平日に行ったのだが,子どもらが遊んでた。参拝の方も。

「村社 大友天神社」

「明治四十三年十月建之」。鳥居は「明治百年記念」で「昭和四十三年十月」の奉納とあった。
水盤。石造りの竜は,たいていアレな感じ。可愛いけど。

狛犬さんと拝殿。

阿の狛さん。

吽の狛さん。

昭和二十八年一二月奉納。
この拝殿の飾り瓦は,えらい内寄りに唐獅子と何かの花。

ちゃんと鬼の顔の鬼瓦があった。これは屋根の先端(下部の端っこ)のだから,二の鬼というやつかな。鬼の顔の上,反り上がった部分の先端に神紋らしき紋があったのだが,写真でもよく見えない。
反対側。鬼瓦の顔が取れちゃってる。

拝殿の額。

拝殿の屋根(横から)。大棟の端に鬼瓦。

拝殿から本殿。

拝殿の周囲には,高欄(といいますかね)。

擬宝珠がついてるねえ。
裏手の階段。表に,上っちゃだめって書いてあった。

つっかい棒があるし,老朽化のせいだろね。まあ,軽々しく上る場所じゃないけど。
境内社。多分。仔細は不明。

塀の傍になにやらあると思ったら,先代の鳥居のようだ。

由緒碑。

書き写しておく。適宜改行した。
大友天神社
御祭神 弘文天皇(大友皇子)
鎮座地 愛知県岡崎市西大友町字天神十番地
由緒
往昔 天智天皇の長子 大友皇子は壬申の乱に会い 従者長谷部信次等と此の地に流偶し 草庵を結ぶ
皇子は「天性明悟にして雅より博古を愛ます」と懐風藻にあり
後に信次 皇子の為に一祠を創建奉崇し 之を天神宮と称し その所在地を大友と云い 村落を長瀬村と呼ぶ 明治九年供進指定村社
例祭日 十月十八日
この辺りの大友という地名は,大友皇子に因んだものだということである。地元じゃ有名だが,日本全体ではどうかな?隣の小針町だったかな,にある古墳は大友皇子の墓だって言われとるしね。
一般的な学説と地元の言い伝えの違い,地元民が信じてるのかとか,学会でどう見られてるのかとかは置いておいて,そういう話があるということで。
「碧海郡誌」
村社 大 天神社/鎮座 矢作町大字西大友/祭神 弘文天皇
※ 社名の友の字が欠落している。
「碧海郡神社写真帖」
矢作町大字西大友字天神鎮座/村社 大友天神社/御祭神 天照皇大神 弘文天皇/例祭日 十月十八日
前者は大正5年,後者は昭和14年の刊だが,天照皇大神はどこから湧いた?または消えた?
揃って弘文天皇って書いてるのも面白いね。追諡したのは明治天皇だから,上の二冊が出た時代には,崩御の後とはいえ,逆らいがたい威力が残存しておったということだろうな。国の雰囲気というか。今では非即位説が優勢のようであります。
付近に,もう何ヶ所か大友皇子関連の神社や史跡があるそうなので,また行ってみようと思っている。
・大友天神社
【住所】愛知県岡崎市西大友町天神10
【地図】いつもガイド
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★訪問神社リスト【岡崎市】
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