる。延喜式の比蘇神社,三河国神名帳の比蘇天神は当社で,天喜三年(一〇五五)の水穂抄に干蘇神と記される古社。
昭和八年に町内の稲荷社,社口社を合併する。
神徳とやらは略。さて,ちょっと調べてみる。
・年代の記述(西暦との整合)はOK。過去にひどいところがあったので疑り深いのだ。
・水穂抄って何だ?今後調査。
・延喜式の記述。愛すべき北川研究室ウェブサイト(群馬県立女子大)によれば,「参河国 碧海郡 比蘇神社 小」である。"小"というのは,社格が小社だったということだな。
岡崎といえば額田郡じゃないんかいと一瞬思ったので,それも調べた。現在の岡崎市のうち,矢作や六ッ美の辺りは旧碧海郡だったそうな。へー。宮地や上和田は六ッ美に含まれるので,碧海郡という記述も問題なし。
・三河国神名帳の記述。「従五位上 比蘇天神 坐碧海郡」。手元の「西加茂郡誌」大正十五年刊(復刻版)に参考資料で載ってたので抜粋。
ところで,手元にもう一冊,大正五年十月刊の「三河国碧海郡誌(ほんとは旧字体)」の復刻版がある。大正五年といえば,上の合祀よりも前。すると比蘇天神,稲荷,社口が別々に記されているかも,である。探してみた。
第九編 社寺,第二章 神社,第一節 本郡神社名から六ッ美村内で拾うと,「比蘇天神社 同大字宮地」これはよし。稲荷は2つあって,「六ッ美村大字上青野」「同大字国正」だが,愛知県神社庁のリストによれば,国正町字稲荷25に現在でも稲荷社があるのでこれは合祀されてない。とすると「上青野」がそうなのか。社口に関しては,同じく神社庁リストにそういう名前の神社は無く(傘下に無いだけかも知らんが),碧海郡誌には「社口司社 同大字土井」というのがあるので,これかもしれない。
……かもしれないで終わっちゃったけど。
も一個。延喜式神名帳の話。さっきも書いたが,記述は「参河国 碧海郡 比蘇神社 小」だけであって,碧海郡のどことは書いてないのである。でね?旧碧海郡といえば,安城も刈谷も知立も碧南も高浜も,岡崎や豊田の一部も含まれちゃうわけだ。
延喜式の「比蘇神社」の論社(ここじゃないかなあって言われてる神社ね)には,今回紹介した比蘇天神社と,もう一つ,安城市桜井町の桜井神社があるそうだ。
上に挙げた「三河国碧海郡誌」につらつら書いてあるので写しを載せておく。旧字体は適宜新字体に置き換えている。
第九編 社寺,第二章 神社,第二節 式内神社
(五)比蘇神社
新撰姓氏録 大宅首大閉蘇命孫建新川命之後也
長谷置始連神饒速日命七世孫,大新川命之後也
長谷部造神饒速日命十一世孫千速見命之後也
国造本紀 参河国直,志賀高穴穂朝物部連祖出雲色大神命
五世孫,千波夜命定賜定造
新撰姓氏録 物部神饒速日命後也
旧事記 景行天皇 五十狭城入彦命三河長谷部直祖
倭名抄 三河国碧海郡長谷部郷
延喜式神名帳 三河国二十六座並小碧海郡六座並小比蘇神社
本祠に就ては,延喜式神名帳に比蘇神社とある外には殆んど徴すべきものなく,後世の書に於ても其の名は屡々散見すれども未だ其の定説はあらざるなり。桜井村桜井神社の鎮座地を比蘇山と称するの故を以って当神社を式内比蘇神社に擬せんとるするものと,六ッ美村大字宮地比蘇天神を是れなりとするものあるのみ。右に挙げたる新撰姓氏録,国造本紀,旧事記,倭名抄等の記事は,或は比蘇神社に関係する所あるかと覚しければ暫く記して参考に資す。
先生!旧事記とか物部とか出てきて怖いです!
しかも,それが比蘇神社とどう繋がるのか全然判んない!
これはアレですか。また単なる勉強不足ですか。うぐー。
今回の反省。記事長過ぎ。
・比蘇天神社
【住所】愛知県岡崎市宮地町字北浦42番地
岡崎の比蘇神社の場所って、碧海郡かどうか微妙な端っこですよ。六ツ美地区が古代に碧海郡だったのかどうかも不明ですし。
矢作川東岸は、額田郡の可能性も強いし。
式内社って、無理やり当てはめているとしか思えないし。
岡崎市内の碧海郡の式内社が異常に多いのも変だし。古代は安城市が中心だったはずで、江戸時代以降に岡崎市が中心になったはずで。
いらっしゃるとは思っていましたけど。
ここでもああいった形の展開になると不快ですので二度と来ないでいただけますか?
是非よろしく。
私にはそこまで調べる知識も気力もありません・・・感服。
実はニギハヤヒで物部と来た瞬間に,新井さん/尾張氏を思い出したです。尾張氏のことをちっとも判ってないので,自分は何も言えんのですが(挙げた資料の抜粋部分がこの神社にあたるとすると)やっぱ関係ありそうですかね〜。
式内社/式内論社だから人が居て大きいわけじゃないってのはヨク判りました。今時は仕方ないんですかね。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

