本徳町の八柱神社を目指していたはずが,曲がり角一つ見落としたせいで,全く別の神社に辿り着いてしまった。しかも同名だったものだから,家に戻って,地図で歩行ルートを確認するまで気付かなかった。
てれてれ歩いてたら,あった!(違うとこだったんだが)

社号標に「八柱神社」

「昭和十四年三月建之」 「早稲田大学卒業記念 陸軍将校(氏名は略)」とあった。奉納者のご子息かお孫さんの,大学卒業記念らしい。この時代,この場所から早稲田っていうと,かなり誇らしかったのであろう。
……しかし戦争に突入していくのだよね。もう中国とはドンパチやってた頃だしね。将校になられたこの秀才さんは,無事に復員されたんだろうか。何だか気になった。
鳥居。古そうな鳥居。

「豊田市の石造文化財」に載ってた。“寛延2年12年”ってあったけど,12月の誤植だと思う。寛延2年は1749年。
上の写真,鳥居の奥に,細い階段が続いているのが見えるだろうか。もうここで不安に。病人は足腰も心臓も(怠けてるのもあって)弱っている。ちょこっとずつ登った。
半分来たところ。振り返って撮影。兼休憩。

全部登り切ったところ。

ああっ,さっきくぐった鳥居が霞んでっ,とか騒ぎたくもなるが,健康な人なら駆け上れる高さだと思う。雨の日は,ちょっと滑るかもしらんけど。
境内。頑張って登ると,この光景が非常にありがたく見える。

ゼエゼエ言いながら手水舎。

水アリマセン。経験上,あるほうが珍しいので気にしない。

この竜がまた。石の竜はどこか滑稽だ。
狛犬さんと神門。奥に拝殿。

阿の狛さん。

吽の狛さん。

裏へ回るまでもなくワシより年下ぢゃ!昭和六十二年五月奉納。
神門?でいいんだよね?

神門?の額。「八柱神社」

脇へ回って,右から拝殿と本殿(と思う)。

境内にあった「慰霊碑」

裏に「戦歿者芳名」が。9名全員,異国の地で戦死。早稲田の秀才の名はなかったけど……。
さて,由緒などを探すわけだが(自分はいつも,記事を書きながらリアルタイムで資料を漁っている),乙部町は旧猿投町/猿投村内なので,元西加茂郡である。
「西加茂郡誌」
社格:村社/社名:八柱神社/祭神:八王子/創建年月日:不詳/祭日:(記述なし)/所在地:猿投村大字乙部/境内反別:二反六畝三歩/氏子:三六戸
「豊田市史10」
地区名:乙部町北屋敷605/神社名:八柱神社/祭神:五男三女神他五柱/創建:不詳/祭日:10月5日
手元の資料はこれだけ。猿投町誌とか猿投村誌があるんだったら読んでみないといかん。ご祭神は五男三女神(八王子)は間違いないようだが,豊田市史のほうの,“他五柱”が気になるのだ。
何か判ったら追記の予定。今回の記事は,とりあえずここまで。
・八柱神社
【住所】愛知県豊田市乙部町北屋敷605
【地図】いつもガイド
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