ぱかーんと開けたところにある。

ここまで社叢も遮る建物も無いと清々しい。
境内はこんな感じ。社号標に「八幡社」

「碧海郡上郷村大字上中島……」 「境内反別……」などと脇に彫ってあった。昭和36年3月までは,上郷村だったのだよな。その後上郷町になって,昭和39年に豊田市に編入したそうだ。
鳥居。稲藁の毛羽毛羽した注連縄。

鳥居に脇にあった由緒碑。

内容は以下。
由緒
八幡社祭神譽田別尊 應神天皇
当社は平安時代長元九年中島の先祖此の地に移住し水防みよどめに困難せし時八幡社を奉斎し氏神と敬ふ爾来度々社殿を改築し崇敬の誠を捧ぐ神域は樹令三百年を越える老松欝蒼として晝尚暗く閑静幽寂神々しき限りであつたが東名高速自動車道路並に矢作川改修工事の爲め移転の止むなきに至り昭和四十一年社殿を造営現在地に遷座奉祀す
ううむ。ここも移転しとる。
水盤。

狛犬さんと拝殿。

阿の狛さん。

吽の狛さん。

昭和四十一年十一月奉納。
拝殿。額が何か丸い。

中を覗いてみた。

カギが無いのはこれでいいのか。
本殿。あああ,鰹木が……。

千木は外削ぎ,鰹木は5本。
拝殿から本殿。間のは幣殿とかいう?

赤い屋根の境内社?

庭園みたいになってる。
それにしても空が青い。

境内社?の社殿?

「上郷風土記」以下抜粋,要約。
・ある史記に“承久の変に依って源氏全く衰亡の止むなきに至り、成田氏一族此の地に来って土着し(中略)市杵島姫命を奉祀しこれが現在の八幡社の創記なり”とある。
・別の説として“華頂山竹林院の鎮守として寺の北方に誉田別尊を祭った”
・いずれにせよ,鎌倉時代の上期に神祠があったのは事実じゃないか。
・宝暦七年(1757年)五月三日の中島堤切れ,嘉永三年(1850年)の中島字茅場堤の決壊など,水害のたびに漂流,傾倒の被害を受けた。
イチキシマヒメが氏神なのは平家なんじゃないのとか思ったが,結局ここにあるのは源氏の氏神=八幡様であるわけで,……よく判らん。
「上郷町誌」
八幡社 15級社/鎮座地:上郷町大字上中島字石蔵1番地/祭神:誉田別尊(蒼稲魂神,市杵島姫命)二神は明治42年6月1合祀/宗教法人令の設立年月日:昭和22年10月18日/例祭日:毎年7月28日/由緒:創立不詳/社殿:本殿流れ造りで1坪,拝殿5坪/境内地:126坪。この中に1社があって,大神宮,天照大神,秋葉社,軻具土神,水神社,水波能売命が合祀.
明治の末になって,ウカノミタマとイチキシマヒメが合祀。境内社には大神宮,秋葉社,水神社が合祀,ということである。「上郷町誌」は出たのが昭和41年3月である。だから移転前の記述なんじゃないかと思うね。昭和14年に出た「碧海郡神社写真帖」には,壁の無いスカスカタイプの拝殿と,小さな本殿の下部の写った写真が載っている(こちらでは例祭日は十月八日になっている)。
境内の端にあった秋葉山常夜燈。

年代は読めなかった。常夜燈には,錆びたはしご段がくっついていることが結構多く(石造りのもある),その形状を見るのも楽しい。
・八幡社
【住所】愛知県豊田市畝部東町石蔵1
【地図】いつもガイド
■関連■
★訪問神社リスト【豊田市・上郷地区】
御祭神が「八幡三神」でない八幡社というのも興味深いです。
お返事を十日も遅らせてしまってごめんなさい。
>本殿
これで鰹木が歪んでなければ結構なものだったんですけど。どうもここ2〜3年でガタが来たみたいです。
>御祭神
そういえば,当方で見かける八幡様で,三神揃ってるのってなかなか無いような気がします。宇佐からも鶴岡からも遠いですから,段々略式っぽくなるのかなあなどと考えてみました(根拠は薄弱です)。
トトさんのブログ,今拝読しています。そちらにもコメントさせていただきますね。
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